第6話「交わす誓いと疑念」
「……今日中に、まとまった金が必要なんだ」
男の口からこぼれたその一言に、受付の空気がわずかに変わった。
さっきまで規約を盾に押し返していた受付嬢も、言葉を継ぐのを一瞬ためらう。だが、それでも職務としては譲れないらしい。彼女は小さく息を吸い、淡々と告げた。
「ご事情はお察しします。ですが、規約は規約です。危険度相当の依頼を、実力の伴わない編成へ渡すことはできません」
「分かってる……」
男はそう言いながらも、納得している顔ではなかった。
分かっていて、なお引けない。そういう顔だ。
「だったら話は簡単じゃ」
ティアが、まるで何でもないことのように言った。
「妾たちはそやつより強いぞ? 実力はあると自負しておる」
「簡単に言うな」
新参者の戯言なんか誰が聞くものか。
俺が横から口を挟むと、ティアは不満そうにこちらを見た。
「困っておる者がおるのじゃぞ」
「そうだとしても、何も知らずに首を突っ込むのは違うだろ」
「知ればよいではないか」
即答だった。
……本当に、こういうところは躊躇がない。
男はそんな俺たちのやり取りを見て、どこか困ったように眉を下げた。
「いや、あんたらを巻き込むつもりは……」
「もう十分巻き込まれておる」
ティアが言い切る。巻き込まれているというよりは、巻き込まれに行っているという方が正しい気はするが。
「なら、事情くらいは聞くべきだろう」
その言葉に、男はしばらく黙った。
やがて諦めたように肩を落とし、低い声で言う。
「……少し、人目の少ないところで話させてくれ」
◆
ギルドの隅、酒場の喧騒から少し外れた壁際の席へ移動する。
朝だというのに酒臭い連中はいるし、がらの悪そうな冒険者もいる。だが、こういう場所の方が逆に他人に無関心なのか、こちらの話に耳を立てる者はいなかった。
男は席へ腰を下ろす前に一度だけ周囲を見回し、それから口を開いた。
「俺はカイル。Dランクの冒険者だ」
「さっきの受付嬢は“だった”みたいな顔をしておったがの」
ティアが首を傾げると、カイルは自嘲気味に笑った。
「間違ってはいない。依頼の失敗や装備の売却で、もうほとんどランク相応の冒険者らしい体裁も残ってない。剣だけは手放せなかったが、防具は大方売ったしな」
「やっぱりか」
俺が呟くと、カイルがこちらを見る。
「見て分かったのか?」
「分かるさ。剣は手入れされてた。逆に防具は酷い。売れるものから売って、最後に残したのが剣って感じがしていた」
「……よく見てるな」
「そういうのを見るのが癖でね」
ティアがそこで、じっとカイルを見つめた。
「で、その今日中に必要な金とは何じゃ」
真正面からの問いだった。回りくどさの欠片もない。
カイルは少しだけ目を伏せてから、絞り出すように言う。
「奴隷を買うためだ」
ティアの目がわずかに見開かれる。
「奴隷……?」
「ああ。正確には、解放するために払う金だが」
その言葉に、ティアは今度こそ黙った。
俺も口は挟まなかった。続きを促すように視線だけを向ける。
カイルは拳を握りしめたまま続けた。
「明日の昼、その娘は貴族に買われることになってる。しかも相手は、女の扱いが酷いことで有名な奴だ。今止めなきゃ、取り返しがつかない」
……なるほど。
それで今日中に、か。
「なぜ自分で買わぬのじゃ?」
ティアが静かに問う。
「奴隷の解放なんぞ、普通に買うよりも高くつく。買ってしまった方がいいではないか」
「そうだ。だが、先に勝ってしまえばば終わりって話でもない」
カイルの声に、苦いものが混じる。
「相手は貴族だ。しかも前から予約が入ってる。俺みたいな平民が後から金を持ち込んでも、普通なら相手にされない。だから違約金込みで、今日中に話を通せるだけの額が必要なんだ。解放してしまえば、奴隷ではなく一般市民。国の法で守られるからな」
「……なるほどのう」
ティアはそこで初めて、身分という壁の存在を実感したような顔をした。
「つまり、貴族が買うと決めた時点で、既に力関係はほぼ決まっておるわけか」
「そういうことだ」
ティアは小さく奥歯を噛んだ。
たぶん、感情としては納得していない。だが理屈としては理解した。そんな顔だった。
「その娘とは、どういう関係だ」
俺が聞くと、カイルは一瞬だけ言葉に詰まった。
それから、観念したように笑う。
「惚れたんだよ」
あまりに真っ直ぐな言い方だった。
「最初は依頼の帰りに偶然見かけただけだった。けど、あいつ……リナっていうんだが、あんな場所にいても目が死んでなかった」
カイルの視線が遠くなる。
「何度か通って、少しずつ話をするようになった。笑うと、ちゃんと年相応の顔をするんだ。あんなところに閉じ込められていいやつじゃないって、すぐ分かった」
「……それで助けたいと思った、と」
「ああ」
短い返答だったが、その一言は重かった。
「馬鹿だってのは分かってる。俺一人で何とかなる話じゃないことも分かってる。それでも、明日の昼まで待って見てるなんて、俺には無理だった」
ティアが、そこで小さく息を吐いた。
「馬鹿ではあるのう」
「否定はしない」
「じゃが――」
ティアはまっすぐカイルを見る。
「嫌いではないぞ、そういう馬鹿は」
カイルが、少しだけ呆けた顔をした。
その横で俺は、小さく肩をすくめる。
「俺も嫌いじゃないが、危ういとは思う」
「……あんたは現実的だな」
「夢だけで飯は食えないからな」
そう返しつつも、俺は内心で考える。
