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宮内浩 8月20日

 菫を巻き込んだパーティを八月三十一日に開催することを決めた。場所は深水ピアノ教室。ほたるさんが菫の為ならと快く了承してくれた。

 大森先生に話をすると予想外の抵抗を見せられた。いわく「合わす顔がない」とのことだった。おそらく、ほたるさんと葵の二人に会うのに罪悪感があるのだろう。しかし菫のためだという説得を三日間続け了解を得た。

 菫も参加を明言しないものの、行かないとは言わないので大丈夫だろうと浩は高をくくっていた。丁度、中谷勇次を「探しています」という張り紙を見た頃だった。菫から新しいメールが届いていた。

 パーティに行くかどうか考えるために、眠る少女のメンバーを遠くからで良いから見ておきたい、そういう頼みだった。丁度、二十日が眠る少女、三度目のライブだったので菫を誘ってみると、行くとの返信があった。

 せっかくなので一緒に行こうと誘い、二十日の十八時に駅近くで待ち合わせとなった。菫は眼鏡にマスク、それにロングティシャツに下は黒のぴったり目のパンツ姿で現れた。

 前に会った時はひらひらのドレス姿だったので、少し意外な気持ちになった。

「菫ちゃんもラフな格好するんだね」

 挨拶もそこそこに浩が言うと、菫はやや視線を逸らして「今日は、バレないように。雰囲気変えただけだよ」とこぼした。

「そういえば、今日は佐藤さん、だっけ? いないの?」

「いるわよ」

 言って、指差すとコンビニ袋を持って戻ってくるスーツ姿の佐藤が見えた。佐藤さんが居るんじゃあ知り合いにはすぐバレるんじゃないだろうか、と浩が考えていると「大丈夫よ」と菫が言った。

「佐藤はライブハウスには入れないから」

「あぁ、なるほど。なら、バレないか」と頷いて「ちなみに菫ちゃん。眠る少女のバンドは聴いたことあるの?」

 菫は少し躊躇しながら「CDは持ってる」とぶっきらぼうに答えた。佐藤にでも買いに行かせたのか、それとも……。

 なんにしても菫は眠る少女を気にかけている事実が、少しこそばゆかった。分かっていたが菫は葵が本当に大切で好きなんだな、と。

「聴いて、どうだった?」

 佐藤が戻ってきてコンビニ袋を菫が受け取る。

 菫は腕を組んで「素人ね。ギターもドラムも聴けたもんじゃなかったわ。葵のベースは及第点ってところで別に特別良いって訳じゃなかったわね」と言った。

 おー厳しい。

 でも、と言う菫の声が少し小さくなった。「曲自体は良いと思ったわ。リズムとかちょっと無理があるし、歌詞には理解が届きにくいところもある。けど、ボーカルの声は耳に残るし、何よりメンバー全員が曲のこと好きなんだって分かって、その、凄く良いと思ったわ」

 なぜだろう。

 浩は言葉を失うほど恥ずかしい気持ちになっていた。誉められたのは眠る少女だし、曲を作ったのは葵だ。しかし、ほんの一部だけれど葵に影響を与えた。その事実が浩を誇らしくさせて同時に激しい羞恥を与えた。

 やばい。今、何を言っても声が震えると視線を彷徨わせて、菫も顔を真っ赤にして俯いているのが分かった。なんだろう。周囲から見たら初々しいカップルにでも見えるのだろうか?

