終局篇 九
丁はそう言い捨てると、目を閉じてしまった。それに辰巳は剣を向ける。そして剣を構え直して、丁へと狙いを定める。既に戌亥さんが地面を抉って揺らして地割れが始まっている。その盛り上がりに彼女は立つばかりで、相変わらず彼女には傷一つ追わない綺麗なものだった。
そのはずなんだけれど……。私は言葉にできない違和感を感じて、丁を見ていた。何だか、あの人。やる気がなくない? さっきまでだって辰巳の攻撃に対して全部受けていたし、彼女の絶対防御のせいで当たらなかった訳だけれど、それでも避ける素振りをしていたって言うのに、彼女は目を閉じたまま、何もしようとしないのだ。これはいくら何でもおかしい。
何コレ。「真面目にしろ」とか言って怒る場面? むしろチャンスと取って「そこだ辰巳やれー!」とか言って応援する場面? どっちにしても違和感しかないのは何でだ。
そもそも、何でそんなに丁は執拗に辰巳を狙っていたって言うのに、いきなりやる気をなくすって言うのよ。辰巳から術式を奪って、それで私の世界に行くって、そんなんじゃなかったって言う訳?
……傍から見ている私ですら感じている違和感を、辰巳が感じていない訳はなく、辰巳もまた丁に剣を向けていた。
パラリ……と黒いものが飛ぶ。わずかとは言えども、丁の髪に辰巳の剣先が当たり、飛び散ったのだ。
「……どういうつもりだ」
辰巳が絞り出すような声を上げた。それにはふつふつとした怒りが滲み出ていた。
……初めて辰巳と会った時、辰巳は常にこうだったような気がする。物事の理不尽さに怒り、復讐しようと竜を呼び出そうとしていた頃の、辰巳。
目を閉じてしまっていた丁が、うっすらと目を開いて辰巳を見る。辰巳は歯を食いしばって、怒りを抑え込むような仕草をした。
「……俺にもう興味はないとか、そんなふざけた事を言い出すつもりじゃないだろうな?」
「そうね──私はもう、あなたには興味はないわ。だって、あなたと私は違うものだって分かったんだもの」
「俺とお前が同じ……? ふざけるな」
「あら、私ふざけた事なんて一度もないわ」
長く曲線を描くまつ毛で彩られた目が、じっと辰巳を見た。彼女の本質さえ知らなかったら、仙女に見初められた道士の絵物語に見えたかもしれないけれど、この二人はそんな関係ではない。
姉弟弟子であり、互いの存在を自分自身全てを使って否定し合いたい、そういう関係だったと──そう思ってたのに。
私はぎゅっと拳を胸元で握りしめた。
「竜を呼び出して、この世全てを破壊して一から作り直そうとしていたあなたと、この山を割って宝貝を取り、彼方へと飛ぼうとした私。どちらもこの山の命運など二の次で、己の欲のまま思うがままに行動しようとしていた。それに違いなんてあって?」
「……違う」
「あら、あなたは自身の術式で呼び出したのはひとでなしの娘だったから、この山を焼き払わずに済んだ。でも、もしあのひとでなしの娘でなかったらどうなっていたのかしら? この世は破壊の限りを尽くされていたのでしょう?」
「……違う」
「もしそうなっていたら、そうね……私とあなたに違いなんかあったかしら」
「違う……!!」
最後の否定は辰巳じゃない──気付けば私が叫んでいた。辰巳が驚いたように目を大きく見開いた。対して丁は目を細めてちらりと横目でこちらを一瞥しただけだ。
「あんたと辰巳を一緒にしないで……! 辰巳はずっと頑張って来たの! たくさんひどい目にあった。私だってわがまま言った。困らせた。私だってこの山の出来事全部を消化できてる訳じゃないけど……! 辰巳はあんたみたいに自分のわがままだけで行動した事なんて一度もない!! 何でも手に入らないと我慢できないって、そんなの駄々っ子とあんたと、どう違うって言うのよ──……!!」
人を斬りたくないのに、人を斬ってきた事を私は知ってる。尾なしの人達が肩身の狭い思いをしてこの山にしがみついて生活している事を憂いているのを私は知ってる。
山一つを滅ぼして宝貝持ってとんずらしようとしている丁と、山一つを統一してどうにかこの山をやり直そうとしている辰巳と、根本なんて真逆に決まってるじゃない……!!
