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万里の長城篇 九

 しばらくの間は、私にとってはものすごく長い物だったけれど、実際の所は一秒もなかったのかもしれない。

 獣の脂が弾けて赤く燃え、黒ずんだ煙がしゅーしゅーと昇る。

 よくある地下街の光景の中、商人さんは困り眉のまま、淡々と事実だけを述べた。


「この地で戦争に出て──行方不明、ですね」

「あ……」


 それ以外、私は言葉が出てこなかった。

 もしかしたら、帰れたのかもしれない。でも、この世界だと人は簡単に死ぬ。ううん。私の住んでた場所が安全だっただけで、この世界だと安全な場所は限られているから、全く気付かなかっただけだ。

 私は他に言葉が出てこない中、辰巳はようやく剣の柄から手を離したて、じっと商人さんを見た。未だに鋭い色は残っているものの、警戒心丸出しの雰囲気は少しだけ解けた気がした。


「それで、あんたは一体どうしてそこまでを?」

「はい……当時は兵役についていましたから。彼もひとでなしとしての扱いを受けてはいましたが、北都国に亡命してからは人と同じ扱いを受けていました。それで、彼は逆に志願してんです」

「あ……その人は、男の人、だったんですね」

「はい。あなたと同じ位の方でした」


 これ以上は、私は何も聞き出せなかった。いや、これ以上は聞きたくなかったんだと思う。何とか気分を誤魔化そうと思ってお茶を飲んでいたけれど、さっきまではあれだけ美味しくあったまったはずのお茶の味が、しなかった。美味しいまずいどころか、苦い甘いの感覚も皮一枚の所で留まって、味をきちんと把握する事ができないのだ。

 それからは、火の音を聞きながら、私はしばらく座っていた。昼間の内はいつも地下街にいて、夜の極寒状態をひたすら歩いている。体力温存を考えたら今すぐに寝ないと、明日が持たないって分かっているのに、今は膝を抱えて、ぼうっとしていた。


「……おい」

「ん……何よ」


 声をかけてきたのは、私が黙り込んだ後も商人さんと何やら話し込んでいた辰巳だった。辰巳は私の隣に腰を落とすと、相変わらず眉間に皺を寄せたままの顔でじっと私を見た。


「お前、さっさと寝ろ」

「分かってるわよ、そんな事」

「覇気がない」

「え?」

「普段だったら俺に言い返してくる時、もっと語気が荒いだろ、お前」


 そう言われて、思わず目をぱしぱしとさせた。一体人のどこを観察してるんだろう、こいつはと一瞬思うものの、取り繕うような顔もできず、ただ私は「えー」としか言う事ができなかった。


「何でそう思うのかな、辰巳は」

「前からずっとおかしいと思ってた。……多分、見世物小屋の辺りから」

「おかしいって……私が?」

「何で卯月は、こうも泣かないのかって」

「……へ?」

「言いたい事は、ないのか?」


 そう言われて迫られても、私はどう言えばいいのか分からず、辰巳の問いにただ、唖然とする事しかできなかった。

 だって、泣いたってしょうがないじゃない。泣いて帰れるんだったらとっくの昔に泣いてる。私の世界のルールなんて半分通じればいい方だし、歩き回って足が痛くってパンパンだし、尻尾ないだけで人間扱いしてもらえないし、その上、人間を平気で殺して薬にしてるって言う、そんなとこにずっといて、理不尽だって思わない方がおかしいじゃない。

 言っても、解決なんてする訳ないじゃない。

 それに……。


「言ってもしょうがないって、お前。諦めてないのか?」

「……っ!」


 私の思考を読んだかのように、辰巳はばっさりと私の考え方を言いきって、思わず私はぱっと辰巳の顔を見る。辰巳は相変わらずの無愛想な顔のまま、目だけは真剣にじっと私を見ていた。

 それはまるで、私が今言い逃げしても、絶対逃がしてくれないと言うように、本音を吐けと言うように。


「……って」

「ああ」

「さっきの商人さん、言ってたじゃない。私と同じようにこっちに来た人、帰れなかったって」

「らしいな」

「だったら、今、宝貝探しても、帰れるって言う保証ってのはどこもなくって……! 何かそんなの馬鹿みたいって言うか!」

「お前は」


 また怒鳴るのか。そう思って身構えていた先に。

 頭をポンポンと撫でられた。がさりと旅が始まってから全然ケアできてない髪が鳴る。いつか辰巳が私にしたように、また辰巳は私の頭を撫でているのだ。

 辰巳の唇には、本当に久々に見たような、緩い笑みが浮かんでいた。


「運がいい。それだけは誇ってもいい」

「ど……して」

「お前はここに来た原因が分かっているし、原因は俺の術の失敗だ。だから、俺がお前を返せばきちんと帰れる」

「でも! 帰れないかもしれ……」

「帰れる」


 私の言葉を、またも辰巳はばっさりと切って、言い切った。


「と言うより、俺が必ずお前を元いた国に返す」

「どうして……どうしてそうできるって言えるの……」

「お前は、お前が思っているよりもずっと力を持ってる」


 辰巳は私を撫でる手を止める事なく、そう言う。この間も少しだけ言っていたような気がする。私に戦うなって言うのも。帰って来るのを待ってろって言っていたのも。


「お前は、理不尽な事を理不尽だって言って、そこで流される事がない。それが、お前の持っている力だ。それを理不尽な目に合ったから、何をしてもいいと手段を選ばなくなった奴はいくらでもいるが、お前はちゃんとそれを受け止めている。

 お前は、卯月は。絶対に、俺と違って間違える事はしない」

「わ、たし……そこまで本当に大した事なんて、全然ない……」

「俺は、お前がいてくれてよかったと、そう思ってる」


 辰巳の言葉に、私はただ呆然としていた。

 普段何でもかんでも切って捨てるような物言いしか知らないと思っていた辰巳が、本当に珍しく優しい事を言うのだから、どんな顔をすればいいのか、さっぱり分からなかった。ただ、だんだんと目尻が熱くなってきた事だけは確かだ。


「な……んで、いつもばっさりと言うあんたが、そんな事言うかな。それ、戌亥さんの台詞じゃないの?」

「うるさい。お前は人がちょっと慰めたらどうしてこんなひねくれた事しか言えないんだ。普通、ここは「ありがとう」とか言う所じゃないのか?」

「言われたかったら普段からもうちょっとマシな言い方してみろ、馬鹿ー!!」


 ああ、もう。

 今絶対私は、不細工な顔している。でももう、辰巳の前だからいいやと、私は鼻水もぐずぐずと出しながら、辰巳に文句を言いながらわんわんと泣いていた。

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