6.
そしてこくりと首をかしげ、累と市子とを見比べる。
「それで、アナタ達は? もしかしてコレの味方?」
「違う!」
床に転がる空太をエレノアが示すのを見て、累は激しく首を横に振った。
「私の名前は支倉累。こっちは市子」
「……市子、よ」
数秒置いて、市子は名乗った。
その奇妙な間が気になり、累はちらと隣に立つ市子の様子をうかがう。
市子は明らかに緊張していた。その口元にはあの妖しげな笑みはなく、紅い瞳はその挙動のいちいちを見逃すまいとばかりにエレノアを凝視している。
今までにない市子の警戒に、累もまたマギペンをきつく握りしめた。
「それで、その……リーさんは、なにをしているの? どうしてその――その、男を」
「エレノアでいいわ」
エレノアはやんわりとした口調で答えた。そして子供のように首をかしげ、自分の足下に倒れる空太の姿をしげしげと眺めた。
「どうしてこの男を襲ったかって? そうねぇ、強いて言うならついでだわ」
「ついで、だって……?」
「そうよ、そうなの。私はね、この男自体はどうだっていいの。この男なんてハンバーガーについているポテトのようなものだわ。ようするにおまけ」
「ポ――ッ!」
ポテトをおまけ扱いするな!と反射的に叫びたくなったが累はなんとかこらえる。
そんな累を怪訝そうな目で伺いつつ、代わって市子がたずねた。
「その男があなたの目的じゃないのなら、あなたの目的は何?」
「そうよ……この男が連れていた女の方に用があるの」
「それって、岡崎梨沙の事?」
梨沙に殴られた思い出が脳裏をよぎり、累は顔をしかめた。
しかし累がその名前を口にした途端――そんな怒りも吹き飛ぶほどの事が起きた。
「うふふふふふふふ……リサ……そう……うふふ……」
肩を震わせ、エレノアが道士服の袖で口元を覆う。
しかし、その笑みは隠せない。
「そうよ、そうなの、その通りッ! オカザキリサ……岡崎……ふふ、ふふふ……あの忌々しい……オカザキリサ……おかざきりさ……岡崎梨沙……うふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ、ふふふふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふ――!」
細い喉から、堰を切ったように笑い声が溢れ出す。
火傷痕が引きつる。微かに見えた口元はいびつな弧を描いていたが、淀んだ緑の瞳には笑みの欠片もなく、奇妙に冴え冴えとした色をしている。
「……この人……ッ」
呪詛のような哄笑に、累どころか市子さえも後ずさる。
エレノアは笑いながら、何度も壊れたおもちゃのようにうなずいた。
「そうよ、そうなの、その通り! その女よ! うふふふふふふ……アナタ達も知っていたのね、あの女を! すごいわ、素敵だわ、有名人なのねェ!」
「お、岡崎梨沙に……なんの用事があるの? なにか、されたの?」
今にも逃げ出しそうな体に発破をかけ、累はなんとかたずねる。
その瞬間、エレノアの動きがぴたりと止まった。
同時にまるで洗い流したように、その顔から表情の一切が消える。能面のようなその顔に、累は今まで以上の震えを感じた。
「えぇ。あの女は私の敵なの」
エレノアはゆるゆると片手を持ち上げ、火傷痕に触れた。
「あの女は我が一族を殺し、犯し、焼き払った者どもの関係者……そうしてまた、あの女自身も私に厄災をもたらした……あの女の仲間と同じように。この呪わしい定めに従って、私は速やかにあの女を殺さねばならない……焼却しなければならない……」
火傷痕を撫でさすりながら、エレノアは呟く。
抑揚のない声で紡がれるその言葉は、まるで呪詛の言葉のように聞こえた。
気づけば、累は無意識のうちに短刀の柄に手をかけていた。
「……るい」
市子が累の名を呼ぶ。
その声にかすかな――だが確かな不安を感じ取り、累はごくりと唾を飲み込む。
はじめて市子と出会ったときの感覚を思い出す。だが目の前で偏執的に火傷に触れるエレノアの姿は、市子に対する恐怖とはまったく別の恐怖を累に与えていた。
確かに、人間なのだ。
だがなにか決定的な――根本的なところが、この女は壊れている。




