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仙人郷篇 十

「ちょっと待って下さい、師匠! そんな事、今初めて聞きましたよ!?」


 辰巳は思わず立ち上がってそう叫ぶ。

 そんなの、叫びたいのはこっちの方よ。蜘蛛に首筋這いずられるわ、足パンパンになるまで歩くわ、崖から落ちかけるわ、挙げ句の果てに高山病でダウンって、私ここに来るまでに結構散々な目に合ってるわよ? それを「宝貝ない、ごめーん」なんて言われても困る!

 私達の事を分かってか分かってないのか、相変わらず甲さんはのほほんとした調子で続けた。


「あの子が最近ここに来て、宝貝根こそぎ持って行っちゃったからねえ」

「はあ? あの子って、誰ですか……?」

「あの子って、まさか……」

「辰巳……?」


「あの子」の言葉を聞いた瞬間、辰巳はあからさまに嫌そうな顔になった。誰よ、その「あの子」って……。


「しかし、宝貝を根こそぎ持って行かれても、あんたは全然困ってないんだなあ」


 私達の様子を観察していた戌亥さんは、のんびりとそう感想を漏らす。


「普段から仙術使って生活しているし、いざとなれば僕を召喚して使役すればいいから、別に困る事はないからねえ」

「現在進行形で、私困ってますけど、困ってますけどぉぉぉ……」


 帰れないのはすっごく困るんですけど。

 もうすぐクリスマスなんだよ? 冬休みなんだよ? お年玉だってもらえるし、クリスマスプレゼントだっておねだりできるのに、帰れないのはすっごく困る。

 おまけに勝手に警察に捜索願いとか出されてた日にゃ、私もう地元で有名な家出娘になって外を闊歩できなくなるじゃない。ヤダ、そんなの。


「あいつが宝貝持っていって、ろくな事に使わないのに……」


 辰巳は辰巳で深刻そうな顔をしているけれど、多分私と心配しているベクトルが全然違うんだろうな。別にいいんだけどさ。

 って、そうだ。


「その人追いかけて宝貝もらうって言うのはできないんですか?」

「……おい、お前本気でそう言ってるのか?」

「えっ……? 私変な事言った?」

「……まあ、お前はあいつの事知らないからそう言えるんだろうけど」


 辰巳は相変わらず「あの子」に対して露骨に嫌な顔をする。

 だから、その「あの子」って誰よ。まあ、言いたくないなら聞かないけどさ。


「追いかけるねえ……ちょっと待って」


 甲さんはそう言うと、何か巻物を取り出した。

 あれ、紙じゃなくって竹なんだ、竹を切って繋いだ巻物を広げると、筆と硯を持ってきて、さらさら何かを書き始めた。最後に甲さんは、自分の指を針みたいな細い棒で少し刺すと、血を巻物に落とした。


「あの……痛くないんですか?」

「そうだねえ、痛いけれど、そうしないと仙術は使えないから」

「はあ……大変なんですねえ」


 私はちらりと巻物を見ると、そこに書かれていたのは陰陽マークだった。確か陰陽師が流行っている時にこんなマークをあちこちで見たような気がする。

 血がポトリと落ちた瞬間、陰陽マークが淡く光ったけれど、すぐに消えた。そう言えば、辰巳が私を召喚した時も、ものすごくまぶしくって一瞬目が見えなくなった気がする。


「お詫びと言っては難だけれど、儀式用に使える宝貝を見つけたら作用する太極図をあげようか」

「はあ……太極図……ですか?」

「うん」


 そう言いながら、しゅるしゅると巻物を巻き直して、紐でくくって辰巳に渡した。辰巳は相変わらずのしかめっ面のまま、それを受け取った。


「……師匠、本当にいいんですか? あいつに宝貝を渡したままで」

「それはそれ。なるようにしかならないからねえ」

「そんな無責任な……」


 辰巳はなおも何か言いたそうな顔をしたけれど、溜息をついて、懐に巻物をしまい込んだ。


「おい、さっさと着替えてこい。まさか寝間着で地上に降りる気じゃないだろうな?」

「……私は別に、宝貝見つけないと帰れないからいいんだけどさ。でも待って」

「何だ」

「まさか、またこんな山降りないと駄目なの……?」

「当たり前だろ。何だ、降りないで俺に宝貝を探しに行けとか言うんじゃないだろうな?」

「そう言う意味じゃなくって! だから、私はアンタと違って体力馬鹿じゃないの! これ登るのもしんどかったのに、降りるのも疲れるから嫌だなあ、しんどいなあって思っただけよ!」

