6.
玉砂利の敷かれた道を踏み、累は早足で庭園を歩く。
広く、また凝った作りの庭園だった。あちこちに川や池が造られ、朱塗りの橋が小島を繋いでいた。各所に無数の橘の木が植えられ、その花がかすかな芳香を漂わせている。
「何が起こるかわからないと言っていたくせに、ずいぶん不用心に歩くのね」
その側を歩く市子が、やや咎めるような口調で言った。
累は振り返らず早口で答える。
「とっとと済ませたいだけ」
「そう。まぁなんでも良いけれど……それにしても、外ってこんな感じなのね」
市子は興味深そうに宙を泳ぐ金魚に指を伸ばす。
魚達は見た目こそ本物そのものだが、実際は幻影のようだ。金魚は市子の指をすり抜け、どこかへと泳いでいった。
その様子をちらとうかがい、累は小さく首を振った。
「違うよ。ここははざまの中。キラの作り出すまやかしの世界だよ。本当の外の世界の月はあんなにでかくないし、魚だって空を飛んでない」
「そう。わたしは外になんか出てなかったってことね」
「それは、えっと……」
その言葉に、一瞬累はどう答えたものか悩む。
思えば、市子はずっと座敷牢に閉じ込められていた。そして今ようやく出られた外の世界がまやかしだと知り、どんな思いでいるのか。
苛立ちのまま、ひどく残酷な事を言ってしまったのでは――今になって後悔が押し寄せる。
そして二人無言のまま、温室の硝子扉の前に立った。
「……なんだか、ここだけ外国の建物みたい」
温室を見上げ、累は呟く。
硝子と鉄骨で造られた、モダンな作りの温室だった。硝子の向こうにはぼうっとした明かりが灯っていて、無数の植物の影が浮かび上がっている。
おもむろに市子が手を伸ばし、扉のノブに手をかけた。
「ちょっと、もう少し中の様子を確認してから――」
「何を今更言っているの? さっき、あんなに無防備に歩いていたくせに」
累の制止を押し切り、市子はがちゃりと扉を開けた。
途端、温かい空気が押し寄せてくる。
「嫌ならここで待っていれば良いのよ」
「あ、ちょっ……もう……」
躊躇いなく足を踏み入れた市子に続き、累も怖々と中に入った。
得体の知れない木々が高く生い茂り、視界はあまり良くない。給水設備があるのか、ちょろちょろと水の流れる音がどこからか聞こえる。
――For I have loved you for so long
「歌……?」
澄んだ歌声が流れてくるのを聞いて、累は反射的にマギペンを抜いた。
寂しげな曲だった。
市子が首を傾け、耳を澄ませる。
――Delighting in your company
「るい、貴女はこれがなんという歌か知っているの?」
「聞いた事ある気がするけど……今はどうでもいいでしょ。誰がこれを歌ってるのか――」
言いながら、累は市子の側をすり抜けて温室の中を進む。
――Greensleeves was all my joy
温室自体はこじんまりとしているが、内部はやや入り組んだ作りになっていた。細い石の道の脇にも無数の花壇が設けられ、ローズマリーなどが育てられている。
――Greensleeves was my delight
「るい、あなたって時々すごく無謀になるわよね」
「し、仕方ないでしょ! ともかく状況を確認しないことには――う、わ」
小さな石段を登り切ったその時、目の前が急に開けた。唐突に広い空間に出た累は一瞬とまどい、思わず数歩下がる。
天井から降り注ぐ月光が辺りを照らし、視界はわりかし明るい。
眼前には丸い大きな池があり、水面には色とりどりの睡蓮の花が浮いている。
そしてその池の前に、白い傘が見えた。
「――見事なものですね、この睡蓮の花は」
傘を差した何者かは累達を見ることもなく言った。それは、あの歌声と同じ声だった。
「だ、誰……?」
短刀に手をかけ、累は慎重にたずねる。
すると白い傘が揺れ、睡蓮を観賞していた人物が振り返った。
「ですが、わたくしの一番好きなオオオニバスがない。これは残念なことです」
無表情で肩をすくめたのは、西洋人の少女だった。
肩に掛かる程度の白髪に、睡蓮を模した硝子の髪飾りをつけていた。作り物めいて美しい顔立ちをしているが、その表情はどこか冷ややかだった。
ブラウスに黒いロングスカートを合わせ、両手両脚はそれぞれ長手袋とタイツで覆っている。
「女の子……?」
言いながら、累は片手を短刀の柄から離さなかった。
かすかな違和感があった。
日傘の少女はやや首をかしげて、累と市子を交互に見つめている。その様子は、累と同年代の普通の少女にしか見えない。
だが、なにかがおかしい。極端に肌の露出が少ないことも妙に気になった。
「あ、貴女は誰? 蒐集師、なの?」
「蒐集師……あぁ、そういうことですか。これは面倒な」
日傘の少女は累の手に握られたマギペンを見て、小さくため息を吐く。
累はきつくマギペンを握った。
「さっき、この温室の中で何かが光るのを見たんだけど……」
「あぁ、それはわたくしが入ってきた時の光でしょう」
「まじないを使ったって事? 確かにまじないの光みたいだったけど」
「まじない? いいえ、そんな小細工をする必要はわたくしにはございません。堂々と正面から入らせていただきました」
日傘の少女はかすかに唇を吊り上げた。
途端先ほどから感じていた違和感がさらに強まり、累は眉をひそめる。




