序章
「で……きた」
俺はごくり、と唾を呑み込んで、書きあがったものを見た。墨を程よく吸い込んだ木簡は、既に木の感触がなくなってふやけてしまっている。替わりの木簡を使うのを惜しんで、間違った部分を剥いで剥いで書き込んだ結果がこれだ。
木簡に書かれた文字は、滑らかに滑り、文字と文字が絡み合い、術式を描いていた。その術式は術式と絡み合い、円を結ぶ。
この洞窟に閉じこもり、一体どれだけ経ったのか。
俺はちらり、と洞窟の外を見た。
もう何度も昼と夜を繰り返した気がするが、今は昼のようだった。洞窟からはほんのわずかだけ日差しが注ぎ込んでいるのが分かる。
俺は皿の脂に火をつけた。普段なら昼間から灯りをつけるなんて贅沢はしないが、今日は特別だ。
俺が読んだ巻物やら机子やらをどけ、空いた場所を作る。
そこに俺は剣の柄を立てた。地面を少しえぐる。そしてそのまま、がりがりと術式を地面に書き移し始めた。
召喚術に必要なもの。
一つ。火水木金土の理を持って循環を作る事。それが歯車となる。
一つ、陰陽の理を持って対象とこちらを繋げる事。それが道となる。
一つ。強い仙力もしくはそれに値するものを捧げる事。それが熱となる。
「見てろ……俺は、絶対お前らに復讐してやる……」
俺は口の中でそうつぶやきながら、柄に力をこめる。手は墨を吸ってふやけたせいか脂が抜け、そのせいで何度も何度も柄を滑らせて落としてしまったが、その度に術式に間違いがないようにと慌てて柄を持ち直す。
最後にぎゅっと力を込めた所で、最後の文字が地面にえぐられた。地面に完全に術式が書き写しあげたのだ。
大丈夫。どこも間違いはない。
俺は木簡と術式を見比べた後、最後に木簡に脂の火を写した。こんな術式、誰かに読まれる訳にはいかない。ばちばちと木簡は爆ぜ、やがて墨のように真っ黒になり術式を焦がしてしまった。それを見届けた後、俺は術式の中心に宝貝を置いた。
俺は剣の鞘を抜いて、指を切った。
「……っ」
血はとろりと流れ落ち、宝貝に降り注ぐ。
途端。宝貝は光り始めた。
熱だ。
宝貝は熱を放ち、地面に描いた術式に熱を送り始めた。やがて術式が起動する。
文字と文字の意味を読み、その文字と文字が噛み合い、それが歯車のように回り始めた。そして、それは光の柱を作る。
脂を燃やした火の灯りなんか比じゃない、巨大な光の柱が、洞窟いっぱいを照らしあげる。
ぴしぴしと、宝貝にひびが入る。役目を終えたのだ、当然だ。生き物一匹分を、ましてや竜を召喚するのに使う仙力は尋常じゃないのだから。
やがて、光の柱の中に、一つの影が映った。その影は、光の柱の中から抜け落ちて――。
……あれ?
俺は首を傾げた。
おかしい。俺が呼び出したのは竜のはずだ。何でこんな小さいんだ? と言うより……。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
洞窟に、耳をつんざかんばかりの大きい悲鳴が洞窟いっぱいに広がり、こだまし、反響した。
まあ待て、どうしてこうなったんだ? 俺の術式に何か問題でもあったのか? 俺は先程燃やした木簡の中身を頭で反芻したが、おかしい事は何一つないはずだ。
じゃあどうして、こいつが? どうして……。
俺は目の前に現れた奴を、ただ茫然と見ていた。