「子供か」

「うるさいわね!」


 私達がギャンギャンしゃべっている間、黙って話を聞いていた戌亥さんは甲さんを見ていた。


「まあ、俺は別に面白そうだから構わないけど。でも本当に、宝貝を探す以外、卯月を異界に帰す方法はないんだ?」

「ないねえ。残念だけれど」

「……ふうん」


 戌亥さんは目を細めて甲さんを見やったけど、すぐに私達の方へと視線を戻す。


「まあ、お前ら仲いいのは分かったからその辺で」

「よくない!」「別に仲なんてちっともよくないから!!」

「はいはい」


 そう言っている間に、甲さんはまた新しい巻物を広げて何かを書いていた。

 ちらっと見えたのは、いつか辰巳の住んでいた洞窟の中で見たような丸い図面だった。また甲さんが血を垂れ流すと、巻物から淡い光が出る。今度は消えない。


「……うわあ」


 光と一緒に出てきたのは、雲だった。


「まあ、お詫びとしてせめて地上までは送れるように、私の僕を貸してあげよう」

「僕って……この雲がですか?」

「うん。筋斗雲と言うんだけれど」

「すごい!!」


 まるで昔読んだ孫悟空みたい。私が恐々と雲に触ってみると、雲はまるでウールみたいにふかふかしている。うわあ、気持ちいい……。


「……師匠、確かに気持ちはありがたいですが、何もそこまでしていただかなくとも」

「でも辰巳。君一人に任せたら、彼女が何年経っても異界に送り返してあげる事は難しいと思うけど? ここから降りるだけで、丸十日は経つからねえ」

「げえ……」


 私はそれを聞いて絶句する。そんなの冗談じゃない……クリスマスどころか、正月だって終わっちゃうじゃない……。

 私の嫌そうな顔を見たせいか、辰巳は嫌々雲を受け取った。


「……分かりました。ありがたくお借りします」

「うん、それがいい」

「……おい、とっとと着替えてこい」

「はーい」


 私はそのまま甲さんの寝所まで走っていった。


/*/


 寝かせてもらったし、ご飯ももらったせいか、さっき感じたクラクラする感じもすっかりなくなった。流石に足パンパンになっているのはなかなか引きそうもないけど、下りは乗り物があるんだから、まあ大丈夫だよね。多分。

 私はブラウスに袖を通し、スカートを履く。最後にジャケットを着ると、腰に無理矢理引っかけられたマフラーを見る。

 これ、地上でも付けとかないと駄目なのかな……駄目なんだよねえ、多分。マフラーは首にするものであって、尻尾にするものじゃないとおもうけど、仕方ないか。


「着替えたか?」

「うん」


 辰巳は私を見ると、何かを投げてきた。

 うわっ。私が思わず手を出すと、手にふかっとした感触が来た。

 って、これって……。


「尻尾?」

「さっきも言っただろ。仮尾だ。付けとけ」

「うん……でもさ、やっぱりマフラ……襟巻きの方が私にはいいかなって思うんだけど……駄目かな?」

「…………」


 辰巳は眉間にくっきりと皺を寄せつつ、私のマフラーをぐいっと取った。


「ちょっと……」

「……一つだけ、お前に言っとく」

「……何よ」

「地上は、ここなんかとは全然違う。ここで会ったのは、たまたま変人しかいなかったからよかったんだ」

「変人って……戌亥さんとか、甲さんの事?」

「……ああ。でも地上はこんなもんじゃ済まない。悪い事は言わないから、ちゃんと仮尾をつけておけ」

「…………」


 もしかして……、辰巳、私の事心配しているの?

 相変わらず辰巳は眉間に皺を寄せててよく分からないけど、そんな気がする。


「うん……分かった。ありがとう」


 私はそう言って、おずおずと仮尾を腰に付けた。

 マフラーはどうしようと悩んだけれど、一緒に持って来ていた鞄の中に突っ込んでおく事にした。


/*/


 雲は、もこもこと大きくなり、ちょうど3人位座れる絨毯みたいになった。


「あの、甲さん。お世話になりました」

「私は何もしてないけどねえ。まあ、辰巳に友達ができてよかったよ」

「……こいつらは別に友達でも何でもありません」

「まあ、いいだろ別に」


 雲はゆっくりと浮き上がると、そのまま地上へと降りていった。

 甲さんの姿もゆっくりと小さくなって、最後には見えなくなってしまった。

 雲海に入ると、ブルリと寒くなり、湿気で服がズシリと重くなるけど。

 宝貝さえ見つければ、私は帰る事ができる。

 それさえ分かれば、何も怖くないと。その時の私は、全く根拠のない自信を持って、山を降りる事ができた。

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