20.
書斎を出ると、ランプに照らされた薄暗い廊下が左右に伸びていた。
赤い土壁には無数の絵画が掛けられている。どれも作風や色彩の使い方が似ていて、同一の作者の作品であることが見て取れた。
絵の隅には蛇をモチーフにしたような【真】の字の花押が押されている。
「夜真の作品……」
どれも夜真の作品のようだが、めぐるにみせられた作品とは大きく様相が異なる。
そこで累はふと思い出し、鞄からスマートフォンを取り出した。
「……そりゃそうだよねぇ」
画面上部に浮かぶ『圏外』の文字。時計の数字はでたらめに進んだり戻ったりして、正確な時間が確認できない状態になっていた。
しかし累は構わずメールアプリを開き、いくつかのメールに目を通した。
「……どれも初期の作品に似てる」
めぐるからもらった資料と絵画とを見比べる。
初期――無惨絵に傾倒する前の夜真の作品は、御伽噺や怪談をモチーフとしたものが多い。この頃の作風は色彩を絞り、余白を極端に強調する事が多かったようだ。
この頃特に多く描いた画題は竹取物語と、八尾比丘尼伝説。
うら寂しい画風で描かれた不死の美女達を見て、累は眉をひそめた。
「……合わないなぁ」
夜真の初期作品は数が少ない。ここにある絵画がもし市場に出回れば、コレクター達によって相当の価値がつけられるだろう。
しかし累はどうしてもその絵を手元に置きたいとは考えられなかった。
「なにがこんなに気に入らないんだろう……」
累は首をひねりつつも歩き出そうとする。
しかしその時、廊下の向こうからだだだっと誰かの足音が聞こえた。
「っ――!」
累はとっさに身を隠そうとしたが、間に合わなかった。
廊下の角から一人の男が飛びだしてくる。空太とは真逆の、大柄で筋肉質な体型をした壮年の男だ。タクティカルベストを着て、迷彩色のズボンを履いている。
壮年の男は累の前で派手に倒れ込み、悪態を吐いた。
「くそっ、くそっ……! こんな……!」
「だ、大丈夫……ですか?」
身を縮めつつ、累はおずおずと声をかける。
すると想念の男はびくりと巨体を震わせ、ゆっくりと累の方に顔を向けた。
その瞬間、累は息を呑む。
「ひっ――!」
「き、きみは……? 何故この屋敷にいるんだ……まさか蒐集師なのか? その年で、私と同じ蒐集師なのか……?」
壮年の男は早口で問いかけつつ、四つん這いで累に近づいてくる。
その顔面は鮮血で真っ赤に染まっていた。
「ま、待って! 止まって下さい! 血が……!」
「止まる? ダメだ、私は止まるわけにはいかない。止まったら奴らが来る……私は夜真のざくろ石が欲しかったんだ、私は永遠などには興味がないが……ただざくろ石はきっと人間をより高みに――あるはずなんだ、夜真のこの屋敷に――」
壮年の男はうわごとを言いつつ、累に向かって進む。
男の体が床に血の帯を引く。腹部に重い傷を負っているのだろうか。
「落ち着いて! ともかく手当を――」
「いや……もう、遅い」
男の声が急に和らぐ。
その時、カタカタと奇妙な音が辺りに響き渡った。
「なに――?」
累が顔を上げた瞬間、廊下の角から長いものが高速で伸びてきた。
それは人間の腕を模して作られた、木製の腕だった。十を優に超す数のそれが蛇の如くくねりつつ、一斉に男の体を掴む。
「逃げなさい、早く」
壮年の男は穏やかな顔で累に語りかけた。
しかしそれはほんの一瞬のこと。瞬きを終えるよりも早く、男の体は木の腕によって廊下の向こうに引きずり込まれた。
「あ……」
累はただ呆然と、床の上に伸びる男の血痕を見る。
びしゃっと湿っぽい音がした。ゆるゆると視線をあげると、床に血飛沫が飛んでいる。
凍り付く累の視線の先に、巨大な獅子の顔が現れた。
深紅の顔に金のたてがみをそなえたその顔は、獅子舞の頭によく似ていた。獅子はカタカタと音を立てながら、ゆっくりと廊下の角からその全身を現す。
人間のように二足で移動している。金色に輝く鎧をまとい、四本の太い腕を持っていた。
その胸元は血に濡れて光っている。
獅子の眼球が不規則に動き、累の姿を捉えた。




