胡蝶篇 二
太極図の指し示してくれた方角へと、雲は飛んだ。
「あっちだな……」
辰巳はそう呟きながら、雲を別方向へと飛ばす。
既に見えた色とりどりの屋根の方向とはずれてしまって、緑が青々とした場所へと大きく逸れる。
「あっちって言ってるのに、何で別方向行くの!?」
「馬鹿。雲なんて飛んでるの他に見られてみろ。仙人がここまで用事って教えているようなもんだろうが」
「んー? 何で教えちゃ駄目なの?」
「そりゃ、この太極図で分かる通りだろ」
話が全く見えない。
何で太極図で分かる通りなの?
私が首を捻っていたら、辰巳は面倒くさそうに溜息をついた。
「……宝貝使いに気付かれたくないだけだ」
「何で?」
「ばっか。さっきも言った通り、祭具用の宝貝が貴重なんだよ。こっちがそれを回収しに来たって感付かれたら、拒否されるに決まってるだろうが」
「拒否されるって……拒否されたらどうするの?」
「……ああ、もう。ほんっとうにお前はおめでたい奴だな」
「…………」
私はあからさまに馬鹿にしてくる辰巳を、むっとしながら睨んでやる。
仕方ないじゃん。私、本当にここに来て間もないのに、何でここの事情を知ってるのよ。うちの世界には仙人も宝貝もなかったのに、どうしてそれの扱いを知ってるのさ。
……なんて思ってたら、また戌亥さんが「まあまあ」と割って入ってきた。
「そりゃ決まってるだろ。奪うに」
「奪うって……交渉とかしないの?」
「相手が拒否するに決まってるだろ」
「そんなの分かんないじゃん。いらないかもしれないのに」
「…………」
辰巳はあからさまに嫌そうな事をしたけれど、黙って太極図を懐に仕舞った。
「いい加減、雲降ろすぞ」
「……うん」
そのまま雲は、ゆっくりと下へと降りていく……。
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雲が降りた先は、ちょうど小さな森だった。
この辺り常葉樹の森なのかな、ちょっと薄暗くて苔臭い。雲は木々のわずかに空いているスペースに落ち着いた。
「あー、足しっびれた~」
私は雲から立ち上がった途端、よろよろとよろけると、戌亥さんが「おっと」と捕まえてくれた。
「ありがとう」
「ん。しっかしあの街に宝貝がねえ……」
「あれ、戌亥さん。さっきの街知ってるの?」
「まあ、ちょっとなあ……」
「そっか」
盗賊も普通の街に行った事があるんだ。私は当たり前な感想を覚えるけれど、もちろん言わない。
辰巳はと言うと、黙って甲さんがくれた雲の術式の書いた巻物を広げ、雲を片付けていた。便利なんだなあ……。
「一つ言っておくけど」
辰巳は雲の巻物を太極図と同じく懐に仕舞い込んでから、私を睨んだ。
「何よ」
「今から行く場所は、この国の一般的な街だ」
「うん、分かってるけど……」
「分かってないから言ってるんだ。絶対仮尾を外すな。取れないように固定しておけ」
「うん……」
「いいな、絶対だ」
「もう、しつこいな。分かってるってば」
私がギャンと吠えたら、辰巳はさっさと踵を返して「分かればいい」とだけ言った。
だから、何でそんな言い方しないのよ、こいつは。
私がイラリとしていたら、戌亥さんが「まあ気にすんな」と言ってきた。
「何で?」
「あいつは単に過保護なだけだよ」
「……私、今一方的に怒られただけな気がするけど」
「そりゃ辰巳の言い方が、過保護な癖して悪いからだなあ」
そう戌亥さんが笑いながら言う。
……まっすます分からない。何で過保護な上に怒られないといけない訳?
私の顔色を読んだのか、戌亥さんは笑いながら「まあ、そんなもんだろ。あいつも神経過敏な所があるからなあ」と続ける。
「って言うか、戌亥さんだって辰巳にさっき会ったばかりじゃん。何でそんな事分かるの?」
「そりゃ分かるさ。だって辰巳は」
そのまま間を止め、戌亥さんは先をすたすたと歩く辰巳を眺める。
「典型的なひとでなしだからなあ」
「……はあ」
「まあ、あいつが卯月を心配しているのは、お前があまりに自分の状況分かってないからだなあ。だからあいつも、本当ならさっさとお前を元の異界に帰してやりたいのに、今はそれができないから。あいつなりに焦ってるんだろ」
「……言ってくれりゃいいのに。そんなの」
「まあそう言ってやるな。あいつも優しい物言いなんてできないんだろ」
「…………」
そうなの?
私は目の前を、こっちを振り返りもせずに歩く辰巳の背中を眺めた。
……全然分からない。そりゃ私だって鈍い人間だとは自覚あるけど、辰巳みたいな石頭の考えている事なんて、さっぱり分からない。
仕方なく、私はそのまま戌亥さんと一緒に辰巳の後を追いかけていった。
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森はそんなに深くなく、10分程歩いたらすぐに抜けてしまった。森の外には石を敷いたりはしていないけど、車輪の跡や草が抜けている跡で舗装された道に出る。
そこを1時間程歩いた所で、ようやく目的の街についた。
「うわあ……人がいる!」
私はきょろきょろと辺りを見回した。
1時間歩いてもっと疲れるのかと思ったけど、仙人郷の岩だらけのでこぼこ道を歩くよりは大分ましだった。あの時はもっと歩いたし。
見回した先は、テレビでしか見た事ない、いかにも中国……! って感じの建物が並んでいた。
通り過ぎる人通り過ぎる人、皆尻尾がついている。でも戌亥さん程尻尾の多い人はあんまりいないみたい。
女の人達が顔を赤らめて、ちらちらと戌亥さんを見ている。まあ、確かに格好いいとは思うけど。
「もててるみたいね」
「まあ、尻尾が多い方が、仙力強いからなあ」
「え、尻尾多いって、そんな意味だったの?」
「ああ。もっとも、暗殺者とかになったらわざと尻尾を隠して見せなくするから厄介だけどなあ。度量を計られたら商売あがったりだからな」
「へえ……」
暗殺者なんて職業、この世界に普通にあったのか。
そりゃ盗賊だっているんだからいるかもしれないけど。私はただただ、関心する事しかできなかった。
山盛りに食べ物にお玉を差しているボウル、蒸し器の湯気、食べるスペースの椅子やテーブルが並んでいる。どうも目の前の店の並びは屋台通りみたい。
その奥も、土産物屋さんらしい店が連なって見える。
「何ここ。観光地?」
「まあ、そんな所だ。小国でもこの辺りの街は、南都の加護を大いに受けているみたいだしなあ」
「そうなの? でもその加護って?」
「そりゃまあ……守ってもらわないと悲惨だしなあ」
私はそう戌亥さんの説明を受けていたら。
「……まずいな」
辰巳はいつの間にやら広げていた太極図を見て、眉間に皺を寄せていた。
「まずいがって……何が?」
「あれのある場所がだ」
「まずい場所って……ここ?」
辰巳が眉間に皺を寄せて見上げる場所は、布を張って作った小屋だった。太極図は、この場所で急速回転を続けていた。




