古き理篇 九
仙人郷の空気は澄んでいる。いや、私の元いた世界と比べれば、この山の空気はいつでもどこでも澄んでいるけれど、それが実感できなかっただけだ。南都ではひたすらあちこち逃げ回っていたし、北都は寒過ぎて空気が綺麗なんてボケた事言ってる暇なんてなかった。
今そう実感できるのは、目の前の光景が私にはちょっと理解ができな過ぎて、ただ呆気に取られたまま見る事しかできなかったからだ。
礼をした後、辰巳はすぐに甲さんに斬りかかるけど、それは甲さんに届く事がなかった。仙術? 一瞬そう思ったけれど、違う。何もせずともいきなり辰巳は吹き飛ばされたのだ。
「うぐっ……!?」
「ちょっ!」
私が思わず息を飲む。辰巳は岩に突き飛ばされるんじゃないかと思ったけれど、それより前に岩を蹴って地面に綺麗に着地した。相変わらず辰巳の動きはカンフーアクションみたいに訳が分からない。その地面に着地した勢いで地面を蹴り上げると、またも辰巳は甲さんに襲い掛かった。今度は太陽を背にして襲い掛かるものだから、普通だったら太陽の光で目を細める所なのに、甲さんは、目を閉じていた。
ああ……。思わず私は唸る。前に辰巳が目を閉じて戌亥さんの金鞭避けまくったのと一緒だ。同じ事を甲さんができない訳がない。
それにしても、どうして甲さんは辰巳の行動を見てもいない、聞いてもいない、そもそも仙術を使ってもいないのに把握してるし、反撃できてるんだろう。私は思わず不思議に思って観察した。訳が分からない動きだけれど、練習すればできるようになるんだから、傍から見ててどうにかならないかなと、せめてもの期待を込めて見ていた。
大きな尻尾を七尾、ピンと立てて辰巳を見守る甲さん。もしかして、甲さんは尻尾の揺れで反応してるの? そりゃ辰巳は尻尾なんて生えてないから、そんなんで判断できる訳ないけど。でもあれ? 辰巳はそもそも戌亥さんの動きを尻尾なんて生えてないのに把握してたから、尻尾は関係ない。だとしたら何だろう。いつも辰巳がしてた事を、甲さんもできると考えたら……。
私が思わず考え込んでしまっていたら、戦況は刻々と移り変わって行く。
剣は何故か跳ね飛ばされた。そして衝撃波が飛び、辰巳の腹に傍から見ても分かりやすい衝撃が飛ぶ。腹部がこう、ベコーンとへこんで見えるのだ。
「うっぷ……」
「辰巳!?」
私は悲鳴を上げる。ちょっと待ってちょっと待って。何でこれ、何も出てないのに衝撃波が出て、辰巳がダメージ受けてるの!? 私は辰巳が吹き飛んだ方向へと思わず走って行った。
「ちょ……アンタ大丈夫?」
「……俺の昇格試験だ。これ位は想定内だ」
「想定内だ、とか格好つけてる場合か!? アンタ、帰ったら北都国の軍師なんだよ!? 万里の長城の人達皆一斉避難させなきゃなんだよ!? 私達は逃がすつもり満々だけど、もしかしたら丁はもっとあくどい事するかもしれないし、私ら帰る前にひどい事するかもしれないし!
だから、アンタが怪我してくたばるな。絶対勝てる方法、アンタだったら考え付くでしょう?」
「……うるさい」
少しだけ辰巳の空気が変わったような気がする。血が昇っている風ではない。辰巳は最初から割と落ち着いている。それがより一層静かになったのは、辰巳もまた勝つ方法を考え始めたからだ。
「……見ていてどうだった?」
「どうだったって?」
「お前は仙術や宝貝について詳しくない。そんなお前から見て、気付く事があれば言え」
「無知な私の力が必要か、馬鹿め」
「うるさい、調子に乗るな」
「へいへい」
私と辰巳は散々軽口を叩き合いつつ、見ていてありえないと思った動作を思い返す。だって、本当に甲さんは何のアクションも起こしてなかった。仙術も宝貝も使ってなかったように思う。最初はまさか着ている服が宝貝? 指先から糸を出す宝貝だってあるんだから、服が宝貝だっておかしくはない、と思ったけれど、カウンターの宝貝にしては、剣の攻撃を反射するって言うのは分かるけど、衝撃波を出すのが説明つかなかった。
「どうやって、何もしないで衝撃波を出すの?」
「衝撃波?」
辰巳は少しだけ目を細めるのに、私はこくりと頷く。
「うん、アンタが攻撃した瞬間、甲さんは何の動作もなしにアンタを吹き飛ばした。衝撃波みたいなのが見えたんだけど」
「手も道具もなしだな?」
「うん」
甲さんは特に何もせず、ただ立っているだけだ。それこそ、宝貝すら出さず。仙術だって使っている気配もない。辰巳は少しだけ目を細めた。
「なるほどな」
「分かったの? 宝貝でも仙術でもないけど反撃される方法」
「ああ。少なくとも、俺だったらできない。けど師匠だったらできるだろうな」
「勝ったら説明してよ」
「何だそれ」
「何が」
「俺が勝つって確信しているなと思っただけだ」
何で辰巳はこうも、時々面倒臭いのかな。当たり前な事を言わないと全く通じない辰巳を眺めて、私は思わず目を細めた。
「アンタは勝つよ。まずは勝って、皆を助ける方法を考えるのがアンタでしょ?」
「……買い被り過ぎだ」
「アンタはやらないといけない事があるのに、負ける訳ないもん」
辰巳は少しだけ私を見て呆気に取られた後、ふてぶてしく笑った。そして胸倉を抑えつつ、「やっぱり買い被り過ぎだ」と言い残して走って行った。
また剣を使うんだろうか、そう思いつつ眺めていると、辰巳はひとまず距離を取って何かを投げた。何だろうと思って眺めていて気が付いた。いつか私の影を地面に縫い止めて身動き取れなくした宝貝だ。でも、辰巳自身は仙力を出せないから、力を使えないはず。
って、あれ? 相変わらず甲さんは何の動きもないけれど、勝手に纏っていた服が脱げたのだ。って、裸!? 思わず手で顔を隠しつつ、指の隙間から覗くと、そんな面白い展開になる訳もなく、いつもの道服姿のまま、一番上の羽織りだけ脱げたのだ。そして、その羽織りが地面に縫い止められているけれど、それが地面でびっちびっちと跳ねているのが分かる。
「げぇ……何コレ」
「自動反撃のからくりだ。これは、恐らく師匠の僕だ」
「服が僕なの!?」
「雲だって僕だ。そんな事だってある」
「ないわよ」
服がびっちびっちと跳ねる中、辰巳は剣を一閃引き当てる。でも……。目を閉じたまま、甲さんはたった一歩、本当に半歩位だ。それだけ避けて辰巳の剣をかわしてしまった。
「うん、私の道服が僕だと読んだ所までは見事だ。でも、これだけじゃあ合格印は押せないね」
「じゃあ、もう少しで押させてみせます」
「うん、頑張って」
相変わらずの間延びした甲さんの声を聞きながら、辰巳は再び大きく剣を突き上げた。




