クッキー・プリン格差とそこに伴う感情についての考察
「――いろいろと、“辛気くさい”話が続きましたね。少し気分を変えましょうか」
そう言ってタニアが片手をあげると、数人の侍女がどこからともなく取り出した楽器を構え、見事に息の合った演奏を始めた。
「きれいな曲ね」
わずかに首をかしげながらサキが呟く。
「夜会でよく演奏される曲だ。そのときはもっと大規模な楽団で演奏するんだがな」
チェンバロもバイオリンもない、あるのはマンドリンが2本とリュート、あとは横笛だけとずいぶんこぢんまりした演奏だがこれはこれで悪くない。
「なんだか“向こう”のクラシック――ええと、バロック時代の音楽に感じが似てるかも」
ふと、古い光景が頭をかすめた。
「ああ、そうだな――昔、はじめてこの曲を聞いたときに俺もそんな風に思ったよ。その、バロックとか詳しいことはわからなかったけど」
テレビか新聞の宣伝に乗せられて、何枚組だかのクラシック名曲集を注文した母が、どうせ買ったところで聞くはずがないと父に怒られていた。
結局母は一回流し聞きしただけで、それ見たことかと呆れ顔の父の方が、週末にリビングでよく聞いていた――
何気ないサキの言動が、記憶の海からなんでもない、けれどかけがえのないかつての日常をすくい上げてくれる。そのたびにアルスは、小さな宝物を見つけたような気分になるのだ。
「踊ろうか、サキ」
「えっ、なに、突然――」
サキを持ち上げてあずま屋の前の広場に降り、音楽に合わせてステップを踏む。
サキの足は完全に宙でぶらぶら浮いているし、いきなりのことに目を白黒させているが、構わずにくるくる振り回す。
「アルス!? わたし、ダンスなんて踊ったことない!」
腕にかかる重みが、急に軽くなった。気を取り直したサキが魔法で自分のからだを浮かせたのだろう。
「じゃあこれから覚えればいいさ。ただし、俺以外のやつと練習するのは禁止で」
改めてサキの右手をとってもう片方の手を背中にまわし、サキにも肩に手を置くように促す。からだが近づいたついでに頬にキスすると、一瞬曲が乱れかけ――て持ち直し、歓声を押し殺した気配をいくつも背に感じた。
「――もう、王さまこれから忙しくなるのにそんな暇あるの?」
赤くなった顔でにらむサキはとてもかわいい。
少しして、音楽に鈴の鳴るような音が加わり始めた。
サキが、魔法で足場を作ながら右、左とステップを踏むまねごとをすると同時に、足場を蹴った瞬間に音を立てて砕けるように調整しているのだ。細かい破片になった透明な足場は、空気が動くたびにふわりと舞い上がり、きらきらと光を反射しながらやがて消えていく。
(また、恐ろしく器用なことを……)
アルスは、内心で呆れと感心の入り交じったため息をつく。
「これ、ダンスの余興として魔石に組み込んでアクセサリにしたら売れるかしら?」
「ははっ、それはいいかもしれないな」
アルスは笑ってうなずき、サキも今度工房のおじさんたちに提案してみよう、と笑った。
「そういえば、召喚された勇者様って、どんな人なの? やっぱり日本から来たのかしら」
「ああ、言い忘れてたな。実際に会ったわけじゃないから確実なことは言えないが、名前からしてそうなんじゃないかと思う」
ふと浮かんだらしい疑問に肯定で答えると、サキは興味をひかれたようだった。
「へえ、そうなんだ、なんて名前?」
「チズル・タカガキ――だったかな、どんな字を書くかまでは知らない。十六歳の学生なんだと」
「チズル――?」
それまで和やかだった空気が、急に底冷えするものへと変わった。
「ねえアルス、勇者様って、女の子なの?」
「お、おう、そうらしいが……」
「そう」
これまでの会話の、いったいどこがまずかったのか――どうしよう、わからない。
「アルス――浮気しないでね」
「はっ!? えっ、なに、なんでそうなるんだ!?」
思わずステップを間違えそうになってしまった。
「だって……」
「だって?」
「アルスかっこいいでしょう? 優しくて面倒見もいいし。周り中知らない人だらけのところに放り込まれて不安なところに、アルスみたいな人に親切にされて、しかもおんなじ日本出身だとか、好きにならないはずがないもの」
すねたように口をとがらすサキは――(以下略)
二曲目に入った演奏もろくに耳に入らず、足は自動的にからだに染み付いたステップを踏むだけの機械になっている。
「それって、つまりサキのこと――痛いいたい、なぜ蹴る!?」
「蹴ってないわ。出す足を間違えただけよ」
ダンスを踊りやすい体勢まで持ち上げられたサキの爪先は、ステップを間違えたときちょうどアルスのすねに当たってしまう高さにあるようだった。
「わたしの方が出会うのが早かったってだけで、条件はたいして変わらないわ。それなら六年後に十六歳の子供より今十六歳の女子高生を選ぶでしょ、ふつう」
うつむき加減にサキは続ける。
「きっとアルスも、見ず知らずの人たちのためにけなげに頑張って、そのくせ“きっと魔族の人たちとも分かりあえるはずです!”とか言って、“むしろ勇者ではなく聖女だ……!”なんて周りから崇拝されちゃう純真な女の子に絆されてしまうんだわ」
「やけに具体的だな、おい」
「昔友だちが貸してくれた本にあったの。なんか、王子様とか有力者の息子とかが、身分とか立場によらない本当の自分自身を見てくれるって、日本からやってきた女の子に骨抜きにされちゃう話」
「本当の自分自身って……」
それはあくまでも創作の中の話であり、今この現実世界では関係ないことではなかろうか?
