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無名の邑篇 五

 辰巳が苦りきった顔をしつつも、未だに剣の柄から手を離さない事に、私は怪訝な顔をした。


「あのさ、辰巳」

「何だ阿婆擦れ」

「もう……ホントそればっか。何で手を」


 離さないのかな。

 そう続けるより先に、辰巳は背後に振り返った。


「それで……さっきから付けて来てるあんたは、このちびの知り合いか? 賊か? どっちだ?」


 辰巳の淡々とした言葉に、私は思わずぎょっとした。思わず辰巳の顔を見ると、相変わらずの眉間に皺を寄せた機嫌の悪い顔。まあ、辰巳の機嫌のいい顔なんてものは、見ても気味が悪いとしか思えないかもだけど。続いて戌亥さんを見てみると、こちらはさも愉快な物を見る目で見ていた。それは辰巳の言動が面白いのか、茂みの向こうが面白いのかまでは分からない。

 辰巳の厳しい声の後に、茂みはまたもガサッと音を立てる。子子ちゃんが立てた音よりも大きく。

 そして、出てきたものを見て、私は思わず息を飲んだ。

 出てきたのは、簡素な服を着た男の人だった。例えるなら、ドキュメントでちらっとだけ見た、モンゴルの遊牧民みたいな出で立ち。多分この辺りが緑が多いから、そんなイメージが湧いたのかもしれない。

 そして息を飲んだ理由。

 明らかに事故ではつかないような青痣と、服にそれが何かすぐ分かるような赤黒い染みだった。


「す、すみません……先程から話を伺っていました……べ、別に私は賊などでは、ありません……」

「ふん……」

「あ……」


 子子ちゃんはびくりと肩を跳ねさせた後、戌亥さんの後ろに引っ込んでしまった。えっ? 私は思わず目をぱちくりとさせていたら、戌亥さんは苦笑を浮かべて自分の背中に隠れた子子ちゃんを見る。

 辰巳はそれを目尻で見て、口の中で横にいる私にしか聞こえないような音で舌打ちをした。何なの、その嫌な反応は……。

 私が思わず目を半眼にして辰巳を睨むより先に、辰巳はボロボロの男の人を見て、屈んだ。


「……どうした、誰にやられた?」

「え?」


 私はその辰巳の言葉に半眼にした目を開いてしまった。辰巳がこんなに優しい声をしているの、初めて聞いたから……。

 そんな要素どこに? そう思って男の人を見ていて、気が付いた。この男の人、辰巳と見世物小屋の女の子達以外で初めて見た、尻尾のない人だ。

 ひとでなし……って事だよね?


「……はい、邑の人にやられたんです」

「邑で?」

「はい……」


 男の人がそう言うのに、辰巳は目を細める。尻尾がないからって……そんな。男の人は顔を歪める。顔は痣だらけで、その青痣が本当に痛々しい。

 辰巳はようやく剣の柄から手を離すと、荷物から何かを取り出した。ガーゼみたいな布に、漢方薬の匂いのする粉末。竹筒の水で川の水を汲み取ると、布にそれを浸し、粉末をくるんだ。布は烏龍茶色に染まる。


「屈め。あんた、その痣冷やしてる暇なかったのか? あまりひどいと熱で倒れるぞ」

「すみません……時間がなかったんです」


 男の人が屈んだら、辰巳は黙って薬を浸した布で彼の青痣を拭き始めた。痛くて染みるのか、拭かれるままの男の人は時折口から苦痛の声が漏れ出るけれど、それでも少しこびり付いていた赤黒い塊が見えなくなっただけでも多少痛々しい雰囲気が払拭された気がした。


「話せ」

「え……?」

「その邑で起こった事」


 え……?

 私はますます持って、辰巳の発言の意図が分からずに口を馬鹿みたいにポカーンと開けた。

 何でもかんでもつっけんどんな辰巳が、どうしてそんなに親身になって人の話を聞こうとしてるの? それとも……この人が尻尾がない、辰巳と同じ人だからって事なの……?

 ちらりと見ると、今度は戌亥さんが渋い顔をしているのに気が付く。子子ちゃんは相変わらず戌亥さんの背中から出てくる気配はない。

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