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田中あずき 8月20日①

 潰れたショッピングモールで待っていたのはガラの悪そうな不良集団だった。あずきは彼らの一人と目が合った瞬間、嫌な空気を感じて即座に回れ右をした。走ると追いかけられると思って、ゆっくりとその場を立ち去ろうとしたが上手く行かなかった。

 不良たちがあずきに声をかけてきたのだ。応えるつもりはなく全力で走った。何処でも良いから人の多い場所へ出よう。それだけを念頭に道を選んだ。

 しかし、大通りを選んでしまったために不良たちから完全に逃れることができず、結果三十分近くの間、あずきは逃げる羽目に陥った。体中が熱く汗が目に入るのが不快だった。額にへばりつく髪をかき上げて、悪態をついた。

「しつこいっ! というか、私これから、ライブなんだけど、こんなに疲れて良いのっ?」

 良くない。が、家に逃げ込むと住所を知られることになるし、ライブハウスはまだ開いていない。葵や千秋を頼るのも巻き込むことになるので論外だった。

 そうやって考えた結果、頼れる相手は守田か疾風のどちらかとなった。けど、確実に迷惑になる。可能なら自分で解決したい。しかし、そろそろ体力の限界も近いし夜からのライブに支障をきたすのは避けたい。

 どうしたって迷惑をかけるのなら、と走りながら携帯で電話をかけた。

『女子高生から電話が来るって俺もまだまだイケるぜ、ってなるね』

「疾風さん、なに、言って、るんですか」

『ごめん、ごめん。つい、テンションが上がっちゃって』

 と言った後に『ん? 息が上がってるけど、最中なの?』

 本当に守田と勇次の兄貴分なんだなぁ、この人。

 あずきは手短に現在の状況を疾風に伝えた。すると、先ほどの陽気なトーンが嘘のような冷たい物言いで『分かった。じゃあ、岩田屋高校近くのコンビニの前まで走って来れる?』と言った。

 ここから五分ほどの距離だった。「大丈夫です。行きます」

『そこまで来れば、全部終わるから。頑張って』

 言うと電話が切れた。ラストスパートと思って、走る。

 そして、コンビニが見えてきたところで後ろをちらっと見た。四人だ。向こうも疲れているだろうけれど、それでもスピードは落ちていない。気を抜いたら今からでも追いつかれてしまうだろう。

 奥歯を噛みしめて疲労感を無視して更にスピードを上げる。コンビニの前にたどり着いた。そういえば、店内に入れば良いのだろうか? しかし、不良を店内にいれるのは店側の迷惑になる気がする。疾風に電話を入れようと駐車場の方を進むも、不良たちが追い付いて来た。

「追いかけっこは終わりかぁ?」「流石に三十分以上も走るとは思わなかったわ」「いや、でもよぉ、サウナの後のビールが上手いようにさ。これくらいの運動の後のセック、すっ―――――」

 不良の一人の言葉は続かなかった。

 大きくて赤いものに吹っ飛ばされたのだ。ごんっ、という音と共に不良はコンクリートの地面に倒れた。大きくて赤いものは車だった。不良にぶつかった瞬間にブレーキを踏んだらしく現在は停まった状態だった。あずきも残りの三名の不良も理解が追い付かず停止していた。

 全てが止まった世界で唯一、普段通りに動く姿があった。

 赤いMR2の持ち主、川島疾風だった。

「よぉ――。あずきちゃん、大丈夫?」

 MR2の助手席が開き、見覚えのないスーツの男が下りてきた。男は呆然としている不良の一人を蹴り倒して地面に転がしてから、彼の頭をサッカーボールのように踏んだ。「お前等ぁ」突っ立っている残りの不良に向かって男が言う。

「複数で女の子を追いかけたんだって? 悪いヤツだなぁ。お仕置きだ」

 不良たちは倒れた仲間に視線を向けてから、顔を見合わせると同時に男に背を向けた。しかし、男はそれを許さなかった。一人の足をひっかけて転ばした後、もう一人の首根っこを掴んで引きずり倒して腹に靴の底を沈めた。

