田中あずき 8月20日②
疾風の方へ近づいていくと、正座させられた不良の中で一番ガタイの良い一人が十円玉を口に入れるところだった。
「え? なに、してるんですか?」
思わず声が出てしまった。疾風は至って普段通りに「ん? あぁ、あずきちゃん。体の方はもう大丈夫?」と言った。
「はい、休ませてもらいました。それで、どうして十円玉を」
「食べたいっつーからさ」と言って、すぐに不良たちに向き直る。「オラ、吐くなよ。お前、下手だなぁ。薬を飲む感じで一気にやんだよ」
ガタイの良い男が飲み込み切れずに十円玉を吐き出した。唾液まみれになった茶色の硬貨がガラス片とビールだらけの地面に転がる。
「拾え」疾風が短く命じる。
男は殆ど泣きながら十円玉を拾う。
「あの、これ近藤さんから、ジュースですって」
「おーありがと」
「それと、コンビニ側にはお金を払ったけど、一時間以内に終わらせてとのことです」
「りょーかい。で、あずきちゃん、ジュース選んだ?」
「はい、お茶を」
疾風はあずきから受けとったビニール袋からペットボトルのジュースを手に取ると、一本ずつ不良の前に置いていった。「良かったなぁ、お前等ぁ。小銭を飲みやすくする為のジュースが届いたぜ」
不良全員が疾風を見上げて殆ど絶望的な表情を浮かべた。
「どーした? 知らねぇのか? 硬貨はな、抗菌作用があんだよ。十円玉なんて病原菌まみれの人間が握り続けてると治るっつー話まであるくらいだ。どうせ、お前等なんて病原菌まみれの体してんだろ? 丁度良いじゃねぇか。体の中から綺麗にしてもらえよ」
「本当に勘弁してください」細い弱々しい声で、不良の一人が言った。疾風は彼の前に置いたコカコーラを開けると、お墓に水をかけるように頭から液体を流した。
「女の子を三十分以上追いかけ回しておいて、何を勘弁すんの?」
隣の不良が必死な形相で口を開いた。
「俺等は人に頼まれて、やっただけなんです。本当です、乱暴するつもりもっ」言い終わる前に、疾風がその彼の頭にもコカコーラをかける。
「なに、勝手に喋ってんの? 俺がいつお前に尋ねた?」
「す、みま、せ……ん」
疾風が不良たちの周りを歩くと、彼の靴底が瓶ビールの破片を踏む固い音が小さく響き、その度に不良たちが肩を震わせて委縮するのが分かった。
「お前等は人に頼まれりゃあ何でもすんだろ? なら、早く目の前にある硬貨を全部、飲み込めって」
「すみません。もう勘弁してください。許して下さい」
疾風は喋った不良めがけて空になったペットボトルを投げつけた。「だーかーら、いつ喋って良いっつたよ?」
ペットボトルは不良にぶつかった後、ガラス片の散らばった地面に落ちて跳ねてを二度繰り返し、その度にガラスと物がぶつかる嫌な音が響いた。
疾風がわざとらしく大きなため息を漏らした。
「仕様がねぇなぁ。そんなに喋りてぇなら、一回だけだ。一回だけ話を聞いてやる。ただし、それに一つでも嘘があったら、お前等は全員山に捨てる。良いな?」
疾風の監視の下で、まず口を開いたのは十円玉を飲み込まされそうになったガタイの良い男だった。
「俺等の目的は中谷勇次でした。でも、今アイツは岩田屋町にいない。連れたちの集まりで中谷勇次が勝ち逃げしたって話になったんです。けど、家にはアイツのお姉さんが普通に生活しているし、転校の噂も聞かない」
UMAを探しに山に籠もっているなんて、どんなにアホでも予想できないんだろうなぁとあずきは呆れる。
「中谷は一時的に岩田屋町から離れているんだろうって話になって。なら、逆にアイツがいない間に、色々準備して戻ってくる日を見計らって中谷勇次の親友と彼女をさらってリンチしようって話になったんです」
ん?
