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  作者: 小伏史央
【第2章】
15/41

 太陽の光が、兄の頭上に遠慮なく注ぎ込まれます。兄の頭はまるでコップのように、その光を溜め込んでしまいます。黒い髪は、きっととても熱くなっていることでしょう。帽子は騒ぎのときに脱げてしまって、今は足元に落ちています。それを拾うことはできません。両手両足が縄で縛られているからです。行動を束縛されているからです。

 兄はひとり。端から見る限り、兄の周囲には誰もいません。もちろんそれは、端から見ればの話です。一般人、もとい邪魔者が近づいてこないように、同じジャケットの面々が道を塞いでいます。

 ケイは兄の背中のほうの、物陰に潜んでいます。潜んでいるくせに、その態度は大きなものです。見つかることは、もはやまったく恐れていないのでしょう。見つかるおそれがないのではなく、見つかっても問題ないというふうに。

 金髪の男は、ケイと少し離れたところに、同じように潜んでいます。しかしその態度は、ケイほど冷静ではありません。時間が過ぎていくごとに、歯を噛み合せています。

 兄の汗が、顎を伝います。鬚は剃っていて、汗は滞ることを知りません。地面の一点が染みました。すぐに蒸発します。クセのある髪は、今は干乾びているような状態です。

 兄は先ほどから、どうにか縄をほどこうと努めていました。手首を捏ねて、指先を器用に動かします。ケイはその行動にとっくに気付いていましたが、特に制裁を加えることはしませんでした。現に、縄は一向に緩まりません。それよりも自分の姿を太陽に晒すほうが失敗のもとになると、ケイはそう考えたのでしょう。

「いつ来るんだよ……」

 つい、金髪の男はそう漏らしました。ケイが視線でそれを封じます。金髪はケイに抗議の視線を送りましたが、ケイはそれを無視しました。

 空気は熱せられて膨張しているようで、ケイは構わずに涼しい顔をしていました。日陰にいるからなのかもしれませんが、兄とはまったくの違いです。

 ケイが視線を巡らせます。その眼球に合わせたわけではありませんが、兄の目も動かされていました。兄も既に、なぜ自分がこんなところに放置されているのか、見当がついているのでしょう。

(舞……)

 兄は一瞬だけ、妹の名前を口に出そうか迷いましたが、ただ思うだけに留まりました。空気が兄の髪と絡まっています。水分子も含まれているはずなのに、髪はからからです。兄は唾を飲み込みました。そうやって喉を潤そうと試みましたが、むしろ渇きが激しくなります。

 放置されてから、もう一時間が経っていました。ケイ以外の男たちにも、顔に疲れが出ています。それでも軸をぶらすことなく立ち続けているのは、いわゆる根性というものなのでしょうか。

 兄はまわりを見渡してから、地面を向きました。今まで顔を上げて、周囲の状況を逐一捉えていましたが、それはやめにしたようです。疲れが体に侵食しはじめたのか、それとも自分に情けなくなったのか。どちらにせよ、兄は地面と向き合いました。

(俺は、いつから「足手まとい」になったのだろう)

 兄はそう思考します。途端に頭痛が見舞いに来ました。兄は頭を押さえようと手を動かしましたが、頭にまでもっていくことはできませんでした。両手は両足とともに縄で縛られています。ふいに動かしてしまったものですから、肩に痛みが走りました。銃創はなくなっているというのに、関節とともに傷があったところが傷みました。きっと、精神的な痛みなのでしょう。

 足手まとい。兄にとって今の両手は、足手まといに他なりませんでした。頭を押さえようと動いて、むしろ痛みを助長させてしまう、まさしくそれは足手まとい。

(こんな手は、切り取ってしまえばいい)

 ふとそんなことを思ってしまったり。思っても手を切り取れるほど動けなかったり。兄の顎を、また汗が伝います。地面に落ちて、すぐに消えてなくなります。

 間遠のバス停にまたバスがやってきました。バスのエンジン音が、兄の耳に届きます。バスは無情に、兄に気付くことなく走り去りました。

 太陽は休むことを忘れてしまったのか、未だに兄の頭上を熱していました。兄は必死に頭痛に耐えようとしていますが、太陽はその姿に同情もしてやりません。非情なやつです。

 頭痛はひどくなるばかり。たまに吐き気も催します。実際に吐くことはまだありませんが、もしかしたら、もうじきには吐瀉物が撒き散らされているのかもしれません。兄は目を瞑りました。暗闇は端から見ると涼しそうです。端から見る限り、ですが。……この容態の原因が、太陽だけでないのは、兄はもう気付いていました。兄だけが気付いていました。

「来ねぇのかぁ?」

 金髪の男が、先ほどよりも大きな声で漏らしました。ケイは金髪に冷ややかな視線を送りますが、金髪はそれを無視しました。目には目を、というやつでしょうか。

 ケイの作戦はこうです。兄を放置しておき、舞をおびきよせる。そして兄を盾にしつつ舞と交戦し、最終的には兄に気を逸らせて舞を仕留める。単純で粗い作戦ではありますが、成功率はともかく、実行には移しやすそうです。

 ケイの傍には、弓矢がありました。木製ではありません。矢の先端は鋭く、今の膨張した空気を一気に纏め上げてしまえそうです。矢はジャケットのマークとは違って、かすれた銀色です。

 兄は地面を向いたまま。金髪はいらいらしたまま。集団の男たちはぶれぬよう立ったまま。ケイは日陰で涼んだまま。……熱せられた沈黙が、膨張した空気に渡っていきます。染み込んでいきます。

 兄の手首に、縄の痕ができています。縛り自体はさほど痛くないようしてあったようですが、兄が無闇に足掻いたせいで、手首に痕ができたのです。

 関係のない人、一般人は、不審に座り込んでいる兄に近づきません。周囲の道という道は、集団の男たちが塞いでいるからです。ダーツマークの入ったジャケットを見れば、たいていの人は近づこうとしません。むしろ積極的に離れていくでしょう。

 舞の姿がないか、男たちは視界を維持します。

(俺はこのまま、死んでしまえばいい。どうせもう……)

 兄が地面とおしゃべりをしています。口を動かしてはいませんでしたが、地面はちゃんと相槌を返していました。汗が染みます。

(舞はきっと、ひとりでも生きていける。むしろ、俺がいないほうが長生きするんじゃないか)

 地面が頷きます。

(舌を噛みちぎるというのは、自殺にはあまり向いていないそうだ。舌を切るくらいの出血では死なない。舌が反り返ったとしても、気道を塞ぐほどの大きさの舌はあまりないだろう)

 地面が頷きます。

(……)

 地面が頷きます。

 兄は、自分の言葉に頷いているのではなく、ただ地面は頷くものだということに気付きました。思考をやめても、頷きます。言葉を捨てても、頷きます。汗が顎から伝い落ちて、地面に直撃して、蒸発します。それが頷いているように見えているのでした。そのどこにも、意思は介入しません。兄はなんだかせつなくなって、手首を縛る縄を、力任せになぶりました。切れることはありません。

 ジャケットを着た男がひとり、「ぎゃっ」という悲鳴を上げたのはちょうどそんなときでした。

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