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宮内浩 春④

「はい、これ」

 旅行から帰ってきた婆ちゃんに会いに行くとA4のコピー用紙を渡された。

「なに?」と浩は尋ねた。

「私は岩田屋町のウィキペディアだからね!」

「いや、意味が分からないんだけど」

 コピー用紙に書いてあるのは次のようなことだった。


 眠る少女。

 去年(二〇一〇年)の年末に結成したスリーピースロックバンド。メンバーはボーカル、ギターのあずき、ベースのあおい、ドラムのあきの三名。メンバー表記は全て平仮名で「あ」で始まっている為、TシャツがAで統一されている。

 あきは現在、高校三年生で、あずきとあおいが共に高校一年生。

 バンドの立ち上げはドラムのあきで、ボーカル、ギターのあずきの中学校の学園祭で披露された歌声に惚れ込んだことから始まった。ベースのあおいはあずきの友達だったこと、楽器に長けていたことから加入。作詞、作曲をしているのは基本的にあおい。


 浩の聞きたいことを先回りするような文章だった。それを問い詰めたい気持ちもあったがまず、浮かんだ疑問を口にした。

「婆ちゃん、何故に自分をインターネット百科事典な名称を名乗るんです?」

「ん? ほたるが私のことをそう呼ぶから、そういうことにしたの」

「ふ、む……」

 ウィキ(速い)ペディア(百科事典)。婆ちゃんは頭の回転は恐ろしく速いのだけれど、アナログな生活をしているせいかイメージに合わない。それに岩田屋町って範囲が狭い。

「そういえば、ほたるさんと婆ちゃんの関係って? 母と娘?」

「んー、ほたるは私の姪にあたるね」

 なるほど、と浩は頷いた。

 駄菓子屋に通うようになってから、常連客の何人かと知り合った。その一人がほたるさん、という四十代手前の女性で子供向けの音楽教室を営んでいる、と婆ちゃんから聞いていた。

「それより、ほら。温泉まんじゅうを食べなさい。美味しいから」

 どうして駄菓子屋の婆ちゃんが、旅行先でまんじゅうを買ったりするんだろう? もう少し何かあったんじゃないだろうか? そんなことを思いつつ、素直に一つ手に取った。

「お茶淹れるわね」

 言って婆ちゃんは奥に引っ込んでしまう。

 浩は手持無沙汰になって、棚に並んだパズルの箱を見てまわった。婆ちゃんの駄菓子屋はお菓子の他に玩具も扱っていて、パズルのほかにガンプラなども置かれている。

「1000ピース ジグソーパズル ジブリ」もののけ姫、となりのトトロ、千と千尋の神隠しetc.「1000ピース ジグソーパズル 動物たち」猫、犬、孔雀etc.「1000ピース ジグソーパズル 純白」……

 浩は「1000ピース ジグソーパズル 純白」を手に取ってみる。真っ白だった。1000ピースもあって一つの柄もない。奇妙なパズルだ。誰がやるのか想像もつかない。

「ん? なんだい、あんたそれやるのかい?」

「いや。真っ白だなぁっと思って」

 感想というより、事実のみを告げた意味のない言葉だった。

「真っ白よねぇ」

 婆ちゃんは頷きレジのテーブルの上に湯呑みを置いて「あんたの分ね」と言った。

「ありがと」

 手に取って口につけてから「それで婆ちゃん。僕の小説を誰に読ませたの? 一応、僕作者なんだけど?」と言った。数日間、落ち着いて考えた結果、婆ちゃんが面白半分で浩の小説を人に読ませたとは考えにくかった。そこには理由があるはずだった。

