無名の邑篇 九
昼間も温かいとは言い切れない温度だったけれど、夜にもなったら火の近くに立たないと寒くて自然と歯と歯がかちかちと鳴った。
私は思わず息をフーフーと手に吐きかけて擦り付けると、辰巳は目を細めて、「うるさい、卯月」と睨んできた。
仙道はご飯食べなくっても平気って言うのは甲さんも言ってたし、辰巳もそうだって言ってたけど、温度も我慢しようと思えばできるのかしら、と私は思わず勘ぐりたくなってきた。
「分かってるけど、寒いものは寒いんですけど」
「あんまり声を上げるな、そろそろ一行が来る」
「分かってますってば!」
「大声出すな、聞こえてる」
「へいへい」
辰巳は小声だがはっきりとした口調で言い捨てると、茂みからじっと道を見た。思わず私は辰巳を半眼で睨んだ後、茂みの向こうに視線を移した。
何か派手な音楽と火らしい揺れる光源がこちらに近付いて来ていた。今は私と辰巳だけだ、この茂みに隠れているのは。
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今は私達は二手に分かれていた。
生贄を運ぶ神輿に襲撃をかけるのは、戌亥さんと子子ちゃんが請け負ってくれる事となった。
「いつもやってる事だからなあ」
「何言ってるんですか、戌亥様。普段そんな事しません」
「そりゃ子子が見てない所でやってるから」
「むー……」
子子ちゃんが頬を膨らませて怒っていたのが印象的だった。
まずは戌亥さんと子子ちゃんが神輿に襲撃をかける。派手に動いて、火を消す。真っ暗になって騒ぎになっている間に、奪還側の辰巳と私が許嫁さんを連れて逃げると言うシンプルな作戦だ。
「一見楽な策に見えるが、あの神輿を担いでいる護衛は大国の軍人だ。失敗したら最悪の場合も考えられる。一人でも捕まったらその時点で逃げる事に専念して、奪還は諦めてもらう。
それでいいのだったら、助ける協力をする」
辰巳は淡々と邑から神輿の移動ルートを計測し、生贄一行の気が緩む時間を計算した上で、襲撃犯と奪還犯に分けたのだ。
辰巳のその言葉に、申さんはまたも地面に額を擦りつけるように手をついて頭を下げた。
「……お願いします。彼女を……助けて下さい」
「分かった。善処する」
こうして、夜を待ってから行動を開始する事とした。
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音楽が耳に入る。
笛の音が随分と軽やかで、神輿を担いでいる人達を囲んで楽団が歩いている。
そしてその楽団を守るように、旗を持った鎧をつけた人を筆頭に、槍を構えた人達が歩いている。明らかに私達は多勢に無勢だった。
そりゃ戌亥さんが大剣や宝貝使うのがすごい人だって言うのは知ってるけど、この人数潜って火を消すって言う事はできるものなの?
「あのさ、戌亥さん達、大丈夫なの?」
「だから時間を狙った。いくら軍人でも気を張り詰めている瞬間って言う物があるからな」
「それってまずくない? 気を張り詰めてるんだったら、尚の事すぐ察しちゃうじゃない」
「だからだよ」
それってどういう事なんだろう?
私が思わずぎゅっとスカートの裾を掴んだ瞬間だった。反対側の茂みから、明らかに音が響いた。
「誰だ!?」
途端に警戒して、槍を持った人達が槍を構える。あれ……あそこは、戌亥さん達が隠れている茂みじゃない……。辰巳はぐいっと私の腕を掴んだ。
「ちょっと……何? 痛い」
「行くぞ」
「分かったけど……でもあの茂みにいるの誰?」
「人はいないよ。ただちょっと細工を置いておいただけだ」
「細工って……」
私は辰巳に促されるまま、小枝を踏むなんてお約束をしないように走り出した時、「うわぁぁぁぁぁl!?」と悲鳴が響くのに気付いて、走りながら後ろを振り返った。
茂みがガサガサガサガサッと大きく音を立てたかと思うと、そこから雲が飛び出してきたのだ。あれはどう見ても、甲さんからもらった僕の筋斗雲だった。
「辰巳、いつの間に……」
「昼間に師匠の僕を置いてきただけだ。多分戌亥達もあれ見て動き出すだろ」
辰巳はそう淡々と言い切った。




