古き理篇 七
「ちょっ……この人、血ぃスゴッ!?」
当然のように私は悲鳴じみた声を上げてしまう。そりゃいきなり目の前で死なれたり死にかけたりしたけど、それで慣れるような神経は持ち合わせていませんっつうの。
でも私の反応とは真逆に、辰巳はあからさまに警戒心剥き出しのオーラでその血塗れの女性を睨みつけていた。尻尾の数は七尾。どう考えても、獣人が隣人と立場が逆転して、その立場が浸透した後の時代の人だろうけど、知り合いなの?
「……あいつはお前も知ってるだろ」
「誰よ、分からないんですけど」
「……あの女だ」
「あの女……あ」
そう言われてようやく理解する。あの血塗れの人、この人よくよく見てみれば、丁ではないか。でも何か違うと思って見てみると、今よりもずっと人間っぽい印象ってとこかもしれない。私が思わず唸り声を上げているのを眺めつつ、淡々と甲さんは続ける。
「あの子は生まれついての魅了体質でね。そのせいであの子は仙人郷以外だとまともに生活できなかった。あの時も、あの子は盗賊達に襲われかけていたが……すぐに治まった」
「治まったっつうのは……?」
「……あの子を巡って、身内同士で殺し合いをしてね。あの子以外は皆死んだ」
「……ぃ」
私はそれ以外に答えられなかった。あの人に初めて会った時に思ったのは、怖いだった。
目の前で自分巡って殺し合いが行われたって……それを淡々と眺めていたって言うのは、一体どんな風に考えればいいのか考えてみたけれど、何一つ丁らしい想像力は働きそうになかった。
それを眺めつつ、辰巳は少しだけ苛立ったような顔をしつつ、甲さんに続きを促した。
「それで師匠。あの女は……」
「あの子はあの体質のせいでね、人の心ではなくなってしまった。八仙に近いのかもしれないね、心だけを表すなら。あの子はただ座っているだけ、いるだけで彼女の欲しいものがすぐに手には入ってしまうから、欲望に際限が全くない。
仙人郷に連れ帰り、仙人の修行を付けさせてからも、この子にはその垂れ流れている欲が止まる事はなかった。
あの子の魔性は、仙人こそ目もくれなかったものの、修行中の道士達には遺憾なく発揮された。当然、他の洞の仙人達からの苦情が絶えなかったねえ」
「そんな簡単な……」
「仙人達も普段は自分の修行にかかりっきりで、まさか自分の弟子がまだ仙人ですらない娘に奪われるなんて思わなかったんだろうね」
そう淡々と話す甲さんを見ていると、つくづくと思ってしまう。
丁だけでない。甲さん以外の仙人郷の人に何か蔓延しているような気がしたのだ。何だろうって言葉を探してたけど、それって、無関心って奴じゃないのかな。
丁は何でも手には入ってしまう体質なせいで、善悪なんてものが全く欠落してしまった。仙人郷の人達は自分の修行にかかりっきりで、地上が無茶苦茶になっても見て見ぬ振りをしてしまう。
それって……無関心でいていい事なのか、私には全然よく分からなかった。
ちらりと辰巳の横顔を覗き見る。私達の視界に広がっているのは仙人郷であり、そこで丁が淡々と修行をする光景が流れている。あの岩だらけの場所に、少なくとも私が見た限り戌亥さん達蓬莱の枝が集まってる時以外初めて見る程の人だかりができていた。
これって部活のスターを見に集まったファンみたいな事になってて、修行中の道士を見に来たって言う雰囲気は全然なかった。
「あの子は自身の魅了を押さえ込む修行をしたものの、それは返って彼女の魅了を強くするばかりで、流石に私も困ったね。他の洞から弟子を取るつもりがなくても、自然と道士が増えるものだから」
「でも、この頃はまだ普通に修行してたんですよね? なら、どうして地上に降りてきて后妃になんかなったんでしょ?」