 そんなことを思った瞬間だった。

「見つけた」

 空気が一変した。

 全身が粟立つ感触があって浩は周囲を見渡した。

 居た。

 人ごみにまぎれながら一際異彩を放っている存在。

 中谷勇次。

 目が合って、浩はすぐに目を逸らした。ほんの一、二秒で手の中がぬめるような汗をかいていた。ギュッときつく拳を握った。

 勇次はそれでも普段通りの歩幅と速度でこちらに近付いてきた。途中で佐藤も気付いて、浩らと勇次の間に立ち塞がった。菫は俯いて浩のシャツの裾を摘まむ。

 菫の怯えようから彼女は中谷勇次を知っていると分かった。

 浩は深く息を吐いてから勇次を真っ直ぐに見据えた。が、勇次は浩を見ていなかった。

「おい、ちんちくりん。守田をどこにやったんだ?」

 静かな声だが、有無を言わせぬ迫力がそこにはあった。

 守田をどこにやった? そう勇次は言った。

 目の奥が痛んだ。ラクガキの時もそうだ。何かが起きた後に浩はそれを知る。一周遅れのランナーのように。

「中谷くん。何があったの?」

 しかし、勇次は浩の問いには答えなかった。ただ冷たい視線を向けた後、吐き捨てるように言った。「宮内。お前も、そっち側だったのかよ。がっかりだわ」

 あ、やばい。

「違う。中谷くん、ちょっと冷静になって」

「あ? 冷静だよ」

 真っ直ぐと彼の目を見た。

 確かにその通りだった。今の勇次は冷静だった。冷静に最も悪い事態について考え続けている。

 守田裕がさらわれた。その結果、最も最悪な惨状が中谷勇次の頭の中にある。そして今、浩はその惨状を否定するだけの手札を持ち合わせていない。

 どうすればいい? 

 分からない。けれど、静観している訳にもいかない。

「守田くんがさらわれたんだよね?」

「分かりきったこと言ってんじゃねぇよ。良いからさっさと居場所を吐けよ」

 勇次が一歩を踏み出した。佐藤が身構えるも、勇次の脚力と圧倒的な暴力の前では何の意味もなかった。浩の目が捉えたのは勇次が右から襲い、三度腕を振るだけで佐藤を地面に倒したことだけだった。