 転ばされただけの不良は、すぐさま立ち上がったが、その瞬間、男は彼の足を思いっきり踏む潰した。「ひぎぃ」と不良が漏らして足を抱えて蹲った。

 男は地面に転がってもだえる不良たちの靴を全て奪ってから、彼らを駐車場の隅っこに引きずって行った。そして、正座を命じた。

「嬉しいだろ? 日向じゃあ眩しいだろうから日陰にしてやったんだぜ。シップー、車ん中の酒、取ってくれねぇか?」

 あずきをMR2の助手席に座らせて涼ませていた疾風が、コンビニ袋に入った四本のビール瓶を持って男に近付いて行った。

「ほらよ」

「あんがと」

 言って、男は靴を奪って正座させた不良たちの周りで、ビール瓶を叩き割っていった。暴力のような甲高い音が響く度に、あずきは肩をすくませ目を瞑った。

「大丈夫?」と開けられた窓から、疾風が尋ねてくる。彼の手には四人分の靴が握られていた。大丈夫です、と冷静に答えてから疾風の手元に視線を移した。

「それ、どうするんですか?」

「ん? あぁ靴ね。流石にガラス片が散らばった地面を走って逃げんのはしんどいでしょ?」

「そうでしょうけど。やり過ぎなんじゃあ……」

「まぁ、相手の真意が分からない以上、とりあえずはね」

「疾風さん、手馴れてますね」

 んー、と疾風さんは少し考えた間を取った後「昔、よくやったからな、それと」と言って、スーツの男を指差した。「僕はここまでするつもりはなかったよ。アイツが勝手に暴走しているって感じだよな。まぁ、昨日からアイツも寝てねぇから気が立ってんだろ。少々は見逃してやってくれ」

「気が立ってるって……」

 スーツの男は残った瓶ビールを開けて、それを飲みながら不良たちに財布を出させているところだった。手間取って立ち上がろうとした一人の不良の頭を足で踏みつけて、容赦なくガラス片だらけの地面に押し付けて笑っていた。もはや、どちらが正義か分からなかった。

「まぁ、確かにちょっとまずそうだな。交代してくるから、あずきちゃんは休んでいてくれ」

 言うと、疾風は正座させられた不良たちの方へと歩いて行きスーツの男と少し喋ると、今度は男がこちらの方に向かって歩いてきた。

「よぉ、君が噂のあずきちゃんだな。俺は近藤旭日っつーんだ。よろしく」

 手を差し出されてあずきはそれを握った。「よろしく、です。あの、噂のって言うのは?」

 スーツの男はにやっと笑った。「最近、シップーが高校生とつるんでるっつーんで噂になってんだよ。何をやらかす気だ、ってな」

「疾風さんは何もしてませんよ。良くしてくれています」

「みたいだな」と近藤は頷いてから手に持った瓶ビールを飲んだ。彼のスーツにはアルコールの匂いが染みついていた。お酒を飲んだことのないあずきからすると、彼が近くにいるだけで気持ち悪くなりそうだった。

「シップーから話を聞いていると昔を思い出して君らに親近感を覚えちゃったよ。なんだっけ、守田くん? 彼の貧乏くじを引いてる感じには共感しまくったね」

「貧乏くじ? 守田くん?」

 確かに勇次の隣にいる守田は自身が引き起こしていない面倒事に巻き込まれている印象がある。少なくとも学校では勇次が起こす問題の八割が守田の方に話がいっている。

「俺にも面倒な幼馴染が居たんだよ」と近藤は眉を寄せて、過去のことを思い出したのか不快そうに続ける。「シップーと一緒に面倒事ばっか起こすから、その後処理と対応を俺に任されてだなぁ。あぁ思い出しただけで腹が立つ」

「今も、その幼馴染さんとは会ったりするんですか?」

 あずきの質問に近藤は僅かな沈黙の後、読み取りにくい曖昧な表情で口を開いた。「あずきちゃん」

「はい」

「覚悟しておくと良い。自分で選べることなんてほんの僅かで、後は理不尽に結果だけが突き付けられてしまうもんだから。それでも自棄になったりしない人間が常に最良のものを手にしていくんだよ」

「それは、どういうことですか?」

 んー、と唸った後、近藤の表情が崩れた。「つまりだ、俺が昨日の夜に麻雀で負け続けたのは自棄になったからだって話だな。あずきちゃん、マジで勝負事は最後まで諦めない奴が勝つから」

「近藤さん……、もしかして酔っ払ってます?」

「こっちに帰ってくる間の車ん中でも酒を飲んでいたし今も飲んでいる訳だが……。正直、気持ち悪い」

 近藤が口を押えて下を向く。

「えぇ、吐かないでくださいよっ!」

 あずきが焦ると、近藤が顔を上げて「いやいや、これでも良い大人だからね、俺。吐かないよ、当然だろ? ただ、コンビニのトイレ、ちょっと行ってくるわ」と言う彼の目の端には涙が滲んで見えた。

 近藤が早足でコンビニへと入って行き、あずきは疾風たちの方を眺めた。疾風は正座している不良に対し楽しげに話しかけていたが、不良自身は固い表情で下を向いて短く答えているだけのようだった。

 あずきは体の力を抜いて、さっきまで走っていた疲れを取った。三分かそこらで近藤は戻ってきた。手にはペットボトルの入ったコンビニ袋を持っていた。本数は六本だった。

「これ、疾風のところに持って行ってもらって良いかな? あと、俺はもう限界だから、車ん中で寝てるわ」

 言うと、近藤はあくびをした。

「あ、はい。分かりました」

「それと疾風に伝言もお願い。コンビニ側には金を握らせたけど、一時間以内に撤収って。オッケー?」

 あずきは車を下りてから、コンビニ袋を受け取り近藤を真っ直ぐ見据えた。

「だから、なんでそんなに手馴れてるんですか?」


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