古き理篇 四
筋斗雲を降りて、私と辰巳は甲さんの洞を目指して歩いていた。
初めて歩いた時は、まだ制靴が潰れていなかったし、靴下履いていたのに全然歩けなかったと思う。あの時の方が、多分私の足は細かったように思う。
今はあの時よりもすっかりと逞しく太ましくなってしまった足ではあるけれど、急で全く整備されていない山道を歩くのは、今の足がちょうどいい。
すっかりとこの世界に染まっちゃったんだなあと、何だか変な気分になっていた。
あの時の私は、とにかく超自己チューだったような気がする。自分の不平不満ばっか言って。今はどうなのって聞かれたら、変わったのかどうかは自分でもよく分かっていないんだけれどさ。
「……あの時とは」
「えー、何よー?」
普段は必要以上にしゃべらない辰巳が声をかけてきたのに、私は思わずすっとんきょな返事をする。辰巳は珍しく眉間に深過ぎる皺を刻んでいなかったのに、思わず眉間を凝視してしまう。辰巳はそれに半眼になる。
「何だ」
「いやあ、珍しく思い詰めてないんだなって思っただけ。いっつも目つき悪いしさ、あんた」
私がそう言って目尻をぎゅっとわざと指で摘まんで引き上げると、辰巳はまたも私に半眼の視線を送ってからチョップをかましてきた。あだっ。
「何すんのよー」
「余計なお世話だ」
「えー……」
「師匠は」
いきなり話変えないでよね、もーう。私はチョップされた頭を思わず撫でてから、辰巳を見る。
変わり映えしない道ではあったけれど、山道は随分と歩いたと思う。私も靴だけはこの世界仕様になっていたし、この世界に来たばかりの頃よりも足の皮は分厚くなったんだろうな。前は痛い連呼していた道もどうにか我慢して歩ける位にはなっていた。
「本気であの女が何を企んでいるのか知らなかったんだろうか」
「どゆことよ?」
「古き理は、仙人郷が本来は管理している。地上で残っているのは恐らくはもう、南都国と北都国位だろう」
「ふうん……どうなんだろうね。そう言えば、北都国では閲覧頼めなかったの?」
「難しいだろうな。仙道の教えも本来は口伝で伝えるものであって、大国もそれを普通なら遵守している。代を継がないものに口外するとは考えづらい」
「あー……大国以外に古き理が残ってないって言うのは」
「口伝え故だ。教えを覚えているものが死んだら残らない」
うちとは真逆なんだな。うちだったら物証が全て正しくって偉いのに対して、この世界だったら口で伝えたものが一番正しい。
戦争したら本当になくなっちゃうものでも、口で伝えられないのは難しい(まあ、そこらへんがややこしいから術式を甲さんに伝えてさっさと私を元の世界に返せない訳だし、丁が術式欲しさに私と辰巳を狙っているって訳だけど)。
私が思わず考え込んでしまっていると、辰巳がふんっと鼻息を出した。
「考え込むな。考えるのは俺の仕事。考えないのがお前の仕事だ」
「何じゃそりゃ。こっちだってお荷物になるの嫌だから、いつだって考えてるんですけど」
できてるかどうかはともかく、それが嫌だって思ってるのだけは認めてくれたっていいんじゃないかな。
辰巳がそれに対してますます首を振る。
「阿呆。お前が役に立つようだったら主僕関係を解消できないだろ」
「何じゃそりゃ。意味が分からん」
「……ああ、もういい」
辰巳がまた鼻息出すのに、私は思わずうろんげな目で見た。ますます意味が分からないっつうの。
私が思わずじと目で辰巳を睨んだ時。
ふいに鼻孔がこの場にありえない匂いを拾い上げていた。いや、ありえるか。
柔らかい甘い花の匂いだった。それは既に趣味だって聞いていたから。
「これ、甲さんの?」
「……あの人、茶道楽だからな」
「わぁお」
私達はいっきに山道を駆け昇って行く。前は高山病がどうのって倒れたけれど、流石に山を下ったり昇ったりを繰り返していたおかげで、身体はすっかりと馴染んでくれていたから、前にかかった高山病にはかからなかった。
それがありがたい事なのかどうかは、後で考えるっとして。今は甲さんとこに到着するのが先!
