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  作者: 小伏史央
【第3章】
27/41

 ベンチは町のいたるところに散見できます。近くの公園であったり、バス停であったり、舞は今、病院の敷地内に設置されているベンチに座っていました。

 無言で空と、見つめ合います。太陽は健在です。雲が青い空に彩られて、それはまるで水槽を泳ぐ魚です。風のまにまに向かっているつもりでも、実は空を抜け出す術はなく、いつまでも飼われたまま。今の舞には、空はそうとしか見えませんでした。

 さっきまで、ひねくれた人と会話をしていたからです。

 病院の敷地内に入ってすぐ、舞は椋木さんに捕まったのでした。どうやら静奈との対面を終えて、家路につこうとしていたところだったようです。その椋木さんが、唐突に空が水槽であるなどということを言い出したのです。それは姪のことを考えから排除しているというよりも、ただそんなおしゃべりがしたかっただけのようでした。椋木さんはまるでマイペースです。舞は話して、そう実感しました。空のように、いえ、空よりも広がっているみたいです。

 耐え切れなくて、舞から先に静奈について切り出しました。椋木さんは少しだけ眉を持ち上げて、それだけで。

「私、怖い夢を見たんです。それで、それで……気付かないうちに静奈さんの腕を掴んでいて。きっと怖くて、なにかにしがみついていたくて、それで――」

 なぜ涙は流れるのでしょう。有力な説では、感情の隆起によって生成された余分な蛋白質を、排出するためにあるのだそうです。しかしそれでは、なぜこんなにも感情は隆起してしまうのでしょうか……。舞は、自分が言い訳をしている自覚を持っていました。それでも自分を擁護せずにはいられませんでした。自分に非があるのは確かです。それを否定するつもりなど、舞にはありません。ただ自分が静奈を傷つけたという事実だけが、彼女に言い訳を強要しているのです。

 しかし椋木さんは、夢というものを知りませんでした。言い訳は言い訳の機能をなさなかったのです。

 能力者でない人間にとって、夢なんてまったく関係のないものです。そんなもの見たことなんてありません。能力者の深い知り合いをもたず、能力者について専門的に学んでいなかったのなら、夢を知る機会なんてありません。

「夢っていうのは、その……いえ」

 舞は夢を伝えることを放棄しました。

(説明しても、なんにもならない。そもそも私も、あまりよく分かっていないのだし)

 舞はそう考えてしまいます。落ち込んだ表情を見られてしまったのか、椋木さんは表面を撫でるだけの同情を口にします。

 椋木さんは、あまり姪の心配はしていないというような態度をとりました。終始、舞と顔を合わせている間は。目が赤くなっていることに舞は気付いていましたが、それをいうようなことはしません。なるべく目元を見ないようにして、あまり楽しくない会話を続けます。

「私、両親を殺したんです」

 舞はどうしてだか、椋木さんにそう吐き出していました。今まで兄の前でも話題にしなかったことを、ひねくれた中年女性に吐露します。

 それでも椋木さんは無愛想で、上っ面だけの同情を示してくれて。それでも目の赤味は治らないのですが。

 舞は依然と、ベンチに腰を預けています。椋木さんと別れて、もう数十分が経つでしょう。空と無言でにらめっこ。勝敗はまだつきません。双方、相手を笑わせようとしないのです。雲は暗澹と流れていて、舞は無表情にそれを眺めます。

 そこに圧力の異常はありません。

 看護婦が忙しそうに敷地を歩きます。早歩きといったほうが正しいかもしれません。たまにのんきそうに白衣の医者がぶらつきます。またたまには、車椅子の患者さんや、一見だけではどこも悪くなさそうな白い肌の患者さんが、空を見上げにやってくるのでした。どうせ抜け出せない閉塞的な……そのくせして広大な空を。

 どれほどそこにいたでしょうか。太陽は傾きつつありますが、とりあえずはまだ光を送ってきています。あまり暑くはありませんでした。

(姫林檎……)

 ふと、脳裏に庭の光景が浮かび上がります。静奈の家、もとい椋木さんの家の庭のことです。そこには一本の木が立っていました。姫林檎が実っています。

「……初めて見た」

 姫林檎を見て、舞はそう言葉を添えました。

「えへへー。珍しいでしょう」

 姫林檎が珍しいものなのかは疑わしいことですが、舞はひとまず頷きます。それらの姫林檎は普通の林檎よりもずいぶん小さいです。ピンポン玉よりも小さいくらいでしょうか。ちょっと褪せた色で、寒さに負けて赤く傷んだ頬などが、ちょうどこんな色になることでしょう。小さいからなのか、それは普通の林檎よりも、綺麗な丸みをなしています。

(丸……)

 どうしても、その姿を記憶の奥底と照らし合わせてしまうのです。

 舞には幼少のころ、とても大好きだった玩具がありました。それは、赤いボールです。それは兄のおさがりで、ところどころ色が落ちていました。押したら勝手に進んでいって、壁に当たると跳ね返ってきます。投げてみたらそれは動物のように元気になります。赤いボールが、舞の大好きな玩具でした。

 姫林檎は球状です。もちろん自然界のものに、完璧な球はありません。それでも球状だといってもいいくらい、姫林檎はボールのようでした。

「これ、食べられるの?」

「えー。食べるのー?」

 質問に質問で返されます。舞は、「許可があるなら、食べたいな」とおどけてみせました。

「美味しいのかな、これ」

 静奈が首を傾げます。腕を組んでもいます。それほど変わった発言だったのでしょうか。舞は少しだけ戸惑いましたが、それでも静奈はそれ以上、不思議がることをしません。

「たまにね、虫とか食べにくるんだよ」

「それじゃあ美味しいってことだよね」

 舞はまたおどけてみせます。それでもどうやら、本当に食べたくなってきたようです。味が知りたいのでしょう。

「まあ、そんなに食べたいんなら食べなよ。別に、わたしたちは食べないんだし」

「それじゃ、遠慮なく」

 舞はひとつ摘み取って、それをまず眺めました。虫がついていないか、不安になったのです。しかし特に虫らしきものも、虫食いの痕も見えません。舞はそれを口に放り投げました。

 あまり、美味しいといえるものではありませんでした。果汁が喉を通る感覚、普通の林檎ならあるはずの感覚が、これにいたっては皆無でした。実も詰まっていなくて、スカスカです。

「まずい」

 舞は言い捨てました。言いながら、口の中のものだけ噛み潰して飲み込みます。きっと美味しい姫林檎もあるのでしょうが、庭で放置されているものというものは、たいていこんなものなのでしょう。舞は少しばつが悪くなって、指先をなめました。

 ……空を眺めます。太陽ももうすぐ沈みます。ただ最近の出来事を懐古するだけで、すっかりの時間を浪費してしまいました。ベンチにずっと座っていたからか、服に皺が寄ってしまっています。それを手で伸ばします。

 舞は立ち上がりました。動き出した月光が、舞のクセ毛に差し込みます。

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