「……これは、私が侵した最大の過ちだろうね」
自然と甲さんの声が掠れたように小さくなる。
えっ、何……? 分からないまま、甲さんが指先を操ってこの場を操り始める。辰巳はそれを凝視し……何かに気付いた。
「……あの女、本当に正気か?」
「えっ? 辰巳、アンタあの人の目的分かったの」
「分かったが、あんなの滅茶苦茶だ。そもそも、どうして南都国はそんな事を許容してるんだ」
「えっ? もう、分からないんだから、説明しなさいよ」
私が思わず辰巳に噛みつくと、辰巳よりも先に甲さんが口を開いた。
「……向上心があると言うのはいい事だね。人は己の力より上の物を欲する場合に一番力を発揮するのだから。王ならば自分の見える範囲以上の物を見る目を要するし、暦を作る時は天を毎日眺めて、先の先までを読み解かなければならないのだから。
あの子は魅了の力を抑える事ができない以外の全ての事は、教えたらできるようになってしまっていた。それはとても不幸な事だね。これでは向上心が生まれる事もなく、ただ平坦の日々が続くばかりなのだから。
あの子が仙人昇格試験を受ける時、あの子は初めて、向上心と言う物を覚えてしまった。元々欲が深く際限のない子ではあった。誰もがなしえる事など叶わないと言う物を欲しいと願ってしまった。
これが、今地上で起こっている不幸の理由の一つだね」
「あ……の、私、まだ丁が何欲しいのか全然分かってないんですけど……」
「最初に見せたね、この山の成り立ちを。
八仙が宝貝を重ね、その周りを覆って山を作った。天と地を作り、四季を作った」
「え……っと」
欲に際限なくって、誰もが無理だと思っていたものを欲しいと思って、今北都国と戦争目前。
そして……私が前に見た夢。山一つが割れる夢だったけど、奥が光っているように思える。今思えば、あの奥には宝貝があったんだと思う。
まさか……と思った。
「まさか……山を一つ割って、そこから宝貝取り出したいとか言うんじゃないですよね? だって、そんな事したらこの山なくなっちゃうし」
「そのまさか、だったらどうする?」
「ええ、だってそんな事したらこの山の人だけじゃなくって、丁だって死んじゃうじゃないですか!?」
「……そのために、俺の術式を奪いたかったんだろ」
「へぁ?」
辰巳の言葉に思わず私は振り返ると、辰巳はギリギリと今にも唇を食いちぎりそうな勢いで画面を睨んでいた。
ちょっと待って。そんな無茶苦茶な事するために、南都国を乗っ取ったり、仙人郷から道士の人達連れて行ったりしてたの? でも、どうしてそれに辰巳の術式が欲しがるのよ。意味が分からない。
私が混乱しているのを見たのか、淡々としていた甲さんは言葉を緩めて補足を付け加えてくれた。
「古き理を知った瞬間、あの子が目を初めて輝かせた。山を一つ割るような大惨事なんて、例えいくら魅了の力を持っているとは言ってもあの子一人ではなしえない。だからこそ、魅了を使えるだけ使って、仙道と宝貝を持っていけるだけ持っていった。そして南都国に輿入れを果たした……。
後は他国を制圧し、統一して逆らう物がいなくなってから山を割る気だったのだろうね。そこで死ねたら本望だったんだろう。
でも……異界の少女である君を見つけ、異界の存在を知った。今度は異界を欲しいと思ったのだろうね」
「無茶苦茶ですよ」
「そう……無茶苦茶だ。それがあの子の本質だよ。誰とも心を分かち合えない。誰からも理解されない。それがあの子の悲しい本質だ」
私は辰巳を見た。辰巳は眉間に指が突っ込めそうな程深い皺を寄せて、ただ真正面を睨んでいた。
そこに移っていたのは、地上に降りていく丁の姿だった。