私の言葉なんて丁に全く届いてないかもしれないけど、でも私は。そんな辰巳だからずっと一緒にいたんだ。
これ以上辰巳の事を馬鹿にしないでよ。
私の言葉をどう思ったのかは知らないけれど、丁は初めてこちらを見た。すっと細めた目は怜悧で、思わず震えそうになるけれど、それでも私は足を踏ん張って睨みつけた。
「……あなたね、可愛かったこの子を変えてしまったのは」
そう言いながら手を広げた。ふわり……と羽衣が揺れる。その瞬間だった。辰巳の剣が一閃した。
赤い血が噴き出る。その血を流しているのを見て、私は目を大きく見開いた。今まで一度も攻撃が当たらなかったはずの、丁だったのだ。
彼女が崩れ落ちる瞬間は、まるで椿の花がぽたり、と雪原に落ちたかのようだった。途端にこの場からざわめきが広がっていくのが聞こえた。私はおろおろと辰巳に視線を移す。
「……どう言う風の吹き回しだ。どうして、どうして宝貝を使わなかった」
って、宝貝使わなかったって言うの? 何で、どうして──。
あまりに呆気なく崩れた丁は、ただ辰巳を見て、仙女のように笑みを浮かべていた。
「私とあなたは、真逆なようでいて、とてもよく似ていたわ。私は何を得ても何も感じられなかった。あなたは全てを失ってから、全てを取り戻そうとしていた。
一見真逆に見えるわね──でも、同じよ。
だって、行動の原理には「己の欲」以外を全て切り捨てる覚悟があったのだもの。あなたが竜を呼んでいたら、きっと私とあなたは瓜二つ、何一つ変わらない存在になれたでしょうね。
でも──あなたが呼んだのは竜じゃなかった。だから道を違えたのよ」
ギラギラとした、一つの欲以外に目もくれなかった二人。
初めて執着できるものを見つけて、それ以外を利用し、切り捨てていた丁。
山一つを滅ぼし、復讐のためだけにただひたすらに仙術の研究を続けていた辰巳。
……そっか、確かに似ていたんだ。私が来るまでは。
「さよなら、もう一人の私。
でもね──私とあなたは本質は同じなのよ。あなたはあの子がいなくなったら、必ず私と──……」
それ以上は、何を言っているのかが分からなかった。丁は目を閉じ、眠るように息を引き取ってしまったのだ。
何って言う。何って言うひっどい女なの。
本当にあの女はやりたい事しかやらなかった。飽きたら、興味がなくなったら、自分の命も捨ててしまった。一体どれだけこっちを馬鹿にしたら気が済むの。理不尽な理由で死んだ人達はどうなるの、口止めで殺された丁の部下の命は。あの女にとって、辰巳以外の全ては自分自身も含めて消耗品だったっつう訳なの……!?
「……ふっざけんな!!」
私は思わず叫んでいた。
「何なの!? さんざん好き勝手にこっちを追いかけ回していた癖に、興味がなくなった途端自殺まがいな事して!! ふざけんな、一体何なのよ本当に……!!」
叫ばずにはいられなかった。
こっちがどれだけ迷惑こうむったのかも、自分がいたはずの国の事すらも、あの女からしてみればどうでもいい事だったのかと思ったら、本当に叫ばない理由がない。
でも、剣を振って血を落としてから鞘に納めた辰巳がこっちに寄って来たのに、私は思わず顔を見た。辰巳は眉間に皺を寄せていたのは、自分のしてきた事に唾をかけられた結果なんだろう。ふざけるなって言いたい言葉をそのまま飲み込んだ、そんな顔をしていた。
そして辰巳は、本当に力なく私の頭に拳を押し当ててきた。こつりと言う音はしたけれど、痛くはなかった。
「……もういい、お前黙れ」
「だけど……!!」
「戦場の勝敗は既に決している。向こうだって既に白旗上げてるんだ」
そう言いながらひらりと向こうを見ると、北都国側からは確かに白旗が見えた。
「だけど、あの女は……!!」
「……死んだ奴は生き返らない。それに、これからが戦場なんだ。戦後処理のな」
そう言いながら、辰巳はこれ以上は語りたがらなかった。
「何よ! あんたも別に文句とか言ってもいいんだから。と言うより、勝手に同類意識持たれてたあんたの方が文句たらたらにあるでしょ、私よりも」
そう言うと、本当に珍しい事に辰巳の口元が緩んだ。何だこれ、本当に珍しい顔されたぞ。
「……後で愚痴に付き合え」
そう言いながら辰巳はひとまず仙人を棚に上げて、軍師として指揮を執りに行った。
空を仰ぐと、寒くっても何だか清々しい色をしているような、そんな気がした。
「おうともよ」
相変わらずの言葉が、ポロリと出た。