「さっきのを読んだんだから、分かっているだろう?」

 浩は黙った。予想はついているし誰にまず会うかも分かっている。ただ婆ちゃんから明確な言葉が欲しかった。

「浩。人生ってのはパズルみたいなもんだよ」

「ん?」

 婆ちゃんはパズルの箱を指差す。浩はそれを見る。

「あんたはちゃんと自分の形に合うピースを選んで繋いで行くの。そうして広がっていく模様が人生なんだよ」

「繋ぐ、広がる……」

「そう繋いで、広がっていく。ただ面倒なのはね、あんたが自分の形を理解していないことと、その形は常に変化しているってことなんだよ」

 浩は婆ちゃんの言うことについて考えてみる。人生はパズルのようなもの。自分の形に合うピース。常に変化する形。

「まぁ、あんたがあの子と繋がってくれたら、私の人生は更に楽しいものになるって言うのもあるんだけどね」

「それは保障はできないけど」

 岩田屋町ウィキペディア、眠る少女のページの最後の一文をもう一度読む。

 ――作詞、作曲をしているのは基本的にあおい。 

 深水葵が作詞をしている以上、彼女は浩の小説を読んでいる。あるいは、読んだ人を知っている。

 そういう結果が目の前にある。どういう形で繋がるのか、あるいは繋がらないのか、浩には分からないけれど無視できない充分な理由がそこにはある。


 ◯


 ゴールデンウィークが始まる一週間前から中谷勇次は登校してきた。

 教室内ではすでにグループがいくつもできており、わざわざ中谷勇次に声をかける人間は昔からの知り合いだと言う守田裕だけだった。

 そんな守田裕はゴールデンウィークが明けると、頬を白いガーゼで覆い眉の上に絆創膏を何枚も貼りつけて登校してきた。

 どうしたのか? と浩が尋ねると、青春の傷と守田は笑うだけだった。

 昼休み。いつもの連中で集まりと自然と話題は勇次のことになった。当の勇次はチャイムが鳴るなり教室を出て行っていた。守田がニヤリと笑った。

「アイツ、入学式で喧嘩したこと姉貴にめちゃくちゃ怒られて、次喧嘩したら一ヶ月夕飯抜きなんだと」

「それはまた」

「しかも、入学式で喧嘩した上級生に謝りに行った時も揉めたらしいしな」

「そこでも喧嘩しちゃったら流石に退学もちらついたんじゃないの?」

 と浩が言うと、守田は焼きそばパンを齧りながら呆れたような表情を浮かべた。

「その上級生が万引きの常習犯だったらしくてな。勇次との喧嘩でそれが分かったとかで、停学の延長は勘弁しようって話になったんだと」

「へぇ」と周囲が感心の声をあげる。

 どういう喧嘩の仕方をすれば上級生が万引きの常習犯だと分かったのか気になったけれど、口にはしなかった。

 それから守田たちは「カルパス」を食べる女の子が如何に素晴しいか、と語り始めた。「当然、一本まるまるのヤツな」「小さいおかしサイズではなく、大人のおつまみサイズだよな」「魚肉ソーセージとは違った生々しさが」「分かる!」

 相変わらず、仕様もない話だ。

 浩は弁当に入ったおにぎりを食べつつ、教室を見渡した。黒板から一番離れた出入口の近くの机をくっつけて、向かい合って女子二人が弁当を食べていた。

 田中あずきと深水葵。喋っているのは田中あずきの方で、深水葵は相槌を打ちながらコロコロと表情を変える。仲が良いのは、ぱっと見ただけで分かった。

 眠る少女。

 あの素晴しいバンドのボーカル、ギターとベースが同じ教室にいる。彼女たちはテレビの中で活躍するような存在ではない。けれど、浩の中で眠る少女は普段、テレビで見かけるアーティストと遜色がなかった。

 特別な人たち。

 浩の小説のタイトル内容の曲を歌ったから、という理由はすっぽり抜け落ちて浩は眠る少女のファンになっていた。それほどに浩は彼女たちの声に、音に、歌詞に心打たれていた。だからこそ、浩は浩の小説についての話を彼女たちにすべきなのか悩んだ。

