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無名の邑篇 六

「……私は申と申します」


 辰巳が促した結果、大人しく手当てを受けていた男の人がようやく口を開いた。

 申さんと名乗る彼は、服の袖をきつく掴んで語り出す様は、妙に声を振り絞っているようにも見えた。

 私はちらりと辰巳を見ると、辰巳はじっと申さんを見ていた。戌亥さんは渋い顔で、子子ちゃんの様子は分からない。


「私の邑には風習があります。

 年に一度、邑の安寧のために生贄を一人差し出すと言う物です」

「……!」


 辰巳の目は大きく見開かれ、私は今申さんの言った意味が分からず、思わずじっと見た。

 生贄って……生贄、よね? 映画でしか聞いた事も見た事もない実感の伴わない言葉に、私は思わずフリーズしかかった思考を無理矢理動かして、申さんの次の言葉を待つ。


「私には次の満月の日に結婚を約束した女性がいます。それが……今年の生贄に選ばれました。私は彼女と一緒に逃げ出そうとしましたが……私は罰で邑を追放、彼女は連れ戻されて、今日、生贄に差し出されます」

「何ソレ……」


 現実味の伴わない言葉の羅列だけれど、それが現実だって事は、今怪我を負っている申さんを見れば分かる事。男性はじっと辰巳を見た。辰巳は何か考え込んだ様子で、口を引き結んでいる。


「喉が渇いて川の方に来た時、あなたをお見かけしました。あなたは……仙人様……ですよね?」

「……俺は道士だ。仙人じゃない」

「……お願いです、私の妻を……寅を……助けて下さい……」


 申さんはがばりを手を地面に合わせると、額を地面にこすり付けるようにして突っ伏した。ペタリ。と辰巳が治療を施していた布が地面に落ちる。

 私は考え込んでいる辰巳を見る。


「俺は反対だがなあ……」


 そう言い出したのは、意外な事に戌亥さんだった。


「えっ? どうして……」

「因習に関わるとろくな事がない。確かにお前さんの嫁さんには気の毒な話ではあるが……」

「でっ、でも……申さんのお嫁さん、今捕まってるんでしょう!?」

「うーん……だがなあ……」


 戌亥さんの言葉の歯切れが悪い。そしてちらちらと辰巳を見ている。辰巳は口を引き結んだまま、何やら考え込んでいる様子だけれど、やっぱり不機嫌な顔のままで、何考えてるのかさっぱり分からない。

 やがて口を開いたのは。


「……断る」

「え……?」


 ばっさりと切り捨てる冷たい一言だった。私よりも、頭を額につけたまんまの申さんの方が辛そうだった。


「あんたの気持ちは分かる。だが、それはできない。全員を助ける事はできないぞ?」

「……私の、妻だけでいいのです」

「それだと話にならないな、断る」

「ちょっと……辰巳……!?」


 我慢ができなくなって叫ぶと、辰巳が目を吊り上げたまま私を睨んだ。まるで口を挟まれて迷惑しているみたいな目が、余計癪に障った。


「分かってないならお前は黙ってろ」

「分かってないって……分かる訳ないでしょう!?」


 我慢できなくなって思わず声を荒らげる。辰巳は目を細めるばかりだ。何故か戌亥さんは楽しそうな顔をするけれど。


「全然何の説明も受けてない! 一から十まで説明しろとは言わないけど、私、この世界のシステム……規則とか法則とかぜんっぜん知らない! だから分かりようがないじゃない! ただ助けたいから助けたい! 助けられないから助けられない! その簡単な事で物事判断できない訳!? ……検討違いかもしれないけど、でも。私、アンタのそういうまどろっこしい性格大っ嫌い!!」


 本当に辰巳に怒鳴っても、ただの的外れかもしれないけど。でもこの間に見世物小屋の事は、私だって結構堪えてるのだ。やりたいって思った事をやれないのは、やっぱり間違ってるしおかしい。それは多分私の世界とこの世界でも何ら分からないはずなのだ。

 辰巳は助けたいって思ったから申さんに優しくしたはずじゃない。そう思ったら口を出さずにはいられなかった。

 辰巳は少しだけ虚を突かれたかのように、皺が消えたけれど、すぐにまた眉間に深く皺をつけた。


「……言っておくが、お前は責任ってものを取れるのか?」

「やりたいからやって、それで人に押し付けるつもりはない」

「……俺は壊すぞ?」

「何を」

「申の許嫁を助けるには、邑を潰すしかできないんだぞ?」

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