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  作者: 小伏史央
【第1章】
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 ポン・シェパードの能力。それは人の傷を、自分に移すことです。逆に、自分の傷を他人に移すこともできます。

 シェパードの肩にあった銃創はまさしく兄の肩にあったものでした。舞めがけた弾丸を、舞の代わりに受けてしまった痕。

「わたくしやあなたは、普通の人よりもずっと丈夫な体を持っています。だから傷は、自分が受け持ったほうがいいんですよ。これぐらいの傷、わたくしにとっては屁でもないですが、あなたの兄上にとっては、そりゃ苦痛なのでしょう?」

 舞は少しだけ兄の様子を見て、困った顔で頷きました。

 一時的な食糧問題は回避した船員たちは、ひとまずがむしゃらにでもヨットを進ませることにしました。太陽が方位磁針の代わりにならなくても、停滞していても意味ありません。どちらに向かおうと陸地があることに違いはないのですから、とにかく進んでみることが賢明です。

「あなたは、なぜ海外へ?」

 シェパードが、そう舞に訊きました。舞は少しだけ困ったような顔をしながら、虚偽の内容を答えます。

「借金が――」

「人を殺し損ねたからだ」

 しかし、舞の言葉を兄が遮りました。舞は眉間を若干寄せて、兄の顔を見ます。兄は続けます。

「俺たち兄妹は、大きな借金を抱えてしまってね。その借金取りが妹に乱暴しようとするもんだから、不可抗力で殺してしまったのだ。だからこうして、法の裁きから逃げまわっている」

 舞は口を噤みます。兄のつく嘘に、疑問を抱いているようです。シェパードはそんな顔持ちの舞を観察しながら、「そうですか」と呟きました。

「ああ、確かそんな話だったね」

 男が話に入ってきました。舞たちをヨットに引き入れた男のことです。

「友人からも、そう聞いているよ。災難だねぇ」

 舞は聞かされていませんでしたが、ヨットに乗るときの、そういう筋立てがあったのです。それは虚偽の内容を多く含んでいますが、まあ、堂々と「人殺しだから」だと言えるわけもありませんが。

「ご両親は、その様子だともういらっしゃらないようですね」

 シェパードが言います。舞は目を伏せました。

 急に、空が暗くなりました。気付けば一面の空は、ねずみ色の雲に覆われています。みな空を見上げました。彼らには、たった今暗くなったような気がしたからです。しかし海上の舟は、完全に雲に包まれています。たった今になった雲が現れたなど、とうてい考えられるものではありません。

「これはまた……」

 シェパードが呟きました。また……。そう、この事態は突風が起きたときと似ています。突然に環境変化が訪れたのですから。

「気をつけろ」

 兄がそう言って舟の縁を掴みました。他のみなもそれに倣います。

 雲が唸りだしました。まるでなにかの生物が鳴いているような、そんな唸りです。雲は渦を巻きます。しかし全体的に見れば、それは動いているふうには見えませんでした。雲の表面は動いているのに、雲そのものはほとんど移動していないのです。風が発生していないから。

 船員たちはそのまま構えました。なにが起こるか分かりません。大波が寄せてくるのか、先ほどと同じく突風がやってくるのか、はたまた竜巻でも起きるのか……。

 しかし、いくら経ってもなにも起こることはありませんでした。ただ雲が不機嫌そうに唸っています。それだけです。そうしている間に、弱い風が吹きました。当たり前のように、その風にのって、雲が微弱に動きます。

 なにも起こりません。

 それから数分、彼らは知られざる攻撃を待ち構えました。しかし、いくら待ってもなにも起こらないのです。それが当たり前のように。自然がそうであるように。

 張り詰めた糸のように、それでも彼らは舟の縁を掴みました。いつ切れてもおかしくないと、そう思っているのでしょう。しかし糸を切るものはなく。

 汽笛が聞こえたのはそのときでした。遠くから、莫迦に間延びした音が届きます。船員は我に帰ったのか、汽笛の鳴ったほうへとヨットを進ませました。

 オールや漂流物の材木を使って、舟を漕ぎます。ヨットが大急ぎで進みます。海風は冷たいものでしたが、船員たちは額に汗を垂らしていました。進みます。とにかく舟は進みます。