 眠る少女は浩の小説を元にしたから良い曲を作ったとは思えない。最初から彼女たちには実力があった。浩の小説を元にしなくとも彼女たちは素晴しい曲を作ったはずだ。

 たまたま浩の小説が彼女、おそらく深水葵の目に止まったから作詞作曲に影響を与えただけだ。

 浩の小説でなくてはならない理由はない。

 それに深水葵は浩という人間を知っていて小説を読んだ訳ではないはずだし、曲を作った訳でもない。

 むしろ知らなかったからこそ、小説の内容を曲に落とし込みやすかったのではないか、とさえ思う。

 であるなら――。

「おーい。宮内くん。そろそろ弁当食っちまわないと、チャイム鳴っちゃうぜ」と守田に言われて、「あぁ、うん」と頷いて浩は弁当のおかずを口に詰め込んだ。

 午後の授業が終わりホームルームが始まる休憩時間に守田が浩の肩を叩いた。「浩、一緒にトイレ行こーぜ」

「うん」

 浩?

 二人で廊下を進んでトイレへと向かった。

「浩よ、ニット服越しに見るおっぱいの膨らみの魅力に異論はなかろう? 小さくても大きくても、だ」

「えーと、まぁ柔らかそうで良い感じだよね」

「うむ! 更にだ。ニット服の下が白のスカートで来てみろ! もうね。春っつーより、冬服と夏服の良いところ取りって言うね!」

「確かに。で、今日の喋り方が変なのは、なんか関係あるの?」

「いや、特にない。白のスカート良いよな! スカートめくりで、白だけは静謐過ぎて無理だったわ!」

「まず、スカートめくりをしないけど良いね。白のワンピースとか最強」

「あれはもはや兵器」

 トイレに到着して、二人で小便器に並んで用を足した。

「それで浩。今日は妙に、あずきちゃんを見てるけど。告白でもすんのか? ラブか?」

「は?」

 思わぬ話題に浩は面喰ってしまった。まず、浩が見ていたのは田中あずきではなく、深水葵だという話をするべきか悩んでやめる。「守田くん何故、僕は一度も喋ったことがない女の子に告白するの?」

「一言も喋ったことねぇから、告白すんじゃねぇの? そうでもしないと仲良くなれないってんで」

「告白しても仲良くなれないと思うけど」

「まぁな。友達にさえなれねぇだろうな」

「告白しないし、ラブでもないけど。仲良くはなりたいんだよね」

 可能であれば眠る少女のライブの感想を言えるくらいの関係にはなりたかった。

「ほぉ。それはまた何で? 可愛いから?」

「可愛いのは、まぁ良いことだと思うけど」と言って、眠る少女の説明をするのに躊躇して「色々、思うところがあって」と濁す返答を付け加えた。

「ふーん」守田は小便器から離れ、水道で手を洗った。浩もチャックを閉じて守田の横の水道で手を洗った。「俺、部活を作ろうと思ってんだよ」

 突然の話題で浩は曖昧な返事をした。

「まだメンバーとか決まってないんだけど、あずきちゃんも誘おうと思ってんだ。だから、浩もどーよ?」

「何の部活?」

「セイブツ部」

「ん?」

「あらゆる珍しい生物を探し、捕獲あるいは観察しそれを今後の人生に役立てる部活、だ」

「それは人生の役立つの?」

 トイレを出て廊下を歩きながら守田が笑う。

「建前だな。単純に青春できる部活を作りたい訳よ! 可愛い女の子と合宿したり、肝試ししたり、プール行ったり、クリスマスにパーティしたりしたいんだよ!」

 それは確かに楽しそうだ。けれど、と思った。「部活動にする理由ってある?」

「きっかけ作りだな。まぁ部活の方が放課後に集まったりできるだろ?」

「なるほど」

「まぁ考えといてくれよ」

「分かった」

 浩は素直に守田裕が羨ましかった。思ったことに対してちゃんと行動を起こす。楽しい青春を過ごしたいから部活を作る。シンプルだ。

 そして、自分の出した結論に迷っていない。

 ――男だろ? 自分で考えろ。

 浩を轢いたお兄さんの言葉が浮かぶ。浩は自分で考えながら迷ってばかりいる。


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