古き理篇 五
足元には何もないはずなのに、重力がないからと身体はふわふわとは浮き上がらない。これは甲さんの仙術が施したスクリーンで、私達はただ仙人昇格の前に何かを見せようと、しているらしい。
頭の中ではどうにかそう理屈をインプットしたい所なのだけれど、実際足元に何もないと、ただひたすらに怖い。東京タワーのアクリル板の下に東京の街並み見えるのに、そこの上に立てるのかって言う話。高所恐怖症じゃなくっても、あれは結構怖いと思うんだ。
「そうか、君がその答えならば、それでいい」
甲さんがすっと目を細めた時、何故かひんやりとした空気が流れたような気がした。今まで感じていた仙人郷の静謐な雰囲気をさらに冷たくしたような空気を醸し出した後、甲さんは指先をくるくると動かした。
……あ、そう言えば。
「あの……私はその。所謂部外者? って奴なんですけど」
静謐な雰囲気そのままで何かを手繰り寄せようとする甲さんに話しかけるのは怖いけれど、言わなきゃいけないような気がした。それで辰巳の仙人昇格試験を台無しにしたら嫌だし。
「部外者と、そう君は思っているのかい?」
「ええっと、まあ。そうですね。私、辰巳とは形の上では主僕関係結んでますけど……それだけで一緒に聞いてていいのかなって」
「ああ……本来の主僕関係であったなら、君は試験が終了するまでは外で待っていてもらったんだけれどね。でも君達の関係は色々と厄介だからね」
「厄介……ですか」
まあ、一応はイレギュラーな関係だと言うのは散々聞いたけど。事故で結ぶもんでもないでしょうし。それが原因で辰巳がすっごい苦労する羽目になったし、散々私も苦労させている感はあるし。
甲さんは少しだけ静謐な空気を和らげた。ふんわり、とした優しい空気を感じた。辰巳はぶっきらぼうな顔のまま、私と甲さんの会話をただ静かに聞いている。
「君達の関係が始まったのが原因で、この一件が大きくなった。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
……君達は決して二人とも部外者ではないからね。
それじゃあ、話を始めようか」
あれ、部外者じゃ、ない?
一瞬だけヒヤリと首筋に冷たい水滴を落とされたような感覚に苛まれつつ、ようやく甲さんが手繰り寄せ終えたらしい何かが、星空一杯に流れた。流れてきたのは、ふわふわとした色彩の塊であった。最初は本当にうすらぼんやりとしていたのに、それはどんどんと形を成していく。それはひらひらとした羽衣をたなびかせた男性と女性であった。星空に浮かぶのは、全員で八人。
八人? どっかで聞いたような気がする。私は思わず目をぱちりとさせると、甲さんは手元でこの光景を操りながら淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「最初、この世には何もなかった。天地に境がなく、ただ「ある」だけで何も「なかった」んだよ。でもそれじゃあこの世は生まれない。
この世に理を定めた者がいた。それが何かは分からない。これは私達も何者かは詳しい事は知らないが、寝物語としては「八仙」と呼ばれているね」
「ああ……」
この世界でだったら子供でも知っていると言うおとぎ話。八仙が世界を作って理を定めたって言うのはここか。でもそれだけしか知らない事も、また気付く。
ふと、八人の男女は何かをそれぞれ持っている事に気が付いた。きらきらと光ったそれは、色んな形を取っていてどれ一つを取っても同じ形のものは存在しないように見えた。
「あれは?」
「……あれが、宝貝だ。俺達が普段使っている物は、あくまで最初にあったものの模造品で、あれほど強い物は存在しない」
私が思わず尋ねた言葉に、甲さんに変わって辰巳が答える。
じゃあ、あれが祭具用宝貝って呼ばれている、宝貝? って……。世界を作った人が持ってるもんをわざわざ使って私を召喚した上で失敗し、さらにそれがないと帰れないって言うのは、世界のどこかに金の粒を一粒落としたから探せって言ってるのと同じって事じゃないの……!?
思わず悲鳴を上げかけたが、それは甲さんの淡々とした声で遮られた。
「天と地を分ける際、八仙は天と地を司る宝貝を作った。この世は宝貝を埋め込まれ、それを何万年、何億年と言う時間をかけて、少しずつ育まれたんだよ」
そう言いながら、甲さんは指先をくるくると動かす。八仙はもやを宝貝にまとわりつかせていた。それは棒に飴の糸を絡めて作る綿飴のようで、本当にキリがないと思えるような長い作業だった。世界には大きな浮かび上がった山が出来上がり、それに絡みつくように雲海が生まれた。そしてその表面を覆うように、樹が生え始める。
これは八仙の作ったミニチュアの世界のようにも感じ、壮大過ぎて頭が追いつかないような、不思議な光景だった。
そして八仙達は作り上がった世界に降り立ち、何かを植え込んでいくのが見えた。
「天と地が定まった後、八仙は山に降り立ち、各地に宝貝を埋め込んでいった。そして昼と夜が定められ、東西南北が定められ、四季が定められた」
そう甲さんが言った通り、星空はすっかりと青空に切り替わり、自然豊かな森が広がっていた。でもそこはまだ原始林みたいなそれで、道もなければ人の気配もない。それどころか、生き物の気配が何もないために、何だか薄暗く不気味に見えた。
これだけ緑は青々としているのに。
「……しかし、これだけだとこの世はただ「ある」だけで生きては「いない」。
八仙達は自分に似ている者達を作り始めたんだ」
よくよく見てみると、八仙達は自分達の髪の毛を引きちぎって、それを編み込みながら、何かを作っているように見えた。服は八仙達が着ている物よりももっとボロボロとしていて、いかにも生まれたばかり、と言うように見えるから不思議だ。
「……ん?」
辰巳はピクリ、と眉を持ち上げる。
「えっ、何?」
「……八仙が作った人間は……尾がないのか?」
「えっ!?」
よくよく、八仙が自分達の髪の毛を編んで作り上げた人達を見る。また一人、また一人と増えていく人々には、誰一人としてあのふさふさとした尾が付いていない。
「……師匠、これは一体、どういう事ですか?」
「この世の者達が隠し通していた事の一つだね」
ふるふると怒りを堪えるように絞り出す辰巳の声とは逆に、甲さんの声はただ静謐を保ったまま、淡々として感情が篭もってはいなかった。
「彼らは八仙が自分達に似せて作った「隣人」。この世において、初めて作られた、最初の人類だ」