それを指摘したらまたステップを間違えられそうな気がしたので黙っていたけれど。
「そう心配するなよ、サキ。仮定の話なんかいくらでもできるし人の心の動きに絶対はないけどさ、俺が出会ったのはサキで、“向こう”の出身だからってだけでサキを好きになったわけじゃない」
「……知ってる」
鈴の鳴るような音が弱々しく響く。
「どんな時間になっても、少ししかいられないとしても、絶対に会いに行くからさ」
「……うん、待ってる――」
「ああでも、あんまり遅いときは、ちびっこの成長によくないから待たずに寝とけよ――だから痛いって」
またサキはステップを間違えたようだ。右と左を交互に出すことを忘れさえしなければ案外なんとでもなるというのに、器用なものである。
曲が終わったので足を止めサキを抱き上げると、首にぎゅっとしがみついてくる。
「あのね、アルス」
「どうした?」
「もし勇者様が手作りのお菓子を持って来ても、もらっていいのはクッキーまでだからね、あとはマフィンとか」
「へっ、クッキー? マフィンが……えっと?」
言っていることの意味がわからず――いや、意味はわかるが意図がわからない――サキの方に首を向けるが、リボンを結んだ黒い髪しか見えない。
「絶対に、プリンだけは受け取っちゃだめよ」
「なぜプリン?」
「アルスって、わたしみたいな素人でも作れるような、手の込んでないお菓子の中だったら、一番プリンが好きでしょう?」
それを話した覚えはなかったのだが、サキは気がついていたらしい。いい大人が(それも男の)、プリン好きというのも何となくはずかしいというか、公言するのにためらわれるというか――
ぱっとアルスの首もとからサキは顔をあげて、
「だから、アルスにプリンを作っていいのはわたしだけなの」
と、ほんのり頬を染めてどこか怒ったように宣言するものだから、了解のしるしに思い切り抱き締めてしまったのは、きっと不可抗力のはずだった。
梅干しメモ
もうすぐ梅の季節ですね。梅干しの漬け方は料理本とかグーグルな先生にまかせるとして、こむるの家でいつも作るときのちょっとしたコツ的なものを簡単に紹介します。
・漬ける梅の大きさは、そのままお弁当に一個入れるなら小~中くらいがたぶん食べやすい。種をとっておにぎりに入れるなら大でもいいんじゃないかな。適当にちぎったりできるし。どれくらい梅干しが好きかにもよる。
・慣れてない人、管理能力に自信のない人は塩分高めが無難でしょう。15パーセントくらいほしい。うちは18で漬けてました。
・梅はやさしくに扱おう。完熟の梅を使うから、梅酒を漬けるときよりも傷つきやすい。
・紫蘇のアク抜きはしっかり。きれいな紫の汁が出るか出ないかくらいまでがんばる。でもやり過ぎると色が抜ける。
・我が家では、紫蘇を少量の梅酢と一緒に大きめのすり鉢に入れて鉢にこすり付けるようにしながらもみます。そうすることで紫蘇が柔らかく、色もより鮮やかに仕上がります。あと、紫蘇は多め。
・よく晴れた日にしっかり塩を吹くくらい天日干しをして一晩梅酢につけ戻すのを三回。ただし、これをやると梅酢がすっごい減る。ので、我が家では梅酢とる用の梅漬けとかもやってた。




