序
その昔、テレビゲームをやっていてふと思ったことがあります。RPGのセーブデータに人格があったらどうだろうか、と。
育成をミスったり飽きてしまったり学校の成績が下がったり、様々な理由で削除されたキャラクターたちは、「あっち」の世界ではどうなっているのか…?
どういう展開になるのか、まだ自分の中でも大まかにしか決まっておりません。
更新速度はまちまちになりますが、よろしければお付き合いくださいませ。
「――やれやれ」
ダンジョンの入口へどうにか逃げ戻って、俺は荒い息を整えていた。
言い訳がましくなるが、探索に失敗したのは断じて俺の責任ではない。出没している魔物も俺自身も、レベルはともに中堅といったところだが、俺が身に着けている装備は旅を始めてふたつめか三つめの町であつらえたもの…つまり、現状では紙も同然である。そもそもが、ダンジョンに踏み込んで早々に上級呪文だの奥義だのを連発していては、ボスのいる最奥部に辿りつくはるかに手前で魔力もアイテムもきれいさっぱり使い切ってしまうではないか。
実際、俺の体力は限界まで消耗し、剣は折れ、服は焼け焦げ、もはや最も初歩の呪文を唱えるだけの魔力も残っていない。痛む体中の傷を手当てしたいのはやまやまだが、道具袋の薬草もとっくの昔に底をついていた。
とはいえ、自分の判断で技を節約することなどできぬ相談。ひとたびコマンドが入力されれば、その意に沿おうが沿うまいが拒むことはできない。それが、PCというものの宿命であるのだから。
しかし、いかに不本意な命令に従ったがゆえの敗北だとしても、それは身勝手な主人――つまりプレイヤー――の不興を買うには十分だ。そして、プレイヤーはキャラクターの生殺与奪の全権を手にしていると言っても過言ではなく…PCには、しばしば理不尽きわまる末路が襲いかかるものである。
「もういいや、つまんない」
俺が最も恐れていたひとことが、天の声となって降ってきた。
――ああ、これまでか。
体の芯がすっと冷え、周囲の景色が彩りを失う。唇からは血の気が引いて青くなっていたことだろう。しかし、心のどこかが妙に冷静なままで、俺は他人事のようにお払い箱にされる自分を観察していた。
主人は、飽きたデータをただ放置するのではなく、消去することを選択したらしい。まず荷物の重みが失せ、装備がひとつずつなくなっては、初期設定に戻っていく。頭の中にはこれまでの冒険の記憶が次々と浮かんでは泡のように弾けて消えていった。服や身体は末端から徐々に透けていく。
腕が肩まで消え、自分の名前を忘れたところで、ついに俺の意識は途切れた。
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――ここは、どこだろう。
全く見覚えのない景色だ。
――否。
何も思い出せない。
自分が、どこの誰であるのかも。
頭の中を去来する情景は細切れなうえ無秩序で、何が何やら見当がつかない。
だが、怒りは残っていた。何か理不尽なものに対する、やり場のない、やるせない怒りが。
なにか手がかりになるものはないかと、服や持ち物をまさぐってみる。ごわごわとした麻のチュニックに質素なズボン、使い込まれてくたびれた外套と靴。これらの品物が何なのか難なくわかるところを見ると、ものを考えたり識別したりすることはできるようだ。
腰には古びた短剣と小物入れが下がっており、中を見れば一握りの硬貨と、薬効があるとおぼしき乾燥した植物が入っている。初期装備、という言葉が脳裡でゆっくりと明滅した。その意味するところはいまひとつ定かではないが、自分の来歴と何らかの関係があるような気がした。
あらためて、四方を見回してみる。まるで特徴のない――というより、ここまで何もない景色も珍しい。山もなければ川もない。木も草も生えてはいない。建物ももちろんない。空と大地との境界すら定かではない、どこまでも白い空間が続いている。足の下に感じる硬い感触によってのみ、地面らしきものがあるのがわかった。獣や鳥の姿など、望むべくもない。
ともかく動いてみよう。歩いていけば、何かが見つかるかもしれない。そう自分に言い聞かせて、俺は道なき道へ足を踏み出した。
ひとたび歩きはじめると体に血が通いだし、それにつれて頭もしっかりしてくるようだった。とりとめのない記憶の断片が徐々に整理され、ひと続きのストーリーにまとまっていく。さしあたって、自分がどんな育ちをしてきたのかはおぼろげに分かった。だが肝心の要素、ここへ至る道が思い出せない。
それから、どのくらい歩き続けただろうか。足は痛み、膝は震え、疲労に視界がかすむ。だが目に入るものは相も変わらぬ真っ白な景色だけ。そもそも距離や移動の概念は、ここにあるのかどうなのか。昼と夜の移り変わりもないらしく、明るさが変化することもなかった。もはや時間の感覚も失われかけていた。
――とんでもない場所に放り出されてしまった…
背中を冷汗がつたい落ちる。果てしなく広がる、空白。生き物もおらず、水すらない、そもそも天地の別もわかぬこんな土地――土地という呼び方も適切かどうか――で、どう生きてゆけばいいのか。
いや、それどころではない。自分の息の音よりほかに聞こえるものもない孤独の中では、肉体が参るよりもずっと早く、精神のほうがどうにかなってしまうに違いない。さりとて他所へ行くこともできない。なにしろ、どこをどうしてここまで来たのか覚えていないのだから…
あまりの事態に思わず膝をついた、そのときだった。背後から声をかけられたのは。
「…あの…」
俺に負けず劣らず心細げな声だった。振り向いた先に、俺は待望の仲間を見出した。