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胡蝶篇 七

「出ーしーてー出ーしーてー!!」


 私はそう声を張り上げた。

 別にそう言ったら本当に出してくれるとは期待していない。

 ただ、私が今牢屋の壁を張って登っているのを感付かれたら嫌な予感しかしないから、音を大声で誤魔化していたのだ。


/*/


 酉さんが私を拘束して放り込んだのは、派手派手な成金趣味の屋敷の地下だった。

 カビ臭い上に、変な声が地下室に反響して気持ちが悪い。あの声、明らかに女の人じゃない。

 私が顔を歪めたのに気付いたのか、酉さんは心底申し訳なさそうな声で「すまない、でも悪いようにはしないから」とだけ謝ってくれた。いや、酉さんはそんなつもりないかもしれないけどさ、他の人はどうだか分からないじゃない。

 地下はかろうじて脂を入れたお皿に火が灯されているけど(辰巳の使ってた脂よりいいんだろうな、きっと。臭くないもん)薄暗い事には変わりがない。

 やがて、私はようやく腕の拘束を解かれたと思ったら一つの牢屋に押し込められ、外から鍵をかけられた。

 外から柵越しに丸見えで、寝床らしい所には汚くて薄い、布団と呼んでいいのかも疑問な布が丸めて置いてあった。

 ヤダ。何コレ。悪い事なんて全然してないのに、完全に私犯罪者と同じ扱いじゃない。


「すまない、食事を持ってくるから、ちょっと待っててくれ」

「あっ、ちょっと……!」


 柵を両手で掴んでがしゃんがしゃんと鳴らしてみても、当然曲がる訳なんてなく、柵と柵の隙間をどうにかすり抜けられないかと身体を横にして無理矢理通ろうとしても、隙間が思っているより細くて、胸なんて出てない私でも通り抜けるなんて事はできなかった。

 せめてどうにかできないかなと思って辺りを見回すと、天井に風が通っている穴を見つけた。この世界にも空気口なんてあったんだと思いつつ、逃げるとなったらここから出るしかないと思って壁に足をかけた。

 幸い向かいの牢屋には誰もいなかったし、牢屋の壁は石造りで、石と石の間のほんっとうにわずかな隙間に足を引っかける事は何とかできた。

 だからこうして、大声を出してよじ登っている。


「出ーしーてー出ーしーてー!!」


 やがて、手が空気口のふたに届きかける。やった、ここから逃げ出せ……。

 そう思って気が緩んだのがいけなかった。

 ベチョッ。


「へ……?」


 頭の上を、かさかさと何かが這いずり回る。

 こんなの、前にも同じ事があったような……。

 やがて、その頭を這いずり回っていたものは、私の制服の下に入ろうとして……。


「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 肌から寒イボがぼつぼつと出て、叫んだ瞬間に手が壁から離れてしまった。いだっ! そのまま床に頭から転がり落ちてしまう。私は頭を押さえたい所をぐっとこらえて、制服の下に入り込んだそれをブレザーの上着を脱いで取り出す。


「またアンタかぁぁぁぁ!!」


 私の制服の中を這いずり回っていたのは、大きな蜘蛛だった。

 もう何なのここは、何で仙人郷にもいたようなでっかい蜘蛛しかいないの。私は気持ちが悪くって、とりあえず牢屋の外にぽいっと放り出した。もう何なの……本当に最悪。もう一度空気口まで登ろうかなとも考えたけど、興が削がれてしまった。とりあえずもうちょっと気を取り直してから再チャレンジしようかな。そう思っていたら。


「……君は本当に元気だな」

「酉さん!」


 酉さんは呆れたような顔で、お盆を持って立っていた。

 牢屋の下の方を開けると(残念ながら私が逃げ出せそうな隙間なんてものはそこにはない)お盆を差し入れる。お盆に乗っていたのは、いい匂いのするお粥だった……って私、ここに来てからお粥ばっかり食べてる気がする。いい加減固形物食べたいなあ、病人じゃないんだからさ。


