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蒐集少女の拾遺譚  作者: 伏見 七尾
Ⅱ.月光硝子
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4.

「馬鹿なのよ」

 吐き捨てるような市子の呟きが耳朶を打った。

 手帳から累が顔を上げると、市子は机に手をついて、じっと夜真のノートを見下ろしていた。長い髪がすだれのようにかかり、その表情はほとんど読めない。

「馬鹿で、残酷で、身勝手な男だった」

「……夜真のこと?」

 累がたずねても、市子はしばらく答えなかった。

 微かに見える唇が迷うように開き、閉じる。累はそれを見つめ、自分の膝に視線を落とした。

「……親なんて大概、馬鹿で残酷で身勝手だと思うけど」

「あら」

 市子がわずかに首をかしげ、意外そうな目で累を見る。

 累は目を伏せ、小さくため息を吐く。

「少なくとも私は優しくて、なんでも子供のためを思ってくれる親なんて知らない」

「ふふふ、奇遇ね。わたしも同じよ」

「嫌な共通点だなぁ……」

「そう、あなたの親もひどかったの……ねぇ、るい」

 不意に目の前に気配を感じた。

 はっと累が目を見開くと、間近に市子の紅い瞳があった。あとほんの少し市子が顔を寄せれば、キスしそうなほどの距離だった。

「あなたの親はあなたにどんなひどい事をしたの?」

「それは……」

「掌を杭で打たれたことはある? 焼けた火箸で眼を刺されたことはあるわよね? 鋏で腹を切り開かれたことはある? 飢えた犬をけしかけられた事はないの?」

「い、いや、そんなコトしたら――」

 死んでしまう。その一言を、累は思わず呑み込んだ。

 脳裏によぎるのは、夜真の描いた残酷な絵画。あの絵で引き裂かれ、殺されていた少女の姿は市子のそれと瓜二つだった。

 累は何故、あの絵がいやだったのか。

 それはあの絵の少女の瞳がいやだったからだ。どれだけ残虐な目にあっても、奇妙な生命力を宿していたあのほの暗いまなざしが。

 ちょうど今目の前に迫るそれと同じ、紅い瞳がいやだった。

 あの絵の少女と、市子は本当に同じなのか。

 目の前の市子は五体満足で、確かに生きている。けれどもその言葉の数々は異様で、まるであの少女がそのまま語っているかのようで――。

 目眩を感じる累の胸に、とんっと市子の指先が触れた。

「この服の下は傷だらけだったりする?」

「ちょ、ちょっとやめてよ。何をする気? さ、触らないで!」

 市子の指先がまるで蜘蛛の如く蠢き、先ほど繕ったばかりのブラウスの襟にかかる。

 身を引こうとする累に対し、市子はさらに距離を詰めてくる。

 その瞳は、まるで沼のように暗く深い。

「痛めつけられたら、痕が残るのよ。わたしと違ってあなたはそうでしょう?」

「あんた、なにを――」

「見たいわ、綺麗な貴女に残る醜い傷痕――どんなものかしら」

 吐息混じりの市子の声。同時に累の著ているブラウスのボタンが、一つぷつりと外れた。

 血の気が引いた。考えるよりも早く、累は市子の手を掴もうとする。

 しかしその寸前で、市子がぴたりと動きを止める。

「な、なに、どうしたの……?」

 まるで凍り付いたかのように静止した市子に、累はどこか不安感を覚えた。

 市子は顔を上げる。瞬きすらしないその瞳は、じっと中空を見つめているように見えた。

 やがてその唇が微かに動き、短い言葉を紡ぎ出す。

「――来る」

 直後――きん、と。硝子の鈴を鳴らすような、かすかな音が響いた。

 累は息を呑み、マギペンを引き抜く。

「なに……なんか、空気が……」

 寒気とは別の感覚に、背筋がぞくぞくと震えた。

 きん、きん、と鈴の音は続いている。それは、屋敷全体から響いているように感じられた。

 市子がゆらりと首を動かし、窓の外を見つめた。

「あぁ……来たわ」

 その時、鈴の音が絶えた。

 直後ずんっと空気が震え、累は思わずテーブルに手をついた。

「なにが……」

 警戒して辺りを見回す累の目に、部屋の奥にある窓が映った。

 その向こうで、閃光が瞬く。


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