その勇者には名前がない
「第10回私立古賀裕人文学祭」参加作。
お題のテーマは「ぼくにもできそう」。執筆持ち時間は1時間。
今回は分割して執筆しました。
魔物というのはたぶん、そこに住む人々に強い影響を与えるもののことです。
そして森に囲まれたある小国の終わりの始まりは、世界でぽつぽつと自然発生してきた魔物が、城壁の内側で誕生してしまったことによるのでした。
更にその始まりの始まりの始まりは、一人の王子が誕生したことでした。
完璧と謳われた国王と王妃には、たくさんの子どもたちがいました。長兄で王太子、武勇の誉れ高いアーサー。知略に優れた第二王子ヘンリー、技術肌で思慮深い第三王子リチャード、慈悲深く、教育と福祉を改革した第一王女ソフィア、美しくその場を和ませる社交的な第二王女のエリザベス。
三人の王子と二人の王女に恵まれた国王夫妻は(近隣国との政略結婚も考えて)もう一人王女を望みました。
けれど思ったことが全て叶うなんて都合の良いこと、いくら国王だって無理なことです。
末っ子になった王子様(そう、男子でした)は、両親にもその兄姉全てにも似ていませんでした。勉強をしても剣を持っても、どう繕っても平凡な容姿と平均にはちょっと足りないだけの能力しかありませんでした。
しかもそこに辿り着くまでに、何をやらせても何度も失敗ばかりでみじめな思いをしていました。
言い訳すらしないで黙り込むこの王子を国王夫妻はたいそう心配しましたし、自身と兄弟のことを、そして王子が非難されるのが怖かったので、宮殿の端に住まわされて、何となく華やかな場所からは外されていました。
そして始まりの始まりは、国民に一人ひとつ、ダンジョンを持つことが解禁されたからでした。
正確には土地に関する法律の改正だったのですが――開拓できる土地が少なくなってきたので――地下に関する税金と権利が拡大されたのです。だから国民のいくらかは、自分のダンジョンを作ることにしたのです。
王国は周辺国や魔物の脅威から人々を守り、森を管理していました。しかし技術は発展し安定期を迎え、しかもちょっと前に最盛期を過ぎたと思われていました。
人々の仕事は複雑化し、鉱山労働者も製鉄をする人も、鍛冶職人もみんな幼い頃からギルドに属し、会社を作り、教育を得て、それから国の定めた成人の儀式を終えて、立派な職業人になっていきます。
開拓するところもなければ、複雑化した経済は他国との争いの抑止になりました。
そんな人々は城壁の中で朝から誇りを持って仕事をしていましたが、夕暮れ時に酒場で騒ぐぐらいしか楽しみはなくなっていたのです。人々は刺激に飢えていたのでしょう。
洞窟の奥に、地下に、ちょっとした秘密基地を作って楽しみました。
ただし国がうっかりしていたことには、ダンジョンは様々な規制の対象外だったので(拙速に決められた法律のせいで)、賭博場にしたり、罠を仕掛けたりする人も現れました。
そうして複雑化したダンジョンを要塞のようにして、引きこもって出てこない人々が現れ始めた頃――突然「魔物」が誕生しました。
要するに自分の要塞を作って税金も払わず、近くを通りがかった人から物資を奪って、国の支配から逃れ始めたわけです。少なくとも、彼らを見た人にはそう思われていました。山賊のようなものでしたが、もっと悪いのは、多くの人々が影響され始めそうなことでした。
状況確認のためにダンジョンに入り込んだ役人は、マントとズボンのお尻を切り裂かれた恰好で這々の体で逃げ出し、彼はいにしえの魔王のようであった、と告げました。
国王は息子たちと頭を悩ませました。軍を持って攻め込むか、懐柔するか、おびき出すか。
あらゆる方法を考えましたが、「人命を無駄にはできない」、「作戦に確実性がなさすぎる」、「税金がかかりすぎる」……などなどの理由で、次々に議会に却下されました。絶対王政ではなかったし、それを続けるには世界は成熟しはじめていたから。
けれど悩ませている間ずっと、何もしないわけにもいきませんでした。国王が国王でいられるのは、国民のために身を削るからです。
というわけで、その場で一番「国にいなくても誰も困らない」末っ子の王子が調停役として立てられました。
その王子は、最初は渋りました。世話係から魔王復活の知らせを聞いても、何も動きませんでした。何故って、何かをすれば「きちんとしなさい」と家庭教師に言われてしまったし、話を聞いていてもちゃんと聞きなさい、兄にと言われたし、ともかくそんなことばかりで、何かをすることを諦めてしまっていたのです。
できたのは森で遊び、伝承を歌い、本を読んで役に立たない言葉を覚えるくらいでした。
けれど父親に頼まれて、ついでに議会が決定したので、王子は否応なくダンジョンに向かったのでした。少しは物語の勇者に憧れたのかもしれません。
……最初は、役人と、その辺のダンジョンの視察からでしたが。
ダンジョン内の構造は浅かったり深かったり、居心地が良かったり悪かったりしました。けれど彼はどれにも臆さず再奥まで辿り着く才能があったので、次第に彼を役人は頼りにし、一人で行動させることが増えていきました。そういうことになりました。
そうして彼はいつのまにか自信を付け、魔王のダンジョンに辿り着いていました。
魔王のダンジョンはでも実は、人の出入りは殆どないようでした。
ごつごつした岩でできたダンジョンには訳の分からない刺繍が施されたタペストリーが飾ってあって、暗闇には得体の知れない動物でできた骨のオブジェが転がっていて。
まるで魔物の群れだと王子は思いましたが、よく見るとどれも人工的な制作物だったので、気にせず奥に進みました。かび臭い匂いは換気が悪いからだし、不潔なのは掃除が嫌いだからだろうと思ったのです。
ダンジョンの奥は報告から言って森に続いていて、そこは一人になりたいときに王子が遊びに行っていた場所でもありました。ほかの人と違う人が、かつて捨てられていた場所でも。
王子はそこで「魔物」に出会いました。
魔物がどんな風体でどんな話をしたかは記録に残されていません。けれど王子はおそらく話をして解決した、そう想像だけ書かれています。
ともかくも、解決したので魔物を倒すに相応しい、国威を高揚する「勇者」ができあがりました。
王子の名は残っていません。王子の名前は時に「臆病者」を意味して時に「勇者」になったので、憧れの「勇者」の意味が変わるのを嫌ったとも言われています。
けれどその王子のおとぎ話を親や祖父母がすると、国の子どもたちは決まって、得意げに言うのです。
あの王子ができたなら「ぼくにもできそう」だと。
そうして、「ぼくにもできそう」なことは増えて、子どもたちはできることを増やして、国を変えていきました。
結局のところ、それが王国というかたちの終わりの始まりでした。
何もできなかった、名前も残らない王子ができた「誰にでもできない」ことはでも、そんな誰にでもできる簡単な、魔物退治ではなくて。
国中の誰にもできなかった、国中の子どもたちに「ぼくにもできそう」だと言わせたことだったのです。




