無名の邑篇 十二
槍の切っ先が煌めいたかと思うと、一閃。それは辰巳の服を切り裂いた。辰巳は私を突き飛ばしたかと思うと、剣を構えて懐に飛び込もうとするが、それは槍で塞がれた。
つば競り合いでギシギシと言う金属の噛み合う音が響く。
「家畜がぶーぶーと鳴いているわ。貴様はそのふしだらな家畜をどうするつもりだ?」
「……お前には関係ない。それより、もし生贄がなかったら、あんた達はどうするつもりだ?」
「収穫の見込めない畑を大事にするのか、貴様は。そんな畑、燃やして次の畑の肥やしにするまでだ」
「…………!!」
突き飛ばされ、私は慌ててスカートを整えていたけれど、その言葉に息を飲んだ。
ちょっと待って、それじゃあさっき許嫁さんを助けたら……申さんの邑は……。
私が何も言えないでいると、ザンッて言う音が響く。何かと目を凝らしてみると、生臭い鉄の匂いが充満した。
私の腕が掴まれたかと思うと、それは辰巳だった。掴んで手はぬるりとする。それが血だと言う事はすぐに分かった。
「ちょ……」
「走るぞ」
「辰巳?」
「いいから、走る」
「……うん」
私は辰巳に引っ張りあげられて立ち上がると、そのまま駆け出した。
頭の中がパンクしそう。
人の事を簡単に野菜扱いしたり、邑燃やすって言ったり、血生臭かったり……。
それでも辰巳のベタリとした血の感触が、これが夢ではないんだと言う事を思い知らせる。嫌だとも、怖いとも、感覚が麻痺して、感情が追いついてはくれなかった。
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どれだけ走ったのか、真っ暗で距離感が掴めなくって分からない。ただ、辰巳に掴まれてひたすら走って、ふいに止まった時には、全身で息をしていた。さっきまで感じていた肌寒さはどこにも感じず、マフラーを付けて来なくって正解だったのかもしれないと、あまり回らない頭でぼんやりと考えた。
辿り着いた先には、ようやく目を細めたり凝らしたりしなくっても見える程度には光源が存在していた。ぱちぱちと火の粉が弾け、薪が爆ぜているのが見えた。そこに見えるのは、腕を組んだ戌亥さんと、彼に寄り添っている子子ちゃん。そして抱き合っている申さんと彼の婚約者さんだった。
辰巳に気付いた申さんは、婚約者さんから身体を離すと慌ててこちらに向かって来た。
「道士様……! ご無事でしたか!!」
「何とか。一応あそこの大将は仕留めたはずだ。……今晩中に発った方がいい」
「……やはり、そうですか」
そのやりとりを聞いて、さっきの人の事を思う。やっぱりさっきの軍人さんを辰巳は……。そして、あの邑は……。
私が唇を噛むのを他所に、申さんは何度も何度も辰巳と戌亥さんに対して頭を下げ続けていた。
「本当に……本当にありがとうございました。おかげで、彼女は無事です」
「そうかい、そりゃよかった。万里の長城に向かえばいい。もし北都を目指すんだったら、「戌亥の口利きがある」って言えば融通も利くだろ」
「本当に……何から何まで、ありがとうございます。あの……皆さんもお気を付けて」
「ああ、そうするよ」
最後に戌亥さんは薪の火を大きな木に移すと、それを申さんにあげた。
「まあ、軍人もお前さん達の方は見逃すだろうさ」
「……はい」
それだけのやり取りを済ませた後、最後に申さんはこちらを見て、もう一度頭を下げた。
「道士様、皆様、本当に。本当にありがとうございました」
そう言うと、許嫁さんと一緒にこの場を後にした。ゆらゆらとした火が遠ざかって行く。
私は、ただその場にへたり込んだ。何だか、とっても疲れた。そうとしか言えない。
と、ふと私の肩に何かがかけられて振り返ると、子子ちゃんが何かの毛皮を私にかけてくれたのだ。弱々しく微笑む。
「あの、お疲れ様です。あの……」
「ああ。私は卯月。子子ちゃんもお疲れ様」
「あの……大丈夫でしょうか? 顔が……」
「ああ、ううん。何でもない」
「そうでしょうか……?」
気遣わしげにこっちを見てくる子子ちゃんに、私は「大丈夫大丈夫」と笑い飛ばす。
でも……正直今はさっさと眠りたいって気持ちが強い。
大丈夫か否かって言うと、答えは「どっちでもない」としか言えない。キャパシティーオーバーって感じで、今はもう、何も考えたくないって言うのが正解だった。
焚き火がパチッと言う音を立てながら、赤々と燃えている。私はその前で膝を抱えながらぼんやりと見ていた。
畑って何? ひとでなしが家畜って何? 人が死んで、その人を助けたら邑が燃やされて……。
私は膝に顔を埋めた。
今はもう、何も考えたくない。
うつらうつらと眠りが押し寄せてきたのは、これ以上考えるなって言う無意識からのストッパーなのかもしれない。




