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  作者: 小伏史央
【第1章】
10/41

 舞は適当に歩きまわっていました。後ろの視線に気を遣いながら、それでも気張ることなく歩きます。本当はさっさと兄のもとへ戻りたいと思っているのですが、そういうわけにもいかないのです。

 人の波が動きます。舞はそれに飲まれてしまわないように、もう慣れた足取りで進みます。目的地はありません。ただ重たい紙袋を持ちながら、人の波の中を泳いでいるだけです。

(早く消えてくんないかな……)

 もう一時間以上経っていますが、視線は強くなっていくばかりです。それどころか、いつの間にか視線はふたつになっていました。いえ、眼球がふたつあるからふたつとか、そういう意味ではありません。よっつの眼球が、はっきりと舞をおさめています。

(お腹空いたな)

 途端、舞から洞窟音のようなものが鳴り出しました。舞は少し口を尖らせて、紙袋の中に手を突っ込みます。林檎をひとつ取って、ひとくちだけ(かじ)りました。すぐにふたくちめが林檎を襲います。

(兄貴どうしてるかな)

 病室の兄のことを想像します。なにを思ったのか、舞は一瞬だけ喉を詰まらせました。林檎の欠片を飲み込んでしまいます。舞は笑いをこらえて、もうひとくち林檎をほおばりました。

 空はすっかり暗くなっていましたが、立ち並ぶ店々は相反して明るくなっています。空に対する嫌がらせでしょうか。空を苛めてなんになるのでしょう。

 もうひとくち、林檎を齧りました。追跡の視線も、慣れてしまえばつまらないものです。舞はすっかり後方の誰かさんには興味を失って、ただ林檎の美味しさに感動していました。ただ病院にはまだ向かわずに、気のままに歩きます。

(ああもう面倒臭いな)

 林檎を食べ終わってすぐ、舞はそう思い振り向きました。ゴミ箱に林檎の芯を投げ捨てます。またはずしました。それを拾いながら、逆向きの波に乗り換えます。

 視線がいとも簡単に途絶えました。

(なんだ。最初からこうすればよかった)

 舞はそのまま、逆向きの波に乗ったまま歩きました。その方向に、兄の入院している病院があるのです。視線は不思議なほど完全に消えていました。最初から舞の勘違いだったのかもしれません。ですが舞はそんなこともう気にせずに、ただ腕が疲れてきたことに対して不平を漏らしています。実際に口を開けたわけではありません。

「おや」

 そんな声が舞の耳に届きました。横に並ぶ店のほうからです。舞は足をとめずに、声のしたほうに顔を向けました。目が合います。

 舞は人を掻き分けて、その店に入っていきました。どうやらその店は、骨董品屋のようです。実用的でない品物が所狭しと並べられています。

「奇遇ですね。お買い物ですか……って訊くまでもなかったようですね」

 シェパードは、そう言って笑いました。舞は笑いません。

「つけてたの、シェパードさんですか」

「はい? なんのことでしょう」

 シェパードはそう言いながら、店内を見まわします。舞もそれにつられて顎を上げました。店の低い天井近くには、いくつもの仮面がかけられています。

「素晴らしいでしょう。わたくしも驚きました。こんなコレクション、なかなか見られるものではありません」

 その大半が不気味な相貌をしています。九割がたが木製で、その他のものは、たとえば青銅であったり、たとえばプラスチックであったり。舞にはその凄さが分からなかったようです。舞は上を向いたまま、斜めに首を傾げます。

「ついさっきまで、法律関係の人と話をしていましてね」

 シェパードが言いました。

「法律関係?」

「ええ、法律をよくご存知の人です。その人の話によると、ちょっとこれから、面倒なことになるかもしれません。……あ、店主これって触ってもよろしいのですか?」

 店主に制され、シェパードは残念そうな顔をします。しているようです。仮面を被っているわりには表情豊かです。

「触っちゃだめなら、最初から並べないでほしいですよね。あ、いや、このコレクションを拝めただけでも腹いっぱいですが」

(つけてたのは、ふたりだった……)

 舞はそのことを思いだしました。だから、シェパードが犯人だと考えるべきではないのかもしれません。今はひとりなのですから。それに証言が本当のことなら、一時間以上も舞をつけることなどできないはずです。その法律関係の人がグルだった場合を除いて。

(それに、この仮面じゃストーカーなんてできないだろうし。目立ちすぎ)

 舞はひとまずそう考えておきます。仮面なんてはずせばいいだけのことですが。

「それで、面倒なことって?」

 舞は、それよりも気になることを口にしました。

「おそらく、裁判になるでしょう」

「裁判?」

「ええ、裁判です。わたくしたちは、自分の罪を認めたくありませんからね。向こう次第ですが、向こうがわたくしたちに罰を求めるのなら、おそらく裁判になるでしょう」

 店の仮面は壁にしっかりととりつけられていて、揺れることはありません。代わりに、舞の持っていた紙袋が、わずかに震えました。蜜柑から果汁が漏れています。ほんの少しだけ。

「舞さんの兄上や、他のふたり。彼らは、遺体の肉を食べたでしょう? それがどうも、倫理的に問題があるようでしてね」

「罪になるって、ことですか」

 舞の持っていた紙袋に、小さな穴が開きました。果物の重みがそれを押し広げて、林檎や蜜柑が床に落ち転がってしまいます。

 シェパードはそれを拾いながら、「さあ」と呟きました。

「さあって……」

「聞いた話によるとですね、この国には食人に対する法律が存在しないみたいでね。ちょっと微妙なとこなのです。もしかしたら死体遺棄や死体損壊などの問題にとらわれるかもしれません。まあまだ、どうなるか分かりませんがね」

 舞は店を出て行こうとしました。シェパードはそれについていきます。最後にまたちらっと、名残惜しそうに仮面の行列を見遣りました。

「それは、兄貴たちは知ってるんですか」

「いや、まだですね」

 果物などの購入品は、なぜかシェパードがすべて持つことになりました。持つ気がないのか、持たせる気があるのか、舞は自由になった腕を組んでいます。

 ショッピングモールを抜けると、空の闇が元気に蠢いていました。ここは星がよく見えません。一等星二等星が、小さく闇夜に寄生しているだけです。服についた砂糖の粉みたいです。

 しかし月はよく見えました。月光こそ弱々しいものですが、その大きさは目を瞠るものがあります。周期からして、特に大きく見える日なのかもしれません。

 夜道を歩き、ほどなくして病院に着きました。大きな病院です。視界を占める割合でいえば、あの月よりも大きな病院です。

 その一室。ベッドがみっつ並んでいて、それぞれに船員たちがいました。

「兄貴ー。果物買ってきたよ」

「お前、それ俺の金」

 面会時間はとっくに過ぎていたようで、その後すぐ看護婦に注意されました。

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