逋逃篇 二
重い沈黙が降りかけたのをあっさりと打ち破ったのは、さっさと食事を済ませてしまった戌亥さんだった。器を「ご馳走様」と子子ちゃんに渡すと、頬杖をついてこちらに向き直った。
「でも、お前さんの姉弟子とやらが卯月とお前さんの主僕関係を上書きしようとしたのはあくまでお前さんの予測だろう? どこでそれをやられたのか心当たりはないのか? 仙術の事は詳しくないが、そんな遠距離で何でもできるもんでもないんじゃないか?」
「あ……うん、そうだ。どこでだと思う?」
戌亥さんの問いに辰巳は眉を寄せる。いつもみたいに深く皺を寄せると、辰巳はやがて口を開く。
「恐らくだが……あいつ、あの亥とか言う男。あいつに祭具用宝貝を渡したのはあいつだ」
「あ……でも、何でわざわざそんな事したの? だってさ祭具用宝貝って、貴重品じゃ……」
「……あいつには、理由なんてものはないんだよ」
「ええ?」
意味が分からない。私は思わず目を瞬かせる。辰巳は少しだけ諦めたような顔をした後、子子ちゃんの方を見た。
「食事、俺にもくれ」
「えっ? はい……!」
「……詳しい対策は今は話せない。食事が終わってからだ」
「……うん。子子ちゃん、私にもちょうだい」
「少し待って下さいね」
ぎこちない空気はやっぱりまだぎくしゃくしたままだったけれど、それでも何とか笑って食事をした。
でも……時々出て来ていた辰巳の姉弟子さんって……そんな危ない人なの? でも……今日見た夢……もしあの人が姉弟子さんだとしたら……あの人は……。
少しだけ背筋に冷たい汗が流れるような気がした。
……やだな、想像だけで脅えてもしょうがないじゃない。私はできるだけ胸の中で感じるザラザラしたものに気付かない振りをして、とにかく笑って見せた。
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食事が終わった後、私は辰巳に連れられて茂みの中に入って行った。流石にこれ以上は仙道ではない戌亥さんと子子ちゃんには見せられないらしい。
「そこに座れ」
「え? うん……」
スカートを抑えながら正座すると、辰巳は何か濃い匂いのものを辺りに撒いた。あれから、お清めの塩……みたいなものかな。私がじっと見ていたら、辰巳と目があった。しばらく目を合わせていたら、辰巳が溜息をついた。
「……何、その反応は」
「お前、その笑うのやめろ。不愉快だ」
「何よそれ」
「笑ってるようには見えない。その見え透いた表情は」
「……本当、何よそれ」
私は少しだけむっとして頬を膨らませた。泣いたって何も変わらないじゃない。怒ってたってどうしようもないし。笑ってるのが精神衛生面で一番マシだって思っただけなんだから。
私の考えを読んだのかどうだか分からないけれど、辰巳はもう一度溜息をついた。
今度は何だ。思わず身構えたら、辰巳が一歩前に出て。
私の前で膝を付くと、ポンと私の頭に手を置いたのだ。そしてグリグリと撫でてくる。
「ちょっ……何?」
「お前は別に泣いても怒っても構わない。我慢は、別に覚えなくていい」
「もう……! アンタの言ってる事って本当さっぱり分からない! 主語述語あと話の意図位言いなさいよ!?」
「……この国は、それが失われた国だから」
「何が」
「……この国は、声を大にしておかしい事を「おかしい」と言う事ができない。いつ誰にどこで聞かれているのか、分からないからな」
「……!」
「……術の強化を施す。一応結界は張ったが、それまで破られたらお手上げだから手短に済ます」
「うっ、うん」
辰巳は言いたい事だけ言うと、ようやく手を離した。私は撫でられて少しだけ乱れた髪に触れる。
……そっか。辰巳は。
竜を呼んで、一度世界を終わらせようとする位に、追い詰められてたんだ。前の時と言い、今と言い、何とどう戦ってるのかさっぱり分からないけど。
あいつは、見せないものと戦ってる気がする。
それが姉弟子さんなのか、この世界そのものなのか、やっぱりよく分からないけど。




