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  作者: 小伏史央
【第2章】
17/41

 男たちは、舞の圧縮空気に参ってしまって、舞から距離をおきました。じりじりと離れていく様子は、熊を前にしたかのようです。

 金髪の男も、他の男たちと同じくらいのところで立っています。先端の欠けたカッターナイフは、頼りがあるようには見えません。それを知ってか、男はカッターナイフを地面に向けていました。カッターナイフ自身が、自分の無力さにうなだれているのかもしれません。太陽の光を反射します。反射した光が、ちょうど舞の瞳のあたりにかかります。

 舞が目を細めても、男たちは動こうとしません。

 それを見て舞は、今度は空気の圧力を小さくしてみました。極端に、とても小さくしていきます。空気に圧力の差異が生じます。舞の周囲は小さく、そのさらに周囲は大きく。

 男たちが声を荒げました。いくら気合いの声を上げても、体は勝手に運ばれていきます。

 竜巻と同じ原理です。竜巻は速く回転することによって、内側の圧力を小さくします。そうすることで、内側と外側で圧力の差異がうまれ、ものを引き寄せることができるのです。圧力の大きいところから、小さいところへと、空気が動いていくのですから。……舞が仕掛けた攻撃はつまり、回転のない竜巻でした。

 男たちが次々と、見えない攻撃によって薙ぎ倒されていきます。体を崩したまま、舞のほうへ引き寄せられます。そして舞の間近までくると、舞は持ち前の圧力変化で相手に高圧をかける……そういう算段でした。

 ところが、舞はあることに気付きます。舞の周囲にいるのは、敵だけではないのです。舞は咄嗟に、周囲の圧力を均一に戻しました。攻撃するのを放棄したのです。兄がすぐ傍にいたから。兄に怪我を負わせてしまってはいけません。

 舞の足元に、金髪男の持っていたカッターナイフがありました。それは太陽の光を、場所を移したというのに懲りずに跳ね返しています。舞の目元へ向けて。舞は目を薄く閉じて、それを拾いました。刃が小刻みに揺れて、あっけなく折れてしまいます。

 バスがまたやってきます。舞たちとは間遠のところでしたので、それに気付く者は、その場にはひとりもいませんでした。もちろん、バス停のベンチに座っていた人は気付きます。その人は舞たちの繰り広げている戦闘とは、直接的にはなんの関係もありません。……ですから、シェパードは、缶コーヒーを嗜みます。少し歩いた先での戦いは、どうやら頭にないようです。つまらないことには目を向けず、ただコーヒーのかおりを楽しみました。

 ケイが矢の末端部分を掴みました。弦につがえます。それはまだ舞に向けられてはいませんでしたが、ケイの両目が捉えているのは、明らかに舞でした。矢を向ける瞬間を、今か今かと待ち構えているようです。獲物を待つ蜘蛛のような、気長で貪欲な態度。矢筈と弦をひとくくりに摘まみます。

 金髪男が、ケイの様子を楽しそうに眺めます。心なしか、金髪男の構える姿勢が深くなっているようでした。武器は持ち合わせていないようですが、股下に自分の手を垂らしています。まるで獲物の隙を見守る肉食獣です。目を鋭く光らせます。太陽の弱い光が、その視線を隠しおおせました。

 他の男たちも、おのおの舞の動向を窺っています。最初、舞によって損傷を受けた男だけが、隅のほうで蹲っていました。

 近くに住宅の類はありません。ここは病院からも少し離れており、またショッピングモールのほうとも隔てられた、絶妙な場所だといえます。それは彼らにとっていわば習慣のようなものでした。なるべく一般人を巻き込まないという、ある種マナーともいえるものです。

 いくつかの小道と続いています。そのうちのひとつ、ショッピングモールの方向から舞はやってきました。そのちょうど反対側、兄が来た方向には、バス停があります。バス停はちょうど、病院に背を向けた状態です。バス停にはベンチが設けられていて、そのすぐ横には飲み物の自動販売機があります。あまり響かない音がして、缶が商品の取り出し口に落ちました。シェパードがその缶を取り出します。これで二本目です。兄と会話していたときのを合わせれば、三本目ということになります。シェパードはまたベンチに腰掛けました。先ほどバスがやってきたときは乗らなかったようですが、なにを待っているのでしょうか。

