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堕落した学生生活を送る私には珍しく、今日は7時より前に起きた。しかしいつもと時間が違っても薄い食パンと茶、それにハムという素っ気ない朝食を大した感動もなく放り込むルーチンワークは何も変わらない。テレビではニュースキャスターが日中関係の悪化を叫んでいた。
空の色はそれほど良くない上に、夜には台風が来るらしい。しかし幸い午前中は大丈夫なようだと、これもまたテレビが教えてくれたので多少は安心した。皿を洗ってから黒いジーンズと灰色のポロシャツを身につけ、それに紺色の帽子と赤いかばんを手に取って9時前には家を出た。
天気の問題もあるので自転車ではなく徒歩。それでもたかだか15分程度で到着した。鳥居の先に待っていたのはこの地域の産土神である御芳宮神社である。今から1300年ほど前、時の天皇が病にかかった際にこの神社の境内から湧き出る水を飲んだら病が治ったとかそういった伝承がある。今でも湧き出る水はペットボトルなどを持って行って汲み入れる事も出来る。
境内にはすでに色鮮やかな屋台のテントが所狭しと立ち並んでいるが、まだ火は立っていない。しかしまるで人の気配がしないわけでもない。私と同じ目的でこの神社に赴いた人がそれなりに多いからだ。今日は秋祭りの1日目を記念してちびっ子相撲大会が9時30分から開かれるのだ。
縦に長い境内を奥深くまで進んでいくと不意に半裸の少年が視界に飛び込んできた。ぷっくりと肉付きのいい、いかにも相撲取りらしい肉体を包むのは白いまわし1枚のみ。始まるまでは後15分ほどあるがすでに臨戦態勢に入っているようだ。
土俵は表面に白いシートが敷かれている。その周囲には体操服の上に偽者の、という言い方をしていいのか知らないが腰周りに白くて太いベルトが巻かれたランニングパンツのようなものを履いた子供たちがたむろしていた。ほとんどが1年生で、一部の例外を除けば上でも3年生というところか。ざっと見たところ本物のまわしを締めているのは全体の1割にも満たない。しかしその分、強そうだ。
もちろん子供たちだけではなくその親も多く集まっており、すでに用意されたパイプ椅子の観客席は埋まっていた。仕方ないので立ち見のポジションを見定めていたところ、運営の机上にパンフレットが山積みになっていたのを発見したので1枚拝借した。
「さて、あいつはどこにいるかな」
私はホッチキスで閉じられたパンフレットをめくってみた。1年生の部から6年生男子の部、そして団体まであるようだ。目当ての試合は日程の最初のほうにあるようなので内心ほっとした。どれだけ時間がかかるか分からないが、最後の最後まで待たされると肉体的にも精神的にも持たないだろうから。
そもそも私とて何もなければわざわざこのような場所まで来なかっただろうし、事実去年までは一切足を向けなかった。それが今年に限って訪れた理由は一にも二にも私の住んでいるアパートの近所に住んでいて、時々一緒に遊んだりしている塚山柊君が出場するからである。
柊君はパンフレットに従うと1年生の部の14番目にノミネートされている。男女含めて、全部で32人が出場するようだ。4年生までは男女一緒に相撲をとるが5年生からは男女で別れる。しかしよく見ると6年生の女子は出場16人中13人が同じ小学校からの出場となっている。この鳥羽西小は相当相撲が盛んなのだろう。
そんな事を確認しているうちに9時30分となった。開会式の時間だ。1年生の力士たちが土俵の上に集まる。柊君は私の場所から見てかなり奥のほうにいて、柊君も私がここにいると気付いているかは未知数である。
1年生に混ざって明らかに体格の良いまわし姿の少年が土俵に整列すると、まもなく開会宣言が始まった。続いて国歌斉唱。役員が「国旗のほうを向いてください」と言った時、私は国旗がどこにあるか分からなかった。しかしそれも仕方ない。私の陣取った位置は土俵の大体北東あたり。そして国旗は土俵の北方向にあり、ちょうど死角となっていたのだ。まあ他の客が向いている方向に合わせると発見できたが。
関係ないが君が代の冒頭、イントロなのか歌いだしなのか時々分からなくなるのでイントロの部分はあからさまに変えてくれるとありがたいのだが。
続いて大会の会長と思しき白髪に黒縁の眼鏡をかけたほっそりとした老人によるあいさつが行われた。しかしマイクが不調だったので時々甲高い声が響くのみで、しかもその声もガヤガヤとした声に紛れて何を言っているか不明だった。ただ割と長かった。土俵上では聴こえていたのだろうか。それなら問題ないが。
来賓祝辞やら審判長注意やらのお話も終わると、1年生ばかりの中で明らかに浮いていた巨体の子が前に出て優勝杯返還を行い、大きなカップの代わりに小さいレプリカを受け取っていた。やはり1年生ではなかったか。もちろん所属は鳥羽西小。
そして選手宣誓。土俵の脇からちょっと華奢な少年が出てきた。やはりこの子もまわし姿だ。しかし鳥羽西小ではなくて御園原小に所属だ。いかにも力士らしい体格ではなくてまわし姿も板に付いていない分、独特の色気を放っていた。言葉を忘れたかつまる部分もあったが、とりあえず無事に大役を果たすことが出来たようで見ているこっちとしても一安心。
これらの必須なイベントが一通り終わると、近隣のR大学相撲部が5人ほど現れて禁じ手やら所作やらの実演をしてみせた。まわしは使い込んで色あせた小豆色。1人だけ坊主の部員がいて、他とは別格というか大先輩の風格があった。全体的に肌は汚く、毛ももさもさで小学生のすっとした足を見た後だともはやグロ画像みたいなものだった。
しかもこの相撲部員の実演がまたグダグダで、準備運動やらしこを踏むタイミングやらてんでバラバラ。挙句、本部役員から「相撲部の皆さんもしっかり声を出しましょう」などと駄目出しされる始末。最後は実際に相撲を取ったが、例の坊主頭は連敗していた。風格が立派なだけなのか、後輩に花を持たせたのか。後者だと信じたいものだ。




