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蒐集少女の拾遺譚  作者: 伏見 七尾
Ⅲ.火宅の剣
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5.

 つまらなそうな顔になりつつも市子はうなずくと、累の側に立つ。

 累は小さくうなずき、扉に耳をつける。騒々しい足音が聞こえた。廊下の向こう側から、こちらに向かって近づいてきているようだ。

「――来るな! 来るな! ボクをなんだと――ひ、ひぁあああ!」

 甲高い空太の悲鳴に、市子が眉をひそめた。

「……何かから逃げているみたいね」

「あの人形かな。とりあえず様子を見よう。どのみちこの屋敷にいる限り、あいつらとはゼッタイに顔を合わせることになるんだ」

 累は目を閉じ、呼吸を整えた。

 そしてタイミングを見計らい、ぱっと目を見開いた。

「――行くよ!」

 勢いよく累は扉を押し開ける。

 まさにその瞬間、廊下の向こう側で空太が盛大に転んだ。

「ぎゃああ! く、くそ! くそ!」

 激しく床に体を打ち付けた空太は悪態を吐き、必死で起き上がろうともがく。眼鏡にはひびが入り、どういうわけか体中に火傷を負っているように見えた。

「……どうしよう」

 累は一瞬、迷った。明らかに何かに襲われている様子の空太を助けるべきか。それとも――。

 しかし結論を出すよりも早く――低い女の笑い声が耳朶を打った。

「ククク――どうしたの、どうしたの? まさか、もうお終い?」

「ひ、ひぃ! 来るな! 来るんじゃない!」

 青ざめた顔で空太が後ずさった。

 かつ、かつと、高く威嚇するような靴音が廊下に響き渡る。やがて怯える空太の前に――累達の視界に、背の高い少女の姿が現れた。

「兎狩りより呆気ないわ。ふがいない――ふがいない男」

 歳は十八、九ほど。亜麻色の髪を長く伸ばし、後頭部で編み込んでまとめている。黒と深緑の道士服を思わせるようなデザインのドレスに包んでいた。

 累達には横顔しか見えないが、やや彫りの深い西洋的な顔立ちをしているのがわかった。

「フン……葵家の人間は技術に優れていると聞いたけど、がっかりね。ぴぃぴぃ泣いて逃げ回ることしかできないんだから」

 どこかぎこちなく――そして早口な口調で少女は話しつつ、空太を見下ろした。

「ボ、ボクがなにをしたというんだ! なんでボクを襲う! お前はなんだ!」

「なにをした? なにをしたと聞いたの? ふふ、ふふふふふ……」

 道士服の少女は片手で顔を覆い、肩を震わせて笑い出す。

 しかしその笑い声は唐突に止まった。

 指の隙間でぐりりと少女の目が動き、緑の瞳が食堂の扉を――のぞき込む累の眼を捉えた。

「――ダレ?」

 その瞬間、累は反射的に背後に跳んだ。

 心臓の鼓動が一気に早まる。どっと冷や汗がにじむ。

「るい……?」

 ゆるゆると数歩後ずさる累の名を、どこか気遣わしげに市子が呼ぶ。

 累は口元を押さえたまま、ぶるぶると首を振った。

 まばたきさえできない。渇いた眼球が痛みを伝える。だが、少しでもまぶたを閉じれば、あの緑のまなざしが再び自分を射貫くだろう。

 あの――杯の底にわだかまる猛毒にも似た、殺意に淀んだ瞳が。

「どなたか知らないけれど、こちらにいらっしゃいな。のぞきは良い趣味ではないわよ――ねぇ、オマエもそう思うでしょ?」

「ぎゃあぁ!」

 朗らかな女の声が響いた直後、空太の悲鳴が響く。

 ばきんと何かが折れるような乾いた音が聞こえ、累は一気に身を縮めた。

「隠れるのも、逃げるのも難しそうね。――るい、出た方が良いと思うけど」

 市子は震える累の背に、そっと手を添えた。

 累は深く呼吸を繰り返し、小さくうなずいた。初め出会ったときは恐ろしくてたまらなかった市子の存在が、今はこのうえなく頼もしい。

「どうしたの? どうしたの? 早く出てこないと、私退屈してしまうわ」

「……今、行くよ」

 市子に付き添われながら累は扉を開けた。

 道士服の女が低い笑い声を漏らして、振り返った。

「よかった、よかった……良い子ねぇ、アナタ。言うことをきちんと聞く子は好きよ」

 道士服の女が透き通るように白い顔をほころばせる。

 しかし、累はその顔を見て一瞬息を呑んだ。

「ひっ……!」

「……あら? あぁ、びっくりさせてしまったわねェ。私ったら本当にドジなんだから。こんなのいきなり見たら驚くものねぇ」

 道士服の女は唇を尖らせ、その顔――の左半分に刻まれた醜い痕に触れる。

 火傷の跡だろうか。額から頬までの皮膚が赤く爛れている。凄惨な傷痕の中で、淀んだ緑の瞳がぎらぎらと異様な輝きを宿していた。

「私はエレノア・リー。香港から来たの」

 道士服の女――エレノアは自分の胸に手を当て、弾むような口調で名乗った。


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