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  作者: 小伏史央
【第4章】
30/41

(明日、静奈が退院する)

 目覚めた途端に舞が思ったのは、そんなことでした。椋木さんの家の、二階の一室です。舞は静奈の部屋を警備でもしているように、この数日間、居候をしていたのでした。

 不思議なことに、警察は一度も訪ねてきていません。今頃刑務所にでもいるものだと、舞はそう思っていたものですから、まさかこんなに長く居候することになるとは夢にも思っていませんでした。

 布団を畳んで、階下に行きます。階段を下りた先は玄関で、そこから向きを百八十度変えれば、リビングへの扉があります。扉を抜ければ、整った風景。テレビがこちらを向いています。境のソファは見るからにふかふかしてそうです。

(椋木さんは、もう仕事に行ったのか)

 キッチンに入ります。そこにはいつものように、作り置きの料理がありました。椋木さんが置いたものです。彼女はいつも朝ごはんを二人前作ります。一人前を作るのに慣れない、椋木さんはそう言い訳していました。早く仕事に出るときはこうやって、ラッピングしてキッチンに置いておいてくれるのです。

 ラップをはがして、それから箸を手に取ります。

 そのときちょうど、電話がけたたましく鳴り出しました。来たばかりのときは気付きませんでしたが、冷蔵庫の横隅に、小柄の電話機が隠れています。

 舞は迷いましたが、コール音がしつこいので、出ることにしました。受話器は予想よりも重くて、つい両手で持ち直します。その際、箸が舞の頬をつねりました。

「もしもし」

「あ、もしもし。久しぶりですね」

 電話先の声は、いつものごとく、妙に馴れ馴れしい色をしています。

「……なんの御用ですか」

「おやおや、冷たいですね。久しぶりの言葉もないのですか」

「それで、なんの御用ですか」

「あ、そうそう。御用といえばですね、そろそろそちらに警察関係者が着くと思うので、どうか穏便に済ませてくださいね」

 箸が頬をつつきます。

「……あはは。冗談ですよ。警察がくることはありません」

 シェパードが気軽に笑います。舞にはそれが癪でした。それでも頬をぐりぐり押しながら、言葉の続きを急かします。いままで警察が来ないことに疑問を感じていたのです。シェパードが気に障っても、それよりも欲しい情報を優先します。

「それについて、織りいった話がありましてね。……舞さん、今から時間とれますか」

「今からですか……」

 特に用事はありません。それでも舞は、なにか用事でもあるような迷いぶりを披露しました。すぐに相手の誘いに食いつくのが、できなかったからです。それでもやはり、気になります。舞は、「ああ、やっぱり大丈夫みたいです」と言いました。

「そうですか。それはよかった。では、いつものバス停で待っています」

 通話が切れます。舞がシェパードの「いつもの」という言葉に眉をしかめている間に。シェパードはとりあえず待たせておくとして、舞は少し遅めの朝食を摂ることにしました。箸先には、特に汚れはありません。

 舞はずいぶんのんびりとバス停に向かいましたが、シェパードは根気よく舞を待っていました。数本目かのコーヒーを飲み干して、やってきた舞へと手を挙げ示します。舞は渋い顔をしながらも、足踏みすることなくベンチに近づきました。

「やあ、舞さん。久しぶりですね」

 電話口と同じような口をききます。

 舞は無言でベンチに腰掛けました。ズボンに皺ができます。シェパードが飲料水を奢ると言い出しましたが、それには無視して、舞は本題を持ちかけます。

「それで、なぜ警察は来ないというの」

「……サイダーがいいですかねぇ。いや、舞さんあたりの歳の女性は炭酸は控えるのかな。それじゃあ、コーラは? あ、これも炭酸でしたか」

 おどけているのかなんなのか、舞はより一層眉を歪めます。頬には赤い跡がついています。血ではありませんが。

「簡単な話です。あなたが既に刑罰を受けたからです」

「それは、どういう」

 突然シェパードが本題に乗り込んできたものですから、舟は揺れに揺れています。けれど海水が浸ってくることはなく、舞はただ疑問を深めます。

「密出国の刑罰には、一年以下の懲役があります。……ですけどね、舞さん。刑罰はそれだけに限ってはいません。罰金というものがあるのです。罰金を払えば、すなわちそれが刑罰で、禁錮されることはありません」

「でも、私は」

「払ったのですよ」

 仮面の上からも、シェパードがにやにやしているのが分かります。

「え、もしかして兄貴の保険金……」

「んなわけないでしょう。舞さん、あなたたち兄妹は、殺し屋だったのですよ? そんな人たちが保健会社に加入するわけがない。したとしても、兄上は殺されたのですから、保険金は下りないのが普通でしょう」

 意外と、シェパードの声は強いものでした。舞は肩を縮ませて、真剣に考えにはまっていきます。

「……舞さんの名義で、他の方が払ったのですよ」

 考えていたのに、横から水を差してきます。

「え、それってアリなの」

「ナシですね。まあ細かいことは気にしない人なのでしょう、その人は」

 ともかく舞は、既に刑罰を受け終わった状態にあったのです。

「おめでとうございます」

 シェパードがわざとらしくそう言います。舞はどう反応すればいいのか戸惑いました。

「それで、なぜ私をここに……」

「ああ、特に理由はないのです。ただ、飲み物を奢って差し上げようと思ったのです」

「なんだ」

 舞はそれだけ呟いて、ベンチから腰を持ち上げました。シェパードが不思議そうに見ているので、「帰ります」と付け加えます。

「え、そうお急ぎにならなくても。……ほら、こんなものを持ってきたんです」

 シェパードがどこかから取り出したのは林檎でした。真っ赤な林檎です。それを見て、舞は動かせようとしていた足を急停止させます。

「以前、あげられなかったでしょう。ですので、今度こそ差し上げようと持ってきたんです。いや、近くに果樹園がありましてですね、そこから品物にならないものをいただいてきているのですが。これは、色が濃すぎるから商品に出せないみたいで」

 確かにそれは、以前シェパードが差し出したものよりも赤い林檎です。白雪姫も、こんな林檎を食べたからには口付けされても目覚めなかったのではないでしょうか。そんな色です。

 しかし舞は、以前シェパードが真っ赤な林檎を齧っているところを目視してしまっていました。それが精神的に油断を与えてしまったのでしょう。静奈が林檎についてなにやら語っていたことを思い出しましたが、気にせずに、舞はそれを受け取り、一口それを齧りました。

「あ、そういえばですね、舞さんの罰金を肩代わりした人。理由は知りませんが、どうもその人、舞さんが刑務所に入るといろいろ困るみたいでしたよ。名前をですね、確かケイといって……」

 視界が歪みます。

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