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  作者: 小伏史央
【第3章】
28/41

 人が次々と通り過ぎていきます。ある者は東へ、ある者は西へ。それは道路を走る車両のように、左右にわかれて進んでいきます。彼らは目配せをすることなどせず、立ち止まることもせず。ただ進んで、たまに脇の店に入ります。週末だからでしょうか、今晩の通行人は普段よりも多いようです。

 活気溢れるネオンの中を、店員の威勢のいい声が流れていきます。粋のいい魚を仕入れていたのであったり、格安セールの真っ只中であったり、今ならおまけがついていたり。通行人は、たまにはその声に気をとられながら、ある人は立ち寄り、ある人は歩くのを速めるのです。

 星は一段と薄められています。ネオンのエネルギーが能動輸送でも起こしたのでしょう。ショッピングモールの薄まりが、どんどん空へと流れ込みます。おかげで星はほとんど見えません。それなのに月だけは、堂々とはっきりと、その存在を見せしめています。ただ誰も、それを見上げていなかったのですが。

 舞は代わりに、果物たちを眺めていました。蜜柑に葡萄に洋梨に……質のいい果物が、これでもかと積まれています。今日はやはり客足が良くて、その分だけ品数が増えているのでしょう。見るだけで喉が潤ってきます。もちろん、舞は見るだけでは満足しません。

 この地域に足を運んでから、もういくどもここの果物店に訪れています。そのためか、すっかり店員と顔馴染みになっていました。特徴のあるクセ毛が、心地よく記憶を震わせているのでしょう。にこにことした表情で、舞に近寄ってきます。

「今日は林檎だけじゃないんですね」

 馴れ馴れしく、店員が話しかけます。

「私が食べるんじゃないので」

「あら、そうなんですか」

 舞の返答に、にこやかな笑顔を差し出してきます。お客様だというだけでこんなにあどけない笑顔を向けられるというのは、なかなかの職業訓練が必要だと想像します。この店員さんはそういえば、静奈が店前で果物をこぼしたとき拾うのを手伝った人です。パンクしてしまうほどの量の果物を、綺麗に整えて紙袋におさめていました。

「……友達が、入院しちゃって」

 静奈は左腕の骨がつながるまでは、病院にこもっていなくてはいけません。痛々しく包帯に巻かれた手を思い出します。固定されて、動けなくて。治ってもきっと動かせやしないだろうと、静奈は病院で漏らしていました。

「あれ、でも、それって近くのあの病院のことですか?」

 店員が踏み込んで訊いてきます。それは興味本位というわけではなくて、なにか他の疑問にぶちあたったときのような。その土台の確認のような。

「そうですけど」

 だけれど舞は店員の意図が読めなくて、そのまま答えを提出しました。店員が不思議そうな顔をします。

「あの病院って、夜は面会できませんよ」

 舞は手に取っていた蜜柑から目を離しました。ついで店員の顔を眺めます。

「それは、本当?」

「ええ、確かです。私、ここに生まれ育ちましたから、このあたりのことならなんでも知ってます」

「そうなんだ……」

 お見舞いの品は新鮮なほうがいいに決まっています。特に果実はそうです。舞は果実が大好きでしたから、妥協するということができませんでした。果物専門店によって保管された果物を、買ったその日のうちに食べさせる。それこそ至高といえるでしょう。入院に至高もへったくれもありませんが、舞にとっての果物とはそういうものなのです。

「ここはいつ開くの」

 舞が訊きます。

「十時です」

 すぐさま答えが返ってきます。

 確か、あの病院は外来患者の受付が始まるのが九時でした。明日、病院に行く前にここに来て、お見舞いの品を買えばいいでしょう。

「それじゃ、また明日」

「はい、また明日。お待ちしておりま……あ、明日は私、午後からでした」

 舞は果物店から一歩踏み出します。いつか感じとっていた、ストーカーまがいたちの視線はありません。なにも刺さず、なにも射抜かず、なにも捕らえてきません。人々が通り過ぎていき、また立ちどまっていきます。週末なので人数は多いようですが、変わったところはありません。

 道の中側をゴミ箱が並んでいます。数メートル間隔で、いくつか規則的に。だけれどいやなにおいはしません。においは人々の足に踏み潰されてしまいます。

 ゴミ箱は分別されていません。分別の必要ない地域なのでしょうか。地域によってゴミの収集方法はずいぶん異なってくるので、一様に判断するのは難しいことでした。舞はどこの地域にいても、ゴミ出しに行ったことがないのですが。ゴミ箱には紙くずや、ビニール袋や、新聞紙や、ペットボトルが詰め込まれています。どのゴミ箱も同じような内容です。……と、清掃員らしき人がゴミ袋を取り出していました。新しいゴミ袋と取り替えて、取り出したほうのゴミ袋は大きな箱に納入します。タイヤのついている箱です。それを押して、ゴミ箱のあるところでとまります。

 それを舞は、目で追っていました。こちらに向ける視線がなくなると、今度はこちらから視線を送る……というわけでもないのでしょうが。

 他のお客様の迷惑になりますので、舞は店前から少しだけ移動しました。どうせ帰る場所はないのです。椋木さんの家に行こうにも、それは今日、静奈と仲直りしてからと考えていたので、行く気にはどうしてもなれないのでした。

(今日ぐらいなら、公園のベンチで寝ても……)

 そんなことまで考えてしまいます。

 清掃員を目で追っていると、ふと、あることに気付きました。清掃員を見つめているのは、舞ひとりだけではなかったのです。

 ちょうど舞と直線状の位置に彼女はいました。彼女はしわがれた服を纏っています。

(あの人……)

 なぜだか、普通の人には見えませんでした。髪は長く、少しぼさぼさとしています。お手入れを怠って、それから自分を取り戻して櫛を流したというか。彼女は真っ直ぐ、清掃員を見つめています。他の人たちも、少なからず彼女の異様さには気付いているようでした。

 清掃員が、次のゴミ箱へ向けて進みだします。自然、彼女の視線も進み――ません。彼女は視線は変わることなく、ずっと向こうへと。

「あの子、やっぱり」

 見つめてから、彼女はそう呟きます。呟くというよりも、それは大きな独り言でした。道の反対側にいるのに聞こえるというのは、舞の耳がいいということを差し引いても、音の大きさが要因しているはずです。

「モニターがリアルタイムの映像だったのは、やっぱり本当だったのね」

 今度の声は聞き取りにくいものでしたが、舞は人一倍彼女の声に耳を澄ませたので、どうにか聞き取ることができました。

「じゃあやっぱり、ここはムで……」

 考え込むように、彼女は俯きます。まわりの奇異の視線は苦にならないようです。まるで自分が、俳優でも演じているような。自分が今いる世界と、隔絶されているような。

 彼女は俯いたまま、人の流れに加わりました。そのまま東へと、去っていきます。

(なんだったんだろう)

 不思議だとは思いましたが、舞は追いかけないことにしました。そういえば静奈と出会ったときも、舞は静奈を追いかけませんでした。もし縁があるのなら、またもう一度、出会うはずです。

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