 それはともかく、舞も男たちも、自分の場所を移動しようとしない、張った糸のような状態にありました。男たちが動き出したのならば、舞は攻撃に移るでしょうし、舞が動き出したのならば、兄に迷惑がかかるでしょう。ならば兄が動けばいいのかというと、そういうわけでもありません。兄を囮にするだなんてことは、舞は考えたこともないのです。

 兄はこの空間の中で、浮いた存在でした。兄はごく普通の人間なのであって、舞のような能力はとうてい扱えません。周囲にいる男たちも普通の人間ではありますが、兄だけで相手をするには、その量はあまりに多すぎます。かといって舞が相手にするのなら、その量は適量といえてしまうのでしょう。兄の存在は不要なのです。

 ケイもまた、別の意味で浮いていました。矢筈を未だに摘まんでいますが、日陰のあたりに潜んでいて、舞はまだその存在にさえ気付いていません。舞に気付かれないように、ケイは上手に息を殺しているのでした。他の男たちへ舞の意識を向かわせて、自分の存在をカモフラージュしようと努めているのでしょう。

 糸はまだ切れません。太陽の光がその糸を熱しても、糸はどうやら傷みません。舞と男たちのバランスが崩れたとき。そのときまで、糸はきっと切れません。

(俺はどうすればいい)

 兄がそう自問しました。現状を感じて、それでどうするのか。結局いつものように、基本的な仕事はすべて妹に押し付けるのか。兄は張った糸を目の当たりにして、考えを巡らせます。

 また頭痛が襲いました。兄は咄嗟に頭を抱えます。その動作に反応したのか、ケイが一瞬だけ弓矢を持ち上げました。しかしそれが攻撃行為でないと判断すると、またゆっくりと戻していきます。

 頭痛。さっきからたびたび兄に訪れていた、頭痛。弱い嘔吐感。兄は体をかがめました。舞はその様子を見て、怪訝そうな表情をしましたが、状況が状況なので、声をかけることはしませんでした。声をかけられていないのに、兄は冷や汗を垂らしながら大丈夫だといわんばかりに頷きます。

(やはり、そういうことなのか)

 兄は体を起き上がらせました。警戒しているのか、ケイがまた弓矢を持ち上げます。しかしすぐに下ろしました。舞の視界に入ってしまわないように、死角に逃げ入ります。

 兄はなにを思ったのか、肩を震わせました。……笑っているようです。自分の在り方に、自分の行為に。兄は自分を嘲笑しているのです。

 頭痛は引きません。

 舞が兄の様子を案じています。兄の肩に手を添えるべきなのか、本気で悩んでいるようです。その大きな隙を、男たちは見逃しません。

 金髪の男が、そろりそろりと、そのくせ大急ぎで舞に近づきました。他の男たちも、遅れをとりながら急接近します。舞は咄嗟に護身しようと、両手を前に突き出しました。が、男たちが狙っていたのは舞ではありませんでした。

 兄の顎に、男の強烈な一撃が入ります。兄の頭が後ろにのけぞり、それが元に戻るころには、また新たな一発が辿り着いていました。今度は右の頬に衝撃がのしかかります。兄の口から唾液が飛び散りました。少しだけ血も混じっています。兄は男から距離をとろうとしますが、男はすぐに詰め寄り、三発目をさっそく繰り出そうとしました。

 舞はそれを食いとめようと、今頃になって動き出しました。しかし他の男たちが、そのうちに舞と兄との間に壁を作っていました。舞は圧力を操作して壁を崩しにかかりますが、そうしている間に、既に兄との距離は開いてしまっています。舞は考えも蔑ろに走りました。

 その瞬間、ケイが弓矢を真正面に向けました。それと同時に、まるで誤ったとでもいうように地面を踏み鳴らしました。その音で、今頃になって舞はケイの存在に気付き、その弓矢を視界に捉えます。それはまっすぐ、兄のほうへ向けられています――。

「だめ!」

 舞の頭の中が、白くなっていきます。咄嗟に出てきた問題に、追いつかない思考……。考えもなしに、兄へ向けられた矢を防ごうと、兄に駆け寄ります。いつもの調子で、空中で矢をへし折ろうとでも思ったのでしょう。

 舞はすっかり矢に気をとられていて、足元を狙う金髪男に直前まで気付いていませんでした。走っていたところを、足元を掬われて、そのまま前のめりになります。金髪男は兄のすぐ近くにいたわけですから、舞が体勢を崩した位置というのも、兄のすぐ近くということでした。兄のいる場所、つまり矢の目的地へ。

 舞の胸が抉れます。

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