崩落篇 八
外は雪が降り積もり、普段だったら剣戟や弓矢の音で震えているのに、不気味な位に静かだった。雪が音を全部吸い取ってしまうから、どんなに激しい音が響いていても、私達のいるテントからだったら音が聞こえないのだ。
辰巳は丁の事を「主上」と呼んでいた人と戦いに(多分だけど、私と子子ちゃんを巻き込まないようにするために)ここから遠ざかってしまい、目の前では大量の人を相手に、戌亥さんが金鞭を使って薙ぎ払っていた。
よくも悪くもテントの方にはまだ誰も来ない……と思っていたけれど。
テントの布の上に何かが音がしたのだ。もし雪が積もって雪崩れた音だったのなら、もっと激しい音だろうに、この音は違う。
「子子ちゃん、何か屋根の上にいる……」
「えっ?」
がさりがさりと言う音がするけれど、この場合どうすればいいんだろう。こちらに何かが来ているのはまだ戌亥さんは気付いていないみたいだし、だからと言って、上を確かめるのも……。
私と子子ちゃんは固まっている間にも、屋根が引き裂かれる音が聞こえた。刃を張った布に当てられ、そこを引き裂かれたのだ。
私は思わず薬を投擲しようとして……思いとどまる。ここで投げても、私達まで薬に巻き込まれる。意味なんかない。だとしたら、どうすれば……?
考えている間に、刃が屋根から見え、冷気が一気にこちら側に流れ込んできた。入って来たのは、辰巳みたいに薄いマントを羽織っているだけの人だった。この人も仙道……丁に付いている人って事でいいの?
「いたか、ひとでなし」
「な……」
私を凝視する目は黒く、呼ばれた時の声は何故か耳障りでねっとりとしたような感覚が襲った。いつか見世物小屋で亥に触られた事を思い出し、思わず気色悪くなったけれど、私にばっと両手を広げて庇ったのは、子子ちゃんだった。
「ちょっと、子子ちゃん……!」
「ほう、ひとでなしを庇うか。もし引き渡せばお前は助けてやっても構わないのに」
「そういう考え方は、好きではありません」
子子ちゃんはプルンと首を振った。
ああ、私は馬鹿だ。ここで年下の女の子に気を使わせてどうするの。怖いに決まってるじゃない。私達戦えないんだから。でも、ここでいいようにされていい理屈も理由もある訳なんてない。
辰巳、ごめん。後で回収できる事祈って。私はポケットをまさぐると、カチンコチンに凍った防犯スプレーだった。男は私達に何かを投げつけようとしたけど、それより先に、私はそれを投擲した。それを男はすぐに避けてしまったけれど。
「おっと、そんな物投げて」
「子子ちゃん、あれ一緒に蹴って」
「あれって」
「もうあんま役に立たないから」
私が小さい声で子子ちゃんにそう囁くと、子子ちゃんも分かってくれたようで、コクリと頷いてくれた。
「いっせーのーで!!」
「はい!!」
私達が思いっきり蹴り飛ばしたのは、テントの支柱だった。どっちみち、あの男のせいでテントは雪避けも寒さ避けも機能しなくなってしまった。そして仙道達が襲って来てる中、同じ場所になんかいれる訳がない。
蹴り飛ばした途端にテントがぐらつき、男が逃げようとするのを見てから、私達も慌てて逃げ出す。
途端に、雪煙が辺りを舞った。テントが倒れたせいで、テントの屋根に積もっていた雪が激しく雪崩れてしまったのだ。
「げっほ……子子ちゃん……?」
さっきまでいた小柄な女の子はテントから脱出する際にはぐれてしまったらしい。どうしよう。それに辺りは真っ白過ぎて、どこで戌亥さん達が戦っていて、どこで辰巳がやり合っているのか、もう感覚すら麻痺していた。
考えなしだなあ、私は本当に。でもどうしよう。辰巳が見つけてくれるまで、何もできない。いや、何かはあるはずなんだけど。
身体は折角子子ちゃんがくれたスープのおかげで暖まっていたはずなのに、また寒くなって、歯が鳴り始めていた。まっずいな。どうしよう、本当に。私が思わずマントの裾を引き寄せて震えている中。
「ひどい事するな、ひとでなしの分際で」
「ひ」
ねっとりとする耳障りな声は、さっきの仙道だ。そっか、辰巳と一緒で、この人も寒さは効かないんだ。私は思わずマントを引き寄せた。寒いのと雪の重たさで、上手い事動く事ができず、走る事もできないでいた。ふいに私に何かを投げた。刃だ。
「きゃっ!!」
思わずしゃがんで避けた際に、雪につんのめってこけた。痛くはないけど、今度は埋まって動けず、慌てて起き上がろうとして腕を突っ張ろうとするけれど。身体が全く動かない。寒さとか、恐怖で動けないとかじゃない。力は入れているのに、身体が全く言う事を聞いてくれないのだ。
「なっ、何で?」
「それじゃあ、さっさと連れ帰って……」
もう、勘弁してよ。あの女。私は思わずねっとりした声の男を無視して、散々辰巳を振り回し、私を好き勝手した丁に対して、そう呟く。あとちょっとで北都国なのに。こんな所で誘拐されるなんて絶対嫌。でも身体が全然言う事聞いてくれない。
唇を噛みしめていたら血の味が広がってきた。噛み過ぎたからじゃない。寒さで割れてきちゃったのだ。もう散々。本当に勘弁してよ。
そう思った矢先。
「その阿婆擦れを連れ帰るのは勘弁してくれ」
「……!」
大きく剣戟が聞こえる。顔がつんのめっていて、状況が分からないけど、私の頭上で剣と刃がぶつかり合う音が響く。と、雪が大きくかかれる音が響いたと思ったら、何かが倒れた。途端にあれだけ突っ張っても動かなかった腕が動いて、ようやく私は雪から起き上がる事ができた。
足元に落ちていたのは、刃。そしてそれを蹴って倒したのは辰巳だった。
「辰巳……!!」
「何やってんだ。人が苦労して立てた寝床まで崩してまで……」
「仕方ないじゃん! 屋根破かれちゃったし、その人追いかけてきたんだもの!!」
「はあ……なるほどな」
辰巳は息を吐いた。それが呆れてなのか、私の事心配してくれてなのかは、相変わらずよく分からなかったけど。
私は何とか雪をはらって座り込むと、辰巳が乱暴に私の腕を掴んで立たせた。そして私を背後に押しやる。ねっとりとした声の男はなおも刃をこちらに正確に投げて来るが、辰巳はそれを大きく剣を振り回して薙ぎ払っていた。
「あいつ、さっきやり合った奴と使っている宝貝が似ているな」
「えっ、そうなの……?」
「ああ」
あのねっとりした声の男は、口元に緩く笑みを浮かべたまま、手元でくるくると刃をいじって、何枚も何枚もトランプでも投げるような感覚でこちらに刃を投げ続けていた。