「それで……」
「ちょっと、待って」
あずきが口を挟んだ。ガタイの良い男があずきを見上げてくる。「親友と彼女? それって誰のこと?」
「えっと、守田裕と田中あずき」
持っていたペットボトルを思いっきり握りつぶしていた。疾風がやや引きつった声で「あずきちゃん?」と尋ねてくる。
「私がアイツの彼女? 何言ってんの? ねぇ、目を開けたまま寝るんじゃないの? アンタたち」
「え、でも、蓮華ちゃんが、自信満々にそーだって言ってましたし」
予想外の名前にあずきの表情が固まる。「蓮華? 千原蓮華?」
「はい、そうです」
「このリンチに蓮華も関わってるの?」
「蓮華ちゃんは守田をさらう役でした」
疾風と目があって軽く頷いてくれた。あずきは一歩下がって携帯を開いて守田に電話をかけた。が、コール音が鳴るだけで繋がらない。
あずきは携帯を耳から離して蓮華の方に電話をかける。その後ろで疾風が小さな舌打ちをして「おい、お前等、携帯を出せ。で、仲間に電話しろ。守田くんをさらったのかの確認だ。あくまで現状確認を装えよ」と言った。
しかし、その前にあずきの携帯が蓮華と繋がる。
『あっれぇえ、あずきさんじゃないですかぁ~』
うざい。「蓮華。そこに守田くん、いるの?」
『裕くん? いるよ~。でも、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったから、今寝ちゃってますね。どうして男の子って色々出しちゃうと寝ちゃうんですかねぇ』
「ねぇ、蓮華。今どこにいるの? 守田くんに何しようとしっ――」
『てゆーか、さっきから蓮華って何ですか? 蓮華さんじゃないんですか?』
あずきは黙った。話にならない。いや、違う。交渉のスタート地点を間違えた、これはあずきの失敗だ。
千原蓮華は敵側にいる。
その上で考えないといけない。蓮華は守田をさらうことに成功した。目の前で正座している不良の話を信じるのなら、守田は勇次を呼び出すためにさらわれたらしい。そして、その一環であずきもまた標的の一人だった。
「蓮華。あんた達が、どんな作戦を立てたのか知らないし、どういう経緯でこんなことを始めたのかも知らない。けど、私が逃げ切った時点で、その作戦の一部は失敗してるんだよ」
川島疾風と近藤旭日の介入によって、彼らの作戦は瓦解しつつある。そして、ここで中谷勇次が混ざれば根も残らぬほどに叩かれるだろう。
「小さな綻びでも間違いなく全体に浸透していくよ。蓮華はまだ今ならぎりぎり戻れる。素直に守田くんの居場所を教えて」
分水嶺だった。ここの受け答えで蓮華の運命は決まる。けれど、答えなど最初から予想できたし、それは覆らなかった。
『いつまでも上から目線でペラペラと……、何様だぁ、ビッチ! ねぇ? 分かってる? 今、私の方が上なの。相応の態度ってものがあるんじゃないの? そもそもっ』
あずきはそこで電話を切った。ひどく泣きたい気持ちになった。
沈んだ表情を察してか、疾風が「大丈夫?」と尋ねた。
「大丈夫です。でも、すみません。守田くんの居場所を聞き出せなかったです」
「あぁ、大丈夫。今、目の前の奴らから居場所は聞いたから。これからそこに行ってっ」
疾風の言葉は最後まで続かなかった。携帯が鳴ったのだ。そして、それを確認した疾風が「はっ」と笑った。まるで、上がり牌を手にした勝負師のような残酷な笑みだった。
「よぉ」携帯を耳に当てて疾風が言う。「ヒーローは遅れてくるっつーけど、遅すぎじゃねーか。勇次」
◯
勇次はついさっき岩田屋町に戻ってきたらしい。そして、実家に戻ってシャワーを浴びて、久しぶりに携帯を開くと見たこともない数の着信が守田と疾風から入っていて驚いた。とりあえず、守田に電話を入れてみたが繋がらない。それで疾風に電話を入れた。