「ありがとう」

「……君は本当に気持ちがいいね」

「そうなんですか?」


 私はお盆からお粥の入った器を取り、ふうふうと息を吹きかけながらお粥をレンゲですくった。何かこの味、昔中華街で食べたお粥の味だなあ。仙人郷で甲さんが食べさせてくれた茶粥はおいしかったけどダシみたいなものは全然入ってなかった。こっちのはホタテか何かのダシが入ってるのかなあ。そう私は頭の悪い事を考えながら、はふはふとお粥を食べるのを、酉さんは顔に苦笑を貼り付けて見ていた。


「……本当にこれを食べてよかったのか?」

「はい? 何でですか?」

「何か入ってるとか思わないのか?」

「嫌ですねえ、酉さんは多分そんな事しないって思ったから食べてるんですよー」

「でもここは娼館だ」

「……」


 思わず動かしていたレンゲを止める。

 そう言えば、私が壁登りしている時はそっちに集中して聴こえないようにしていたけど、未だに女の人の悩ましげな声が聴こえる。もっとも、私の今いる所よりも奥らしくって、何してるのかは見なくて済んだけど。


「えーっと……もしかするととは思いますけど、これ何か入ってたりします?」

「何が入っていると思う?」

「えと……」


 酉さんは目を細める。何か知らないけど、その表情は随分意地悪い顔に見えた。

 何だろうこのシチュエーション。まるでやっすいAVみたいだなあ。見た事ないから人の聞いた話の聞きかじりだけど。


「……えっちい薬とかですか?」

「え?」

「助平薬とか」

「ぷっ……」


 そのまま酉さんは口元を押さえて背中丸めて笑い出してしまった。

 何なのもう、もしかしてからかわれた?


「笑わないで下さいよ! こっちは必死なんですから!」

「……くく、ごめんごめん。でも大丈夫。本当に冗談で、媚薬なんて入れてないから」

「……ですよねえ。妹さんあそこで踊らせるの嫌がってる人が、他の人わざわざ助平しませんよね……」


 そう思ったから酉さんは大丈夫そうって思ったんだもん。

 酉さんはようやく手を口元から離して微笑んだ。


「少なくとも、俺はそんな事しないよ」

「ですよねえ。酉さんって何となくいい人っぽいですもん。これで私を逃がしてくれたらもーっといい人なんですけどね」

「それは流石に困るかな」

「やっぱり?」

「分かってて聞いたのか」

「まあそうですねえ」


 辰巳は堅物だし、戌亥さんは飄々としてて掴みどころないから、もしかしたらここに来て初めて優しくしてもらったのかもしれないなあと思う。

 そう思って食べるのを再会したら、あっと言う間にお粥は空っぽになった。


「ご馳走様です」

「お粗末様。それでは」


 そう言って酉さんはお盆を回収して立ち去って行った。

 よーし、それじゃあまた壁登り再会しようかな。そこで私はようやく気が付いた。


「……お腹、出てる」


 さっきのお粥はお粥の癖にして異様にお腹に溜まった。こんなんで仮に空気口まで手が届いても、その隙間から逃げられるの?

 ……もしかしなくても、逃げられないように食べさせられた……?


「あーのーヤーローウー……!!」


 謀られた謀られた謀られた。

 悔しい悔しい悔しい。いい人っぽい癖して腹黒なんて……! 妹さんの事で信じた私が馬鹿みたいじゃない……!!

 仕方なくラジオ体操を始めた。幸いな事に、牢屋は体操してても問題ない程度には広い。何とかしてカロリー消費して、隙間から脱出しないと。ブレザーの上着は腰に巻きつけた。何か変だなとは思うけど、こっちの方が動きやすいし。

 まさか、体育の時は散々馬鹿にしていたラジオ体操が、こんな所で役に立つなんてなあ……。

 そう思って腕を回している時だった。

 金属の引っ掻いた音で、牢屋が開いた事に気付く。


「何だぁ? この随分元気な女は」

「……。誰?」


 牢屋を開けたのは、随分と目つきの悪い男だった。尻尾は七尾。着ている服のせいなのか、印象のせいなのか、何故か戌亥さんと同類に見えた。

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