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万里の長城篇 五

 出してもらったお茶の湯気は、気付けば途切れていた。相変わらず向こうの方では飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで、とても皆楽しそうなのに、今はそれが皮一枚向こうの話と言うか、遠い向こうの出来事と言うか。

 丑寅さんから聞かされた話を頭の中で何度も何度も反芻して、そして今までの辰巳の言動を思い出す。

 辰巳があれだけ、どう考えても被害者の酉さんの事も、あの邑の人達の事も絶対許そうとしなかったのは、そう言う事だったの? 亥が何の躊躇いもなく飲み干したあの薬、育毛剤。あの人は材料を分かった上で飲んでたの? それとも尻尾の生えてない人はもう人間じゃないから、どうでもよかったって事なの?

 カニバリズムって、そりゃ人肉食べる趣味ってものが存在するって言うのは、知識の上だったら知ってるけど、そんな事平気でやって、それが八仙の秘薬だなんて、そんな……。

 気持ち悪いって言葉だけじゃなくって、もっと得体の知れない何かが頭の中でぐるぐると蠢いている気がして、気持ち悪くて仕方がなかった。私がぐるぐると考え込んでいて、はたと隣を見ると、子子ちゃんが心配そうな顔でこちらを見上げていた。


「卯月さん、大丈夫ですか?」

「ん……ごめん。何だか、すごい話をたくさん聞かされちゃって、キャパシティーオーバー……容量超過、じゃないか……とにかく何かもう、頭が全然追いついてなくってさ」

「ん、ごめんな、沢山嫌な話を聞かせちゃったか」

「でも、それが。この山の人だったら、知らないといけない事なんですよね?」

「まあ、そうかな。見て見ぬふりは皆できる事だけど」


 そう言いながら、丑寅さんはお酒を煽った。むわりと濃い匂いが漂い、いつもだったら「くさっ」と言って鼻をひん曲げる所だけれど、今日はとてもじゃないけどそんな気分にはなれなかった。


「でも、丑寅さん。その……元々南都国の人だったんですよね。こんな事、全部ぺらぺらしゃべっちゃって大丈夫だったんですか? 情報機密って言うか……」

「そりゃその情報を、北都国に全部横流ししたら大問題だろうけどな。そっちにまでは流しちゃいないよ。むしろ、そのためにここにずっといるようなもんだしな」

「どういう……」

「頭領がいない時は、俺がこの万里の長城の指揮を執ってるからな」

「あれ、つまり……」

「丑寅さんは」


 私と丑寅さんのやりとりに、子子ちゃんが遠慮がちに口を挟んだ。思わず子子ちゃんを見ると、生地にお肉をくるんでもぐもぐと食べていた。また一口咀嚼して飲み込んだ後、ようやくもう一度口を挟んだ。


「ここから出る事、あんまりできませんから。どちらにも、つく事はできませんから」

「えっと……」

「さっきも言っただろう。南都国と北都国は現在も冷戦状態。どちらの情報を渡す事もできないんだよ」

「そうなんですか……」

「だから、俺の替わりに頭領がどちらにも出向いている訳だけれど」

「まあ、そう言う事かなあ」

「あ」


 また口を挟んだ声に、思わず息を詰める。隣で子子ちゃんは、今にも泣き出しそうな位に、目を大きくして、瞳を潤ませていた。


「戌亥様……」

「どうした、子子。数刻離れてただけだろ」

「ご無事で……! 本当にご無事で……!」


 戌亥さんは離れてからあまり変わらない様子で、いつもの飄々とした態度で笑って手を軽く持ち上げた。そしてその隣。いつものふてぶてしい顔で、辰巳は悠然と立っていた。

 私は、こんな時どんな顔をすればいいのかも、どう声をかけていいのかも分からなかった。


「ん、生きてたか」

「何よ、それ。死ぬかと思ったわよ」

「そりゃそうか」

「そっちこそ何よ、他に言いたい事ないの?」

「生きてるならそれでいい」

「何だそれ」


 何だか知らないけど、口を開いたら本当にいつも通りのやりとりになってしまった。何だか悔しくて悔しくてしょうがなく、私は黙って丑寅さんが出してくれたお茶を差し出した。


「お茶でも飲んだら? とりあえずはお疲れ」

「……そっちこそ何だ」

「何よ、馬鹿っ」


 心配して損した。もっとこう、何かないのか。本当に。

 見ていると、何故だかこの場にいる全員の反応が生温かかった。子子ちゃんは戌亥さんに抱きついたまま、困ったように眉を潜めて笑い、戌亥さんは戌亥さんでいつものように豪快に笑う。丑寅さんはと言うと、笑ってないけど、きょとんとした顔をして笑っていた。


「頭領、長い間お疲れ様でした」

「ん、しばらく預かっててもらって悪かったな」

「先程卯月さんから話は色々と伺いましたが……この二人、仙人郷の時から何も変わってないんですね?」

「残念ながらさっぱりだなあ」


 そう言って大げさに肩をすくめさせる戌亥さんに、何だかとっても納得がいかなかった。


「えっと、それってどういう意味ですか!?」

「そりゃ言った意味だろ。なあ、辰巳? 素直に言った方がいいぞ?」

「何の事だ」

「そりゃお前さん、卯月の事……」

「何も言ってないだろ!?」


 何だそれ、何だその態度。

 でも、まあ。いっか。

 辰巳は私のお茶をようやく受け取ると、それを一気に煽った。喉を大きく立てて飲む仕草を眺めていたら、空っぽの器をすぐに突き返された。


「……これ冷めてる」

「うっさいわ、あんたが帰って来るの待ってる間に冷めたわよ」

「ん、でも。美味かった」

「私が出したんじゃないし。蓬莱の枝の人に言ってあげてよ」

「何だそれ」


 まあ、いいや。

 このふてぶてしい態度がもう見れなくなったらどうしようって思っただけだし。

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