疾風は正座させた不良たちから聞いた住所を勇次に伝え、そこへ向かうよう指示した。それから守田がさらわれたこと、現在勇次が向かっている場所に守田が居るらしいことを伝えた。
――そこにいる奴らをぶっ飛ばせば良いんだな。
と言って、勇次は電話を切った、らしい。
「山に籠もっても相変わらずだなぁ」
「勇次が山に籠もった程度で変わったら、それこそびっくりですよ」
「そりゃあ、そうか」と疾風は頷いてから携帯をポケットにしまい、改めて不良たちと向き合う。「お前等のお望み通り、中谷勇次が盤上に登場した訳だが。どうして今日、アイツが帰ってくると思った?」
車に轢かれてコーラで髪がベタベタになっている一人が口を開いた。「今日が中谷の彼女のバンドのライブの日だから、流石に帰って来るだろって話になったんです」
イラっとしたのが顔に出たのだろう、疾風があずきの肩を軽く叩いてくれた。「話をまとめると、守田とあずきちゃんの二名を、さっきお前が言ったマンションの一室にさらって。それで電話か何かで勇次を呼び出してリンチするってことで良いのか?」
誰も何も答えようとしなかった。疾風がもうぬるくなったはずのカルピスのキャップを開ける。「涼しくなりたい人は手ぇ上げてー」
「すみませんっ! 勘弁してください!」
「じゃあ、言えよ。嘘や誤魔化しを口にしたら素敵な登山体験が待ってるぜ」
「……守田をしばく動画や、田中あずきを脱がした画像を中谷に送った後に、呼び出してリンチする予定でした」
言った不良の頭に疾風はカルピスをぶっかけた。あずきは咄嗟に腕を強く握って震えを我慢した。
「あずきちゃん」と疾風が言った。「車の中、入っていて良いよ。外にいると体力を奪われるから」
「大丈夫です。ちゃんと最後まで話を聞きます」
これはあずきの意地だった。少なくとも守田の安否が確認できるまでは疾風の横にいるつもりだった。
疾風は少し呆れ気味に笑って「無理はすんなよ」と言った。その瞬間、あずきは初めて疾風に認められたような気がした。
「さて、じゃあ。最後の質問だ、諸君」
やけに明るい声で疾風は言った。「今回の首謀者は誰?」
最後だと聞いてか、不良の一人が少し嬉しげに口を開いた。
「深水菫っつー中学生です」
◯
疾風はペットボトルのカフェオレのキャップを開けると答えた不良の頭にかけた。
「おい。中学生の女の子に責任転換して、それで許してもらえると思ってんのかよ?」
「ちが、違いますっ!」コーラとカフェオレをかけられ、髪も服も悲惨なことになっている不良は必至で説明を試みる。「深水菫っつーのは結構なお嬢様で。いっつも佐藤とか言うボディーガードを連れていて。何か夏になってから現れなくなったんですけど、そいつが計画しているって言う作戦が今回のだったんです」
「なるほど。今の話だと発案者は菫っつー女の子だが、実行犯は他にいるみたいだな。誰だ?」
口を開きかけ、そして、閉じるを二度ほど繰り返した後に「梶原富也、さん、です……」と言った。
「知ってる?」
と疾風が問うので、「いいえ」とあずきは首を振る。
「今回の発案者は深水菫で、実行犯は梶原富也……」
深水、菫?
知らない名前だった。けれど、深水という名字をあずきは無視できなかった。
「ねぇ、その深水菫が、アンタたちと関わるようになったのはいつ頃からなの?」
「えっと……」と不良たちが僅かに顔を見渡してから、ガタイの良い男が口を開いた。「四月頃だった、と思います。岩田屋高校の一年の教室の黒板全部にラクガキをしたいって近づいてきて。で、俺の後輩が岩田屋の一年だったから、そいつに頼んでラクガキを書かせました」
「そのラクガキの内容、覚えてる?」
「えーと。何か女子生徒と美術教師? が不倫してるとか、そーいう内容だったと思いますけど」
あのラクガキだ。間違いない。けれど、なら菫という女の子はどうして今回の勇次のリンチを計画しているのだろうか?