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北都国に入ってからは、BGMは主に兵の訓練の掛け声で、嫌でも戦争の足音が聞こえてくるのを感じていた。万里の長城ではここに住んでいる人達の踊りや歌。南都国側の邑や小国では、逃げ出したり、襲撃かけたり、追いかけ回したりって、とにかく忙しかった事忙しかった事で、まともにBGMを連想する事はできないけれど、不穏な空気を孕んでいたって事だけは確か。
でも仙人郷は、やっぱり地上とか俗世から離れているせいなのか、清浄な空気で、厳しい環境ではあるけれども、平穏なような気がする。平和、かどうかは分かんないんだけど。だって、甲さん以外ここに住んでる仙道の人と会った事ないんだもの。
そこで緩やかに湯気が昇っているのを見た。天幕が張られた傍に、円卓と椅子を出して、そこでお茶をしている甲さんを見つける事ができた。
こちらに振り返る事もなく、ただ甲さんは艶々とした髪をぱらりとすきながら、一言言った。
「お帰り。ようやく戻って来たね」
「……師匠、お久しぶりです」
「ああ、お久しぶり。異界の娘、卯月だったね。君もよく無事で」
「お久しぶり……です!」
辰巳が膝を突いて挨拶する横で、私はぺこっと頭を下げると、甲さんは穏やかに微笑んで、茶器を円卓に置いた。
「ここに戻ってきたと言う事は、古き理の事を?」
「……俺は、仙人にはなりえません。ですが、地上はこれから戦乱が始まります。俺はそれを少しでもいいから早く終わらせたい。そのためには、この戦乱が起こるように動いた丁の目的を知る事が肝心ではないかと思い至ったのです。
教えて下さい。古き理とは何ですか? 八仙がこの世を作った際に敷かれた理ですが、今は子供のための寝話と言う形でしか残ってはおりません」
「そうだねえ……」
私は甲さんをまじまじと見ながら、思わずあれっとなる。前に会った時も穏やかな雰囲気の人だなと思っていたけれど、甲さんは本当に嬉しそうだと言う事を隠さずに辰巳を眺めているんだから。
何がそんなに?
私が思わず顎をしゃくると、甲さんは軽く手を広げた。こんな何もない場所で何の脈絡もなくいきなりつむじ風が巻き起こったと思ったら、その風は私と辰巳、そして甲さん自身を巻き込んでしまった。
思わずスカートを抑えながら風に巻き込まれて行くのを見ていたら、景色がいきなり豹変した事に気が付く。
雲の上の仙人郷は、まだ日が落ちていなかったと思うのに、辺り一面、星が散りばめられているのだ。それに……空の色は真っ黒な夜ではなく、本当に何もなく見えた。
「……師匠、これは一体何ですか?」
「うん。そろそろ頃合いだと思ったからね。辰巳」
しゅるり。と何かが剥がれたような気がした。今まで甲さんが放っていた穏やかな雰囲気は完全に拭い去られてしまい、まるで北都国の王様みたいに、完全に触れてはいけないようなオーラを放っている人となっていた。
仙力が強いとか、カリスマがあるとか、そう言うのではなく。……神々しい? 本当にそんなオーラを纏った甲さんがじっと辰巳を見下ろしていた。辰巳ですら、呆気に取られたように、薄く口を開いて甲さんを見下ろしていた。
「君に仙人昇格試験を受けてもらおう」
「……っと、待って下さい、師匠」
辰巳は当然のように反論した。でも反論をする声はどこか上ずっているのは、甲さんが出しているプレッシャーのせいで声になかなか張りが出ないんだと思う。私もさっきから鳥肌が収まってくれないんだから、多分辰巳だってそう。
「俺は……尾なしであり、仙人にはなりえないと今まで生きて来ました。それが嘘だとそうおっしゃるのですか?」
辰巳の声は、何かを押し殺したような、低い唸り声に聞こえた。怒ってる。辰巳、無茶苦茶怒ってる。さっきまでそこまでなかった眉間の皺はすっきりくっきりだったのに、私は思わず手を縦にして、辰巳に対して振り下ろす。
「あだっ!? ……何すんだこの馬鹿!」
「さっきのお返しだって! 私達、古き理の詳細を聞きに来たんじゃん! 怒るのは後でだってできるでしょ!?」
そりゃ辰巳が今までどうしてあれだけ気難しかったのか、もう知らない仲じゃないけど。辰巳の怒りに任せて全てぶち壊さなくってもいいはずじゃん。馬鹿じゃないのか。馬鹿じゃないのか。
辰巳は一瞬だけ虚を突かれたような顔をした後、気まずそうに顔をしかめた。
「……うるさい」
「何よー」
思わず、んべっと舌を出した所で、プレッシャーが少しだけ緩んだように感じた。ふと見たら、甲さんはプレッシャーを出したまま少しだけ笑っていた。
「もし辰巳が考えを改めなければ、仙人昇格なんて認められなかった。でも、今だったら問題がなさそうだね。
試験の前に──この世の成り立ちから話さないといけないから、やや長くなるよ。それでも構わないかい?」
何で空の色が夜なのって思ってたけど、違うんだ……。これ……この世界が生まれる前の世界だって事なの?
甲さんの言葉に、辰巳は顔を引き締めていた。
「……承知しました」