「言ったよなぁ。オマエ等が五体満足で居られんのは、俺の敵じゃなかったからだ。俺の敵になったんだ。覚悟はできてんだよなァ?」

 勇次は菫を見据えて言う。

「さっきから何を言っているのよ。中谷勇次! 私は何もしていないし、何も知らないわ」

 菫がマスクをずらして叫ぶように言った。

 それは今この場で最も正しい言葉だった。菫は何も知らない。おそらく、梶原富也が菫を勝手に首謀者に祭り上げただけだ。

 けれど、そんな真実は今この瞬間には何の価値もなかった。

「おい、とぼけんじゃねーよ? 寝ぼけてんのかぁ? 目ぇ覚まさしてやろーか? おい!」

「中谷くんの目的は守田くんの居場所だよね? なら、僕が知ってる。僕がそこまで案内する。だから、菫は勘弁してくれない? 彼女はただ巻き込まれただけなんだ」

 勇次が冷めた目で浩を見つめる。「お前も寝ぼけてんのか? そこの女が居場所を知ってるって話をしてんだよ。宮内、勝手に出しゃばってくんな」

 ここだ。

 ここを押し切る。

 でなければ、勇次は菫を守田の居る場所へと案内させようとするだろう。それはつまり菫が眠る少女のライブへ行けなくなることを意味する。

 ようやく葵と菫が互いに思いを伝え合うための一歩を踏み出そうとしているのに。

 幸せに怯える彼女たちだ。たった一回、踏み出した一歩が駄目だっただけで彼女たちは望む幸せを諦めてしまうかも知れない。

 その可能性が一パーセントでもある以上、浩は抗わざるおえない。中谷勇次だろうと梶原富也だろうと台無しにされる訳にはいかない。

「菫は巻き込まれただけって言ってるだろ。話を聞けよ。それに中谷くんの目的は守田くんの居場所でしょ?」

「おい。なに勝手なこと言ってんだよ? 俺の目的は守田の居場所と、アイツをさらった奴ら全員をぶっ飛ばすことだよ」

「暴力に訴えることは否定しない。ただ、ちゃんと関係者を洗い出してから、ぶっ飛ばせよ。事実確認もせずに暴力振るって、ごめんなさいじゃ済まないこともある」

「あ? だから、目の前にいる敵を見逃せってのか? そりゃあ、なんっつー腰抜け野郎の理論だ?」

「取り返しがつくかつかないかの判断をしろよ。菫は何もしていない、知らないっつてんだから無関係なんだよ」

「それが嘘だって、お前はどーやって証明すんだよ?」

「じゃあ、それが嘘だって分かったら僕のことを好きなだけ殴れば良い」

「はぁ? お前関係ねぇだろ!」

「少なくとも、守田くんの居場所を知ってるよ!」

 それに、と浩は続ける。「菫は僕の大切な人の、大切な人だ。それだけで関係は十分だ」

 勇次がため息を漏らして、そして「お前、もう良いよ」と言って、肩を回すような動作を見せた瞬間、甲高いクラクションが鳴った。何度も何度も。通行人たちが耳を塞ぎ、周囲を見渡して駅のロータリーに視線を固定する。赤いMR2に注目が集まる。

 クラクションが響く度に、勇次が徐々に落ち着いていくのが分かった。赤いMR2の運転席が開き、サングラスをかけた男が下りてくる。「勇次、てめぇ。俺がなんつったか覚えてるか? 見つけたら電話しろっつったよな? なに、無視してがる」

「忘れてたんだよ!」

 と勇次が叫ぶ。

 中学一年の宮内浩を轢いた川島疾風が浩の前で足を止めて陽気な声で言う。「よぉ、宮内浩くん」

「どうも」と浩が頷くと疾風は、横に居る菫に視線を一瞬ずらしてから「宮内くん、横に居る子。信用できる?」と言った。

「出来ます」

 即答だった。

 オッケーと、疾風が呟いてから「君が深水菫?」と尋ねた。

「はい」

 菫は勇次を前にした時よりも落ち着いた声だった。

「梶原富也が守田くんをさらったんだが、作戦は半分くらいしか上手く行かなくて拠点を変えたみたいなんだよ。最初の拠点はかなえ通りの、ピープルってマンションの303号室。ここから他に移る場合どこへ行くか予想できる?」

 菫はしばらく考え込む間を取った後「三つです。そのどれかだと思いますけど、正確なことは」と言った。

「上等。その三つの住所、教えて」

 菫が三つの住所を言った後「あ、宮内くん」と浩を呼んだ。

「はい」

「宮内くん。GPS機能で守田くんの携帯を追えるようにしてあるんだよね?」

「してあります」

 浩が勇次の張り紙を見て電話した時、守田が思いついた案だった。

「それを最初は頼ろうと思ったんだけど」と言って、疾風がポケットから携帯を取り出した。守田のだった。「守田くんが連れ込まれたマンションに落ちてたわ。向こうも結構、考えて動いてるみたいだな」

「そうですか」

 なら浩だけで勇次を案内していた場合、殴られることは確定だった訳だ。命拾いをしたと同時に無力感がむくむくと浩の中に膨れ上がった。

「あともう一つ。あずきちゃんが言ってたんだが」と疾風は言った。「宮内くんが菫を信用できるって言ったら、絶対信用できますだってさ」

「へ?」

 あずきが何故ここで出てくるのだ?

「深水菫は巻き込まれただけ。でも、それをあずきちゃん自身じゃ証明できない。なら、誰にできるか? って俺が聞いたら、宮内浩だってさ。彼が言うなら絶対ですだと」

 僅かにサングラスを上にずらして言う。「だから、菫が言うことは信用するよ」

「ありがとうございます」

 疾風は真っ直ぐ浩を見た。「にしても、守田くんからも何かあったら浩に連絡をって言われてたし、あずきちゃんも宮内くんならってさ。どうして君はそんなに信用されてるんだろうな?」

 浩は努めて軽い感じで応えた。

「自分で考えてきたから、じゃないですかね」

 疾風がやや呆気に取られた後に口もとを緩めた。

「男の顔になってるよ、浩くん」

 さぁてと疾風がサングラスをかけ直す。「守田くんを助けに行きますかね!」



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