そこに何か繋がりがあるのか、それとも無関係なのか。
ラクガキの面だけを見れば菫の目的は葵のはずだ。そして、葵と勇次を繋ぐ線はない。少なくとも、あずきが知る限りでは。
「ねぇ。その子の写メとかある?」
不良の一人が「あります」と言って、ポケットから携帯を取り出した。「なに、お前? その菫ちゃん、好きなのぉ?」と疾風が茶化した。
「違いますよ。新しく仲間になったヤツは写メ撮るようにしてるんです。何かあった時に使えるように」
「何か、ね……」
と疾風の視線が冷たいものに変わる。
不良に差し出された携帯を受け取るとあずきは、なるほどと思った。守田と蓮華、そして勇次と遊んだゴールデンウィークに、あずきの学校の卒業アルバムを勇次に差し出した女の子だ。佐藤というスーツの男も確かに連れていた。
「その子、あずきちゃんの知り合いなのか?」
疾風が横からあずきの見ている携帯画面を確認した。
「多分。私の親友の繋がりのある子だと思うんです」
「へぇ」
と疾風が曖昧に頷いたところで彼の携帯が鳴った。「勇次からだ。もう終わったか」
それにしては早すぎる気がした。
「はいはい」と電話に出た。「は?」言って、疾風は正座している不良たちを睨んだ。それだけで彼らは肩を震わせて怯えた。
「分かってるっつーの。ちょっと、待て」
疾風は携帯を耳から離すと不良たちに近づいた。
「おい、お前等が言ってた部屋はもぬけの殻だとよ。どーいうことだ? 嘘があったってことで、これから仲良く登山体験の始まりってことで良いかぁ?」
「ちょっと、待って下さい!」ガタイの良い男があずきを指差した。「さっき、そこの女が蓮華に電話したのが原因じゃないんですか?」
「指差してんじゃねーよ」
と疾風がガタイの良い男の顔を踏む。
言う通りだと思った。蓮華への電話で、あずきが無事だったことが向こうにバレてしまった。用心深い人間ならば場所を移すのは考えてみれば当然だ。
「ごめんなさいっ」
疾風はとくに気にした様子もなく「いや、あずきちゃんのせいじゃ絶対ねーから」と言って、不良たちに向き合った。「で、何かトラブルがあった時の逃げ場所はどこだよ?」
「その時は深水菫か梶原富也が決めるので、俺等にはちょっと……」
「使えねぇな、おい」
疾風は舌打ちすると電話を耳に当てた。「勇次。場所は分からねぇが。知っている人間は分かった。とりあえず、口頭で説明した後に写メをお前の携帯に送るから。そいつ等を探せ。俺も探す」
今までまったく気づかなかったが、疾風のシャツの襟首のところに赤いふちのサングラスが一つかかっていた。電話に向かってしゃべりながら疾風がサングラスをかける。彼の中で何かのスイッチが入るのが分かった。
勇次との通話が終わると、疾風は不良の一人の携帯の画面を携帯のカメラ機能で撮影した。「おい、菫って女の子は分かったから次は梶原富也っつー男の写真を出せよ」
不良が携帯を操作している間に、疾風が他の正座している彼らに「お前等、財布から身分証明できるもの出したら帰って良いぞ」と言った。
梶原富也の写真を撮って彼らの身分証明を回収してしまうと、疾風はあずきの背をエスコートするように押して、その場を離れた。
「さて」車の前で止まって、疾風はあずきと向き合う形を取った。助手席では近藤がいびきをかいて眠っていた。「もう後は任せてもらうしかねぇから。あずきちゃんには家に帰ってもらうよ。もし、これであずきちゃんがライブで歌えなかったら、守田くんに申し訳ないからさ」
何を言っても連れて行ってくれないのだろう。
「分かりました。けど、その前に一つ菫について私の話を聞いてもらっても良いですか?」
「うん? 聞くだけなら、もちろん」
「そして」これは賭けだった。「もし、私の話に納得してもらえたら、その時には宮内浩って同級生に連絡を取ってもらいたいんです」
サングラスで目は見えない川島疾風が、しかし声だけでも分かるくらい楽しげに「宮内浩?」と言った。




