逋逃篇 九
軍人達は構えていた槍をすぐにこちらに向けてきた。
「速やかにその娘を引き渡せ! さすれば貴様らも皇族公務妨害と見なして国敵とするぞ!」
「……随分とせこいな、あの女は」
辰巳が硬い口調でそう返す。言葉こそ端的だったけれど、そろっと覗き見た辰巳の横顔には相変わらずの眉間の皺。ああ、怒ってる怒ってる。
普段だったら茶化したりするかもしれないけど、流石にここで茶化しちゃいけない事位は分かっている。
「仙人郷が道士、辰巳。貴公らが申す者は俺の僕になる。貴公らは仙人郷を敵に回すととっても構わないか?」
「え……?」
私は思わず辰巳を二度見する。辰巳は普段は私を僕扱いなんてしない。そもそも仙人郷を離れてから、自分から道士だと名乗った事なんてない。
そこまで言わないと駄目って事なのかな。仙人郷と大国、どっちの方が偉いのかなんて知らないけどさ。
辰巳の物言いに、軍人達はたじろいだが、すぐに再び槍を構え直す。
「地上の理は王の物! 天の理は天の物! 貴公に指図される言われはない!」
「……ああ、そうか」
辰巳は腰に構えた剣を引き抜いていた。槍は大きく突きの構え。私は辰巳に足で思いっきり蹴り飛ばされていた。って、痛っ!?
「うう……辰巳、アンタ本当、女の扱い雑すぎ!!」
「うるさい阿婆擦れ。……ここから子子と一緒に走って下れ」
そう言いながら辰巳は軍人の一突きをしゃがんで交わした後、私を蹴り飛ばした反動で身体を大きく捻り、軍人の腹目掛けて蹴りを入れていた。いくらよろいをつけていても、全体重を入れた蹴りだったら、身体がぐらついても仕方がない。
……なんて、観戦してる余裕なんてないか。
戌亥さんは戌亥さんで、大剣を大きく振り回して、軍人達を文字通り薙ぎ払っていた。いくら槍でも、大剣の一閃を防ぐ事はできなかったみたい。私は辰巳に蹴り飛ばされて尻餅をついていたけど、特に木に大きくぶつかる事もなく、木の葉をクッションにしてそんなに痛くはなかった。……蹴られた部分はそりゃ痛いけど、文句は後でにしよう。
「子子ちゃん、ごめん。一緒に逃げよう」
「分かりました……!」
子子ちゃんは小さくてすばしっこいせいか、何とか槍から逃げ回って私の傍に走りかけてきた。走り出そうとして、私の鞄の柄に何かが差し込まれているのに気付いた。辰巳の竹簡だ。
「辰巳、これ……!」
なんて言おうとしたけど、辰巳は今は軍人達と応戦していて、それどころじゃないみたい。仕方なく私は差し込まれていた竹簡を私の鞄の中にきちんと放り込んでおくと、そのまま子子ちゃんと手を繋いで走り出していた。
「辰巳、後で!」
「いいからさっさと行け、卯月!」
「うん!!」
「卯月さん、行きましょう!」
「分かってる!」
森の中だから、坂道だから、走るのは楽。でも……。振り返る暇なんてないけれど、血の匂いがして、うめき声を背中で聞いているのは怖い。辰巳や戌亥さんが簡単にやられるなんて思ってないけど、でも。
ただ身体全体を使って子子ちゃんと一緒に逃げる事に専念した。もっと体育の授業を真面目にしてればよかった。そしたらきっと裸足で走っても大丈夫だったはずなのに。そう思いながら、必死で足を動かした。
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しばらく坂を必死で走り、さっき子子ちゃんに見てもらった足からは血が吹き出ていた。潰れた豆がさらに潰れて、ぐじぐじになってしまっている。身体全体で息をし、身体が熱くて何度息をしてもまともに酸素を取り込めているのか自信がなかった。
何とか辰巳と戌亥さんがせき止めてくれているせいなのか、今の所軍人達が追いかけてくるのは確認できない。
ようやく止まった時には、私はへたり込んでぜえぜえと息をしていた。寒いはずなのに、汗が噴き出て止まってくれない。
「卯月さん、大丈夫ですか?」
対して子子ちゃんは少しだけ息を切らしてはいるものの、私みたいに身体全体に熱を持つ事もなければ、身体全体で息をする事もなかった。この世界にはあんまり乗り物がないから、なんだろうなと、回らない頭で考える。
汗をぬぐいつつ、私はどうにかしゃべろうとするけれど、呼吸が激しくって言葉にならず、頷くだけにとどまってしまった。
それを見ながら、子子ちゃんはほっと溜息をつき、「それはよかったです」と答えてくれた。
「はあ……はあ……辰巳、達、大丈夫……かな」
「大丈夫ですよ。戌亥様も、辰巳さんも。お強い方々ですから」
「うん……そうなんだけどさ……」
「でも、少しだけおかしいなと思います」
「え……?」
子子ちゃんは辺りを見回しながら、困ったように眉を潜めた。私はようやく整ってきた息をそっと吸い込み直すと、ごしごし拳で汗を拭ってから周りを見回した。人の気配はあまりないけれど、それはさっきまで同じだったはず。
でも……。何だか静かすぎる気がする。人の気配がなくたって動物の気配はあったし(向こうもテリトリーや餌目当てでない限りは寄ってこなかったけど)、何だか不自然過ぎるような気はした。
「どういう……事だろうね?」
「……まさかとは思いますが、この先は確か邑があったかと思います」
「下方の邑なの?」
「はい。ですから」
そう言おうとした瞬間、何かが飛んできて、私の頬をかすめた。
「いだっ!?」
「卯月さん!?」
飛んできたのは、石だった。




