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  人をあほみたいに好きになる。それは、ひどく難しく、簡単だ。

  嫌いだと思う人間こそ、自分にとってかけがえの無い存在になって、憎いと思えば思うほどその人のことを忘れることができなくなる。

  わいにとって、その人間は底抜けに明るくてアホみたいに優しいあんちきしょうだった。

  わいは、つい最近まで大阪で生活していたのだが、父の転勤で東京に越してきた。わいの卒業に合わせて引っ越したので、新入生として東京の中学に入学した。

  そんな中、わいは陸上部に入った。

  その学校の陸上部は都内でも優秀な成績を収める中学で、界隈ではちょっと有名なところまった。そんなことも知らず、友を求めて人数が多い部活を選んだわいは、慣れない場所で生活するのに必死だったのだろう。

  だけど、わいは運動神経も悪ければ体力も無いひ弱な人間で、小学生の低学年では虚弱体質でドクターストップがかかっていたような人間が、突然陸上部にはいって活躍できるはずもなく。それどころか通常の練習にもついていけなかった。

  そんなわいが部の中で浮かないはずもなく。あまりの使えなさにもはや孤立状態。友人もできず、笑い者にされていた。わいが中、長距離所属だったのも、一つの原因だった。

  体力が無いのに体力が必要な中、長距離を選んだのは、短距離、幅跳び、高飛び、ハードル、全部の種目に「向いてない。」と言 われたからにすぎない。

  中、長距離だけは、人数不足からか文句も言われず加入できた。

  が、しかし。同じ一年の女子に40秒も差をつけて1000メートルを走ったり、走るたびに倒れるわいは練習の進行を妨げる『迷惑な奴』でしかなく。

  二ヶ月経った頃にはもう走ることもできず、先輩や同輩のタイム計測やタイムシートの記入など、いわゆる『マネージャーとしての仕事』しか任されなくなった。

  暗に、『お前は邪魔だ。走るな。』と言われているのだと、さすがに理解していた。

  さらに言うならば。大阪から越してきたばかりでアウェーな自分は、クラスに友達なんて一人もいなかった。大阪人だというのに、気が弱く、お笑いもそこまで好きなわけではなかったわいは、期待はずれだつまらないだのと言われたい放題だった。

  それに拍車をかけるように、わいの天邪鬼な性格が本心を捻じ曲げる。孤独じゃなくて、孤高を気取って。必死に自分を取り繕って。なけなしの自尊心を保つのに精一杯だった。

  その結果、わいは見事にぼっち街道をひた走っていた。見事に中学デビュー(?)に失敗したのである。

  そんなわいには、羨んで、妬んで、どうしようもなく憧れている人間がいた。

  それが、秋谷幸雄あきやゆきお。クラスの中心人物で、同じ陸上部で短距離所属。一年で入ったばかりなのに、100メートルで大会新記録を出してしまうような人だった。

  明るくて、人気があって。陰気でぼっちな自分とはかけ離れた、そんな人物。そんな彼が、羨ましかった。

  わいも、転校さえしなければ…今頃小学時代の友達と楽しく笑っていたかもしれない。

  彼の姿を見るたびに、そう思っていた。

  でも、それは『もしも』でしかなく。『かもしれない』という可能性でしか無いのだ。『もしも』を並べ立てても、現状は変わらない。

  そんなわいが孤立するのは火を見るよりも明らかだろう?

  今思えば自分の自業自得であるが、その時のわいは『本当の自分を理解して欲しい。』とグズグズと駄々をこねることしかできなかった。

  クラスの女子からは陰気だの暗いだのと陰口を叩かれ、無視され、男子はもはや視界に入れようとすらしなかった。体育の授業も自分ひとり取り残され、先生と組むことが多かった。

  そんなだから、余計に秋谷が羨ましくて、憧れて。

  ひとりでトイレで涙を流すこともあった。幸い、暴力等のいじめにまで発展していなかった。言葉だけの、(暴力以上に心を抉るものだったけれど)あやふやなものだったから、なんとかここまで耐えられた。これでさらに暴力にまで晒されていたら。わいは完全に不登校の問題児だっただろう。