今日中に金を作って解放する。そこまではいい。だが、その後はどうする。平民の男が貴族の予約を潰して、元奴隷の娘と一緒に何事もなく暮らせるほど、世の中が甘いとは思えない。
けれど、それを今ここで言うのは違う気もした。
カイルはもう動いている。ティアは肩入れする気満々だ。ここで水を差したところで、止まる類の話ではない。
「その娘、会わせてもらえるか」
俺がそう言うと、カイルは少しだけ驚いたように俺を見た。
「見て、どうする」
「命張る相手の事情くらいは確認しておきたい」
カイルはしばらく黙ったあと、低く頷いた。
「……分かった。こっちだ」
◆
案内されたのは、王都の賑わいから少し外れた区画だった。
汚いわけじゃない。だが、明らかに空気が違う。建物の窓は小さく、人目を避けるような造りが多い。通りを歩く人間も、どこか視線を合わせようとしない。
その一角に、鉄格子のはまった建物があった。
表向きは“人材斡旋所”と看板が出ているが、見れば分かる。中で扱っているのは、人だ。
「ここか」
俺が呟くと、ティアが黙ったまま建物を見上げた。
さっきまでの軽い調子はどこにもない。
扉の前に立っていた店番らしき男は、カイルを見るなり露骨に嫌そうな顔をした。
「なんだ、また来たのか」
「少し話をするだけだ」
「予約済みの商品に手ぇ出すなよ? こっちも慈善事業じゃない。商品を傷つけず管理するのにも金がかかってるんだからな」
「分かってる」
その会話だけで色々察するには十分だった。
中へ入ると、鉄と湿気と薬品の混じったような嫌な匂いが鼻につく。壁際にはいくつもの檻が並び、その中に数人の男女がいる。みんな、どこか諦めたような目をしていた。そんな人達を見てティアが隣で小さく拳を握る。
カイルが足を止めた先の檻に、一人の少女がいた。
歳は十七、八くらいか。淡い茶色の髪は乱れ、首には細い金属の首輪がはまっている。痩せてはいるが、目はまだ死んでいなかった。
「リナ」
カイルが呼びかける。
少女は顔を上げた。そして次の瞬間、その表情が揺れた。
「カイル……?」
「ああ。会いに来た」
彼は檻越しに膝をつき、鉄格子へ手を添える。
「もう少しだ。今日中に金を揃える。だから待ってろ」
リナと呼ばれた少女は、唇を震わせた。
「……無茶、してない?」
「してるに決まってるだろ」
自嘲気味に笑いながらも、カイルの目は真っ直ぐだった。
「でも、間に合わせる。絶対に」
リナの目にじわりと涙が浮かぶ。
その様子を見て、ティアが近づく。
「……おぬし、名は」
ティアは檻の前へしゃがみ込み、静かに尋ねると、少女は少し戸惑いながら答えた。
「リナ、です」
「そうか、リナ。事情は聞いた安心するがよい。妾たちも力を貸す」
ティアはそう言い切る。全く迷いのない声。
俺はその横顔をちらりと見る。やっぱりこいつは、こういう場面で躊躇わない。それが強さでもあり、危うさでもある。
「……どうして、そこまで」
リナが小さく呟く。
ティアが答えるより先に、カイルが言った。
「俺が頼んだ。いや、正確には……助けてもらった」
完全には違う気もするが、まあ大筋では合ってる。
俺はリナの首へ視線を落とした。
首輪は細く見えるが、ただの装飾じゃない。表面には細かな刻印が刻まれている。拘束用か、契約用か、追跡用か。いずれにせよ、面倒な代物なのは間違いなさそうだ。
気にはなったが、今はそれを口にする場じゃない。
「一日でも、自由に外を歩けたら……カイルと一緒に過ごせたら、そんな嬉しいことはないよ」
「ああ、俺もそう思うよ。だから、必ず叶えてみせる!」
放っておいたら、いくらでもイチャイチャしだしそうな勢いだな。恋は盲目とはよく言ったもんだが、まさにこのことか。
「もう行くぞ」
俺が言うと、カイルが振り返った。
「時間が惜しいんだろ?」
「あ……ああ、そうだな」
彼は立ち上がり、もう一度リナへ向き直る。
「待ってろ。必ず戻る」
「……うん」
短い返事だった。だが、その一言に込められた想いは十分すぎるほど伝わった。
店を出ると、外の空気が妙に軽く感じた。
ティアはしばらく黙っていたが、やがて低い声で言う。
「助けねばならぬ」
「……そうだな」
俺も否定はしなかった。
ただ、胸の奥には別の引っかかりが残っている。
今日中に金を作って解放する。そこまではいい。だが、その先はどうする。貴族の予約を横から潰して、平民の男と元奴隷の娘が、そのまま何事もなく暮らせるほど、この世界は甘いのか?
答えは、たぶんそんな甘くない。
それでも今ここで、それを言う気にはなれなかった。
ティアは感情で動いている。カイルは覚悟で動いている。リナは希望へ縋っている。
そこへ、冷めた現実だけを投げつけるのは簡単だ。
だが、簡単だからといって、それが正しいとも限らない。
「行くぞ」
俺がそう言うと、カイルは強く頷いた。
「ああ。依頼を片付けて、今日のうちに全部終わらせる」
全部終わる、か。本当にそうならいい。
俺たちは王都を出るため、再び大通りを歩き出した。
空は高く、陽はまだ十分に昇りきっていない。依頼をこなし、戻って、金を渡して、解放する。時間はぎりぎりだろうが、不可能ではない。
少なくとも、今はそう見えた。
ただ、首輪。予約。貴族。金を払って終わり、で済む要素が一つもない。
胸の奥に残った小さな違和感だけは、最後まで消えなかった。
あとがき
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