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家族という名の錯覚
ある年の7月、サラリーマンの小窪健介は妻にメッセージを送った。
『おつかれさまです
今後の夫婦関係に関して、第三者である弁護士を入れて話し合いましょう
近日中に書面が届くと思うので、当面は直接のやり取りは停止します』
直前まで交わしていたのは、4歳になった娘が新しい絵本を喜んで読みながら眠ってしまったことや、それを見ていたら自分も眠れなくなったこと、なのに娘は早起きだった、なんていう他愛のない日常のLINEだ。
その直後に、さっきのメッセージを送信した。
送ったあと、目の前が霞んだ……。
娘の今後は……?
オレが我慢すれば家族団欒が……。いや、そもそも「団欒」なんてあったか?
振り返ってみる。何か一つでも楽しかったか?
結婚して10年。子供が生まれて4年。ずっと辛かった。
思い出す。働かない妻、不妊治療、金銭的搾取、両親との絶縁、ままならない社会人生活、子供が生まれてからの別居生活。
あれ……思い出したら、何もかも楽しくないや。




