2.
「そのようね。こんなものもこの屋敷にあったのねぇ」
市子は塁の手を離すと、興味津々といった様子で本棚を見上げた。
一方の累は慎重に、部屋の中央に置かれた机に近づいた。その上には、たった今し方まで誰かがそこにいたかのように、いくつかの本が開いたまま置かれている。
「るい、あなたは本を読んだりはするのかしら?」
椅子に座ったところで、市子がとりとめもない質問を投げかける。
累は困惑し、振り返った。
「読むけど……それがどうかしたの?」
「別に。私は本や絵巻物を読むのが好きなのよ。あんな牢の中じゃ他に娯楽もないから。ねぇ、あなたはどんな本を読むの?」
「どんな本って言われてもな……多分、あんたが知らない本ばっかりだよ」
「ふぅん」
市子は退屈そうに鼻を鳴らし、本棚から適当な本を一冊抜き出した。
累も机の上の書物に手を伸ばす。黒革で装丁された、やや厚みのある本だ。表紙にはなんの文字も書かれていない。
本を開くと、目の前に見覚えのある紋様が広がった。
「まじないの本……いや、ノートだこれ」
やや黄ばんだページには、鉛筆や毛筆で無数の陣や呪文がびっしりと書き込まれている。細かい筆致で記されたそれらには、累もいくらか見覚えがあった。
夢中でノートを読む累をよそに、市子は退屈そうに小さくあくびをした。
「父様、外つ国のまじないにご執心だったから」
「そうみたいだね……少し間違ってるとこもある。これで勉強してたんだ……」
「まじない、好きなの?」
「好きというか……私はまじないをたくさん使う蒐集師だからさ」
累の師であるめぐるは、まじない師の流れをくむ蒐集師だ。累を弟子にしたのも、自身の流派が絶えないようにするためだった。
夜真のノートに記されているのは、めぐるの系統とはまた違ったまじないのようだ。
「メモ……するよりも、写真撮った方が早いかな」
「しゃしん?」
首をかしげる市子をよそに、累は鞄からスマートフォンを取り出した。
写真アプリは問題なく動くようだ。累はページに焦点を合わせると、画面をタップした。
「ッ!」
フラッシュが瞬いた途端、市子がびくっと身をすくめた。
後ずさる彼女を見て、累は慌てて謝る。
「あ、ご、ごめん……そうか、スマホ見たことないんだっけ。驚かせてごめん」
「……それは何?」
市子は強ばった表情で、累の手元のスマートフォンを指さした。
「これはその……すごく便利な道具というか。電話もできるし、写真も取れるし、遊んだりもできるの。そういう、ちょっと機能がたくさんある道具」
「でんわとは何?」
「え、あ、そこから……遠くの相手と喋ったりとか、こんな風に画像をとったりとか――ちょっと、こっち来なよ。こんな感じなの」
市子がそろそろと近づいてきて、累の手元をのぞき込んだ。
累はスマートフォンを弄ると、それまで撮った写真をいくつか表示する。茶屋町や、かつて城主が所有していた古い庭園の風景が液晶画面に映し出された。
市子が大きく目を見開き、累の肩から身を乗り出す。
「……きれいね」
「そ、そっか。気に入ってくれたなら良かった」
「これ、絵じゃないのね」
「あ、うん。これが写真。えっと、なんといったらいいか――」
「……機械を使って、そこにあるものをそのままに描き出すものかしら」
把握が早い。累は驚きつつ、さらにいくつかの写真を見せてやった。
とはいえ、それほど見せられる写真はない。ほとんどが風景や、あるいは芸術品などを取った物ばかりだ。他人と写った写真などはごくわずかだった。
友達少ないなぁ。累はしみじみと思う。
市子はしばらく黙って画面に魅入っていたが、ある写真でぴくりと反応した。
「それ、いいわ」
「え……あぁ、これ。前にいた中学で撮った奴だよ。人数足りなくて、途中で廃校になってさ。その時に最後だからって撮ったの」
市子が指さしたのは、中学時代に撮った写真だった。
累を合わせた五、六人の学生が桜の木の前で写っている。これで一クラス全員だ。しかし、当時この小さな教室の中で累と親しい関係にある者はほとんどいなかった。
今も昔も友達が少ない。改めてその写真を目にして累は思い知る。




