無名の邑篇 二
戌亥さんに教えてもらった場所を探しまわる事しばし。
この辺りは苔が多くって妙に滑る。さっきから川の音が聞こえるから、川が近いのかしら。昔林間学校で山登りをした事を思い出しながら、私はつるつる滑る地面を何とか頑張って木に捕まって歩いていた。
「辰巳ー、何でこんな面倒臭い場所にいるのー」
道士の修業って言われても、私が会った時の辰巳は洞窟に篭もって何かいっぱい書いていた事しか思い浮かばず、こんな場所で修業なんて言われてもピンと来ない。
たくさん文句が頭の中をよぎりつつ、水音がたくさん聞こえてきたので、きっと川が近いんならどん詰まり、多分この辺りに辰巳はいるんじゃないかな、と思って耳を澄ませた。
やがて、何かぴかぴか光る事に気付き、私は目を細めてそちらを見た。
川が流れ、川の上には苔むした岩がたくさん川から伸びるように並んである。辰巳はその苔まみれの岩の上にいた。
光っているのは木漏れ日を映す刃の乱反射。辰巳はいつもの剣を抜いて、それを振るっていたのだ。足は苔まみれの上を歩いているとは思えない位に、軽やかに踏んで。
前に戌亥さんとやり合っていたり乱闘していたりした時とは違う剣さばきに、私は口を開けて見とれてしまった。剣を鞘に納め、抜く。その抜き方も振り降ろし方も、戦う時とは全く違う。何と言うか……舞い? 剣の舞、そんな感じがする。一定のリズムを刻んで剣を振る様は、その音だけで音楽になっている気がする。クラシックとか雅楽とかそんな感じじゃなく、もっと原始的なもの。
しばらく見惚れていた所で、ようやく剣は再び鞘に納まった。
「……何だ? こんな所で盗み見して」
辰巳の無愛想なつぶやきみたいな声で、私は惚けからすぐに我に帰った。辰巳は振り返って半眼でこちらを見ていた。私は思わず舌を出す。
「盗み見なんてしてないもん。戌亥さんから聞いたの。あんたが修練してるって」
「危ないからあまり火の所から離れるな」
「何よ、あんたより寝てたら文句言う癖して、探したら来るなですか」
「うるさい、子供じゃあるまいし一人で帰れる」
またどうしてこんな言動しかできないんだろ、本当にこいつは。私は思わずむっとしたけれど、我慢我慢。別に喧嘩したい訳じゃないんだし。
「でさ、今日はどこまで歩くの?」
「この近くに邑がある。そこで宝貝か女が来てないかの聞き込みを行うつもり」
「あのさあ、前から思ってたんだけど」
「何だ?」
辰巳がまたも愛想のない声で、苔だらけの岩から私の隣に飛んだ。滑ってこけるのかしらと一瞬思ったけれど、辰巳の着地には全く音が立たなかった。
「時々辰巳の話の中に出てくる女って一体誰の事? ほら、甲さんの所に宝貝もらいに行く時にも言ってた……」
「……あいつとは関わりにならない方がいい。あいつはお前なんかじゃ手に追えない。師匠もあの女を持て余してたんだから」
「んー……でもその人、仙人郷にいた人なんでしょ? そんな悪い人なの?」
「……お前はさっさと帰らせる。あいつに見つかったら厄介な事にしかならないから」
辰巳はそれだけ言うと、それ以上は口を開いてくれなかった。
一体何なんだろ。そんな面倒臭い人でも……あの甲さんの弟子だったのよね? 甲さんの手に追えない人って言うのが全くピンと来なかった。
そう思っていたら、茂みがいきなりガサガサと音がした。
え、何?
私が反応するより、辰巳が剣を抜いて茂みを睨む方が早かった。
「誰だ?」
茂みからは何の反応もない。でも辰巳の声は険しいままだ。
「え? あそこにいるの……人?」
「仙力の気配がする……人だ。誰だ?」
辰巳が畳み掛けるようにして重ねる冷たい声の後、か細くって茂みの鳴る音に負けてしまいそうな弱々しい声が返って来た。
「すみません……人を探してた、だけなんです」
女の子の声だった。




