古き理篇 六
隣人。八仙が自分達に似せて作った、この世界に初めて作られた人間。
山はこの隣人達に与えた知識により、徐々に文明が作られて行った。この時点で、尾のある人間は世界に一人もいない。この光景を眺めつつ、辰巳は顔を強ばらせたまま、甲さんを凝視していた。
「これは……」
「この世の統治者と呼ばれる者達は、怖れていたんだよ。今は「ひとでなし」と、人間ではないと言って虐げている者達の方が支配者階層だったと言う事を知られるのは。
隣人は、私達よりもずっと知恵がついている。覚えているかい? 辰巳が術式を完成させて、僕として竜を召喚しようとした事を。あれは恐らく、尾付きの者達であったらまずは術式を完成させる以前に構想する事すらできなかっただろうね」
「……待って下さい、師匠。俺は今まで、ひとでなしにはそもそも仙力がないと聞きました。尾にこそ仙力の塊がついていて、それが最初から生えていない者には仙力は持ち合わせていないと。だから俺は仙人昇格試験を受ける事はできず、道士のままなのだと」
「じゃあ聞くが」
見下ろす山には、徐々に建物が増えて来ていた。ここからだったらミニチュアのドールハウス……にしては雄々し過ぎて飾りたいとか全然思わないけど……にしか見えないけれど、その一軒一軒には人の営みが存在する。生まれては死に、生まれては死にと言うサイクルがこの山を動かし始めていた。
それに視線を一瞬だけ落としつつ、甲さんはひどく冷静な声で、辰巳をじっと見た。
「どうして育毛剤には、仙力増強の効果があるんだい? 君達「ひとでなし」が仙力を持っていないのであれば、そもそもあの薬は作れる訳はないだろうね」
「……っっ!!」
辰巳は目を大きく見開き、歯をがちがちと震わせた。辰巳は本気で、本気で世界に対して怒っている。……思えば、辰巳はずっとこの世界が嫌いだった。
理不尽で、身勝手で。人を人とも思わないこの世界が。だから全てを壊したくって竜を召喚しようとしたんだ。失敗に終わったけれど、きっとこれは何度も何度も考え直したはずだ。
私は思わず辰巳の背中に手を伸ばし、ぎゅっとつねった。
「……痛っ、何すんだ」
「何よ、あんた。今ようやく説明してもらってるとこじゃん! この世界がおかしいって、最初っからずっと私もあんたも知ってた事じゃん! 今更怒ってどうなるのよ! 諦めろなんて言わない。慣れろなんて言えない。でも、今は話を聞く所なの!!」
「そんな事は……分かってる」
「おっし」
辰巳は尚も唇を食いちぎらんばかりに歯噛みしながら、ただこの光景を眺めていた。淡々と説明を繰り返していた甲さんは、それに少しだけ口元を緩めたような気がした。あくまで気がしただけで、実際は静謐な空気をまとったままだ。
私が辰巳の背中をばんばんと叩いている間にも、山の景色は変わっていく。と、甲さんは一箇所を指で指し示したと思ったら、ぐい、とその景色をこちらへと引き寄せた。そこでは隣人達が何やら円を作っているのが見えた。
これは何か見覚えがあった。私が辰巳に召喚された時と同じ。円を書いて、その中に文字を書き込んでいるのが見える。やがて、何かが光った。
って、ええ?
「師匠……これは……」
「獣人。今、この世で「人」と呼ばれている者は、そもそもは隣人が作ったものだったんだよ」
「あれ? これって召喚陣に見えます……けど?」
「違うよ。隣人はこの頃、今の仙人が使えるだけの仙術を身につけていた。彼らが反旗を翻すその時までは、だけど。
隣人達は人数が増え、知識も増え、故に欲も深くなってきた。だから自分達がより一層繁栄させるためには奴隷が必要だったんだよ。でも仲間を奴隷に落とすのはどうかと思い、自分達で新しい種族を作り始めたんだ。ちょうど八仙が自分達に似せて隣人を作ったように、隣人もまた自分達に似せて獣人を作った。
隣人よりも獣人の方が力が強く、獣人よりも隣人の方が頭がいい。
互いが互いに手を取り合って世を動かせばきっと悲劇は怒らなかったんだろうが、そうはいかないのが世の中だ」
そう言いながら甲さんは指先をくるくると回し始めた。途端に世界はHDDの早送り再生のように勢いよく流れて行き、甲さんが指を下げるのと同時に世界の流れは緩やかになった。
尾の付いた人達が、寄ってたかって隣人を捕縛しているのが見えた。お年寄りもいた。女子供もいた。若い男の人達は最後まで抵抗したけれど、力の上では隣人は獣人に勝つ事はできず、青い膨れ上がった痣を作っていた。
辰巳はそれを凝視していた。……家族が殺された事を思い出したのかもしれない。私は何かを言おうかと口を開こうとしたけれど、辰巳はただこの光景を凝視しながら、固い口調で「それで?」と甲さんに説明の続きを促すだけだった。
「隣人達は頭こそよかったものの、獣人の方が力が強い上に繁殖能力が高かった。しかも獣人と隣人の混血も増えて来て、純潔の隣人もわずかな数しかいなくなったんだ。
故に、反乱が起きて立場が逆転した。獣人が隣人を一気に蹂躙したんだよ。
しかし全員を全員、殺す訳にはいかなかった。
八仙はあまりにこの世が乱暴に包まれたのを嫌ったのか、突然この世を去ってしまったのだからね。この世を見守る主がいなくなり、八仙の術式を使える者がいなくなってしまった。獣人だけでは、決して八仙の術式を読み解く事はできなかったのだから。
だからこの世に正しい法則を作れるよう、獣人側についていたわずかな隣人と、獣人の中でも温厚な隣人寄りの考え方をしていた獣人により、理を引く事にした。
仙人郷は全ての仙力を持つものを受け入れ、隣人が本来持っていた術式の研究を全てこの場に治めた。地上に置いておいたら戦乱の道具にしか使われないとは、隣人と獣人の反乱により分かりきっていたからね。
そしてこの反逆の歴史も各国が教訓として忘れないようにした。
これを書いた者達は想像でしかないが、この世の二つの種族が共に手を取れるようにしたかったんだろうが、全員が全員、これを読んで善意と取る訳ではないだろうね。
代々南都国が尾なしの者達を虐待してきた、これはいずれ天の理の全容が明らかになった時、自分達を滅ぼされる事を恐れた故に、彼らを虐待し身体に恐怖を刻む事で、自分達に牙を剥く事がないようにした。
逆に北都国はこれらを憂い、少しずつ少しずつではあるが、尾なしへの偏見や差別をなくそうとした。いきなり全容を話せば、国は転覆する事だってありえる。だから本当に少し、また少しと言う段階でだった」
そこまで語った後、甲さんは指先でくるくるとその場を撫でた。それを撫でたら、また早送りで世界が進んでいくのが見えた。
と、その中で赤い赤い何かが見えた。最初はそれは花のように見えたけれど、それは違った。
真っ赤な花のような色を滴らせた、白い服の女性だった。