 大型の旅客船に、船員たちは救助されました。その旅客船は、国外行きの船ではありませんでした。そのまま生存者の五人は国に戻されることになりました。国外への逃亡は、失敗に終わったのです。

 帰ってきて、舞とシェパード以外は病院に入院することになりました。数日間の断食生活のためです。基本的に、全員健康体に近しかったようですが、それでも念のため入院させられました。

 兄がベッドで眠っている間、舞はショッピングモールにやってきていました。気に入った服を一着選んで、更衣室でそれに着替えます。先ほどまで着ていた服は、乾いてはいましたが、塩気を含んでしまっていて、とても着られるものではなかったのです。服の支援はありませんでした。病院の診察のときなど、舞にとって不快なものでしかありませんでした。異常もありませんでしたし、能力者だからということで病院泊まりは免れ、診察が終わったその足でここまで来ているのです。

 着替えて、もういらなくなった服は道端に設置されたゴミ箱に捨てます。路上のおばさんが、それを不可解そうに見ていました。舞はなんとなく愉快な気分になって、おばさんににこりとします。おばさんは狼狽えて、そそくさとした顔をして去っていきました。

 綿菓子を買います。それを飴のように舐めながら歩きました。口の水分が付着した綿菓子は、その部分だけ湿ってかたまります。まるで水のかかった雪みたいです。

 のんきな空気。まさしく舞にとっての今は、そんな雰囲気の中にありました。ショッピングモールは、特別な日でもないのに綺麗に飾られています。ネオンが煌々と光を放ち、活気づいた店舗が、威勢のいい声を出しています。ゲームセンターから小気味いいリズムが流れ、弁当屋さんから温かいにおいが漂います。

 そんな彩りを、舞は余所見しながら歩いていました。たまに前を向いて、人とぶつからないように気をつけます。

(……?)

 ただ、舞はふと気付きました。あたりを今一度見渡します。しかし確証となるようなものが見つからず、不安が変な形で大きくなっていきます。

(誰かがついてきてる……)

 一瞬だけ足をとめていましたが、ショッピングモールは人通りが多く、立ち止まることが迷惑につながるので、舞はまた歩を進めます。少し歩調を速くします。後ろの視線を感じとりながら。

 綿菓子は食べきっていました。残った棒は、食べられません。一定の距離で設けられているゴミ箱に、その棒を投げ入れます。ところが手元が狂って、それはゴミ箱に入りませんでした。脇に落ちてしまいます。

 舞はつまらなそうな顔をして、ゴミ箱に近づきました。所要のない仕草で棒をゴミ箱に入れます。ゴミ箱の中は、分別されずに多種のゴミが混ざっています。どれもゴミではありますが。不思議と異臭はしませんでした。舟の上で、遺体のにおいに鼻が慣れてしまったのかもしれません。舞はそう思いました。

 舞はゴミ箱から目を逸らして、自分が歩いてきた道を見遣りました。たくさんの人が、乱れることなく進んでいきます。まるで蟻の行列です。左側通行で、ゴミ箱はすれ違う人々のちょうど境目に設置されています。

 舞は果物店に足を踏み入れました。兄の見舞い品を買おうと思い至ったのです。見舞いの必要があるのかはともかく、病院に果物はつきものでしょう。新鮮な果物が積まれています。林檎や、葡萄や、蜜柑や……。舞はとりあえず、目についたものを籠に入れています。

 果物店から出たとき、舞は胸にひっかかるものを感じました。それは先刻の視線のことです。それが、強くなっているのです。視線に強弱があるのかは知りませんが、舞は疑惑を確信へと進展させていきます。

 それでも舞は、なんら変わらぬ顔で歩き始めました。果物の入った紙袋を持って。

 舞はそのまま、ショッピングというものを楽しみました。荷物が重たいのが苦のようですが、財布の紐をいくども緩めます。この財布は、兄からくすねたものです。

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