  部活でも、ひとりだったけれど話しかければ会話をしてくれた。

  だけど、そんな孤独は或る日突然姿を消した。

  「いつもごめんな。」

  そう、秋谷がわいに声をかけてきた。部活が終わって、いつものようにひとりで備品の片付けをしていたときのことだった。

  「え…?」

  「八坂、いつも片付けやってくれてるんだろ?あれ、本当は一年全員でやることなのにさ。しかも、種目違うのに。」

  汗臭い練習着のまま、秋谷だって疲れてるだろうに、「手伝うよ。」と言って、重たいスタートブロック(クラウチングスタートを決めるときに使う台座のようなもの。)を倉庫まで運んでくれた。

  「おも。スタブロって束だとこんな重かったっんだ。」

  そんなことを言いながら、へらりと笑って。秋谷はわいに「いつもありがとう。感謝してる。」と言った。

  それが、たまらなく嬉しくて。

  「う、うぅ〜。」

  思わず嬉し涙が出た。止めたくても涙は止まらなくて。

  突然ポロポロ泣きだしたわいを見て、秋谷は一瞬ぎょっとした。

  「ご、ごめん!いつも嫌だったよな?押し付けてまじごめん!」

  「ちゃう…。嬉しくて…。」

  「…へ?」

  視界に映った秋谷の顔は、眉尻を落として目を丸くして、口をポカリと開けていて。言っちゃなんだが間抜けだった。

「わいのことなんて、誰も見てへんだって…思ってた。」

  やから、嬉しい。と零した。

  本当は、今までの苦しさとか、行き場のない葛藤とか、いろんなものが詰まった涙だったけど、わいがそれを秋谷に語ることはなかった。

  「そっか…。」

  秋谷はそう言って、それ以上何も言わずに背中をさすってくれた。

  多分、この時だろう。わいが秋谷を好きになったのは。

  秋谷は、泣いたことについてそれ以上言及しなかった。それも、ありがたくて。

  それ以来、わいは秋谷と一緒にいるのが多くなった。

  秋谷と一緒にいるだけで、心臓の奥の方がポカポカした。秋谷の隣は暖かくて。ただ、同時に自分の中の汚い気持ちもグルグル渦巻いてて。気付いたらもう、わいはどっぷり秋谷にはまっていた。

  学校は秋谷に会うための場所。部活は、秋谷との繋がり。そのために、部活から逃げるわけにも行かなくて。必死に向き合って、努力して。気づけば体力は以前の何倍にも増していて、同じ部員のみんなに遅れをとることはなくなっていた。そして、わいの努力は認められた。これも、全部秋谷のおかげだ。

  生活が秋谷で出来てた。正直に言う。あの時のわいは…きっと秋谷に依存してた。

  一学期というわずかな時間だけれども、孤独に晒され荒んだ人間が、気まぐれでも優しくなんてされたら、それに縋ってしまうのだ。

 たった数ヶ月、されど数ヶ月。もうあの日常に戻ることは不可能だ。

  ダメだとわかっていながらも、わいはどんどん秋谷に傾倒していた。

  秋谷に嫌われないように、好かれるように。飽きられないように。試行錯誤を重ねた。

  心のどこかで、そんなことをしなくても秋谷はわいから離れない。そう信じてはいたけれど、不安に思う気持ちは消えなかった。

  そんな関係がズルズルと続いて、曖昧に濁して、季節は回って春が過ぎていた。

  わいは幸運にも秋谷と同じクラスになれた。

  クラス割のシートを見た時、嬉しさのあまり顔がにやけた。

  座席が出席番号順じゃなければ、もっと嬉しかった。わいの苗字は八坂だから、秋谷が廊下側の一番前なのに対して、わいは窓側の一番後ろ。とんでもなく離れているのだ。

  それがなければ、もっと嬉しかったのに…と唇を噛んだ。

  だけど、秋谷と同じクラスというだけで、去年に比べれば一緒に居られる時間が増えたから構わなかった。

  「えっと、八坂さん、だよね?」

  「そうやけど…。」

  となりの席の女の子が、わいに話しかけてきた。

  目が大きくて、頰も唇も桜色で。ストレートの長い髪の、少女はまさに美少女だった。

  「やっぱり!幸雄から八坂さんのこと、よく聞いてるよ!

  私、花沢佐紀はなさわさき。バトミントン部なの。これから一年よろしくね。

  ね、やっちゃんって呼んでもいい?」

  人懐っこい柔らかな笑みを携えて、花沢は…佐紀は笑った。

  「八坂千尋や。これから一年、よろしゅう。」

  これが、わいと佐紀の出会い。そして、わいの運命の歯車が大きな音を立てて回った瞬間だった。

 

 ーーー


  わいと佐紀は席がとなりなこともあって、すぐに仲良くなった。秋谷しかなかった世界が、佐紀のおかげでほんの少しだけ広くなった気がして、正直ホッとした。

  自分でも、あの依存状態がまずいことだという自覚を持っていたから、なおさら。

  だけど、だからといって恋心が消えるわけでもなく、相も変わらずもやもやとした気持ちを抱えていた。

  だけど、わいは恋心を諦めざるをえなくなった。いや、もとからこんな汚れた恋は将来的にもよくないと自覚していたから、半端諦めていたものだったが、完全に壊れたのだ。いや、壊された、の方が正しいのだろうか? …一縷の希望すら持たせないぐらい、粉々に。

  それが起きたのはクラス替えから二ヶ月ぐらいしか経ってない、ジメジメとした雨の日だった。

  雨で部活は急遽、中練となりサーキットなどの筋トレメニューだった。中、長距離は体力を落としてはいけないので、校内のジョギングをしていた。校内をジグザグに走って、階段の上り下りも激しいこの練習が続いたおかげで太ももが激しい筋肉痛を訴えている。

  練習も終わり、帰り支度を整えて。分厚い雲に覆われて薄暗い道路。チカチカと点灯している街灯がわいの恐怖をそそる。

 お化けでも出そうだな、なんて。子供じみた感想を抱く。

  「やぁーさか!」

  そんな、明るい声がわいの背中から聞こえた。

  「秋谷…?」

  がっちりと肩を組まれて、顔が近い。いつもより近い。そのことに、心臓が早鐘のように音を立てる。

  「な、一緒に帰ろーぜ。」

  「…おん。」

  にぱ、と太陽のように笑う。否定の言葉は出なかった。

「よっしゃ!今日は相談も乗って欲しいんだよね!」

  「そないなの、いつものことやろ…」

  笑顔が眩しくて。雨なのに、何故か暖かさを感じた。

  それが。凍てつく吹雪に変わるのは、一瞬だった。

  「あの、さ。八坂って、花沢と“友達”だよな…?」

  たわいもない話。そのはずなのに…何故だか、心の奥がざわついた。

  「佐紀?うん。友達やで。」

  その瞬間。秋谷の顔がパッと華やいだ。それが、どういうことだが、わかりたくなかった。

  「あ、あのさ…!」

  心のどこかで、聞きたくないと悲鳴をあげた。

  「俺っ!花沢のことが…好きなんだ。」

  ああ、やっぱり。

 知ってた。なんとなくだけど…。

  だって、佐紀は可愛い女の子で、優しくて、ちょっと抜けてるところがあるし、極度の方向音痴だけと、料理上手だ。

  わいとは、比べるまでもない。

  それに、それに…。佐紀も、秋谷のことが好きなんだから。

  直接言われたわけではないけれど、見ていればわかる。秋谷と話すときだけ、佐紀は可愛くなる。

  頬が赤くなって、はにかんで。

  もう一人のわいが、嫌だ嫌だ。と駄々をこねた。

  でも、二人の邪魔なんてできない。だって、二人とも…意味は違えど「大好き」なんだ。

「そ、それで…!出来れば、八坂にさ、えっと…協力して、欲しいんだけど…。

  だ、だめか?」

  どもりながら言葉を放つ秋谷は、今まで見たことないぐらい可愛いと思った。本当に、秋谷は佐紀が好きなんだ。特別、なんだ。

  (ええなぁ…)

  今ここにいない佐紀が、とても羨ましかった。きっと、わいが秋谷を好きなのと同じぐらい、秋谷も佐紀が好きなのだろう。

  (…でも、わいの気持ちよりも、秋谷のはずっと綺麗で純粋だ。)

  いつかは諦めなくちゃいけなかった恋なんだ。諦める時が、今なのだろう。

  (でも…)

  でも…今ここで、「わいは秋谷が好きや。」と言ったらどうなるんだろう?動揺する?それとも、綺麗さっぱりわいをふる?

  きっと秋谷は、わいの気持ちを受け入れて

 そして綺麗にわいをふるのだろう。

  それが分かってるから。弱虫なわいは、言葉になんてできない。

  「え、ええよ。だって、友達…やろ?」

 ぱき、と。軽い音が聞こえた。





 

 

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