守田裕 夏③
チラシを見て電話した、という電話があったのは夏休みも半分が過ぎた頃だった。
守田は丁度、店の手伝いをしていた。お客は全員帰っていて、やる仕事も殆どなくぼーっとレジの前に立っていると、ポケットに入れていた携帯が震えた。親父も奥で新聞を読んでいたので「トイレ」と伝えて、トイレに入って電話に出た。
『もしもし、守田くん?』
「おー浩。どーした? 明日の眠る少女の練習見学の話か?」
『いや、そっちじゃなくて。チラシを見たんだけど』
「あー、チラシな。ん? 勇次、見かけたのか?」
『見てないんだけど。なに今、中谷くん。町にいないの?』
「いねぇんだよ。だから、勇次を使ってあずきちゃんを呼び出すこともできねぇんだよなぁ」
電話口で浩が僅かな呻き声をもらし戸惑っているのが分かった。「おい、浩。どーした?」
『ちょっと、待って。……いや、守田くんには話をしておくべきだったんだな』
「ん、なんだ?」
話が見えない。
『夏休みに入る前に、梶原富也の話をしたの。覚えてる?』
「あー、なんだっけ? 探しているんだったか?」
『そう。今も探している最中で、まだ一度も会えてないんだ。でも、色々話を聞いていると、何かをするつもりではいるみたいなんだよ』
「何かって?」
『具体的には何も分かってない。でも多分それは中谷勇次に対する復讐に近いものだと思う』
フラッシュバッグしたのは勇次と共に部室でおこなった野球部員たちとの喧嘩だった。梶原富也がかけた部員たちの暗示を、中谷勇次は片っ端から言葉と拳で解いていった。彼が勇次を恨んでいると言われても意外ではなかった。
むしろ「浩ぉ。お前、なに危ないことしてんだよ。キャラじゃねーだろ」
『知ってるよ。でも、そういう立ち位置に居たんだから、仕様がないよ』
「なるほどな」人が良いというのも考えものだ。「で、梶原のことだし、アイツ自身が前に出て来たりはしねぇんだろーけど。人が集まってるって感じか? けど、勇次がいないんじゃあ話にならなくねぇか」
『中谷くんがいないから、むしろ周りに飛び火する方が高くなっている気がすんだよね』
「あぁ、なるほど。勇次と仲の良いヤツって言うと……」
そう考えて、勇次に友達が殆どいないことに気づいた。なんて、淋しいヤツなんだ。それでも、あえて言うと「あ、もしかして、俺?」
『少なくとも中谷勇次を心配してチラシを町中に貼りつける、くらいには仲が良いとは思われているだろうね』
ため息が出た。中学一年の野球部の件があってから、守田は常に勇次の横に居た。危険な目には何度となく遭ってきたし、それをちゃんと跳ね除けても来た。
だから、今回も大丈夫。
と言うのは楽観的すぎるのだろう。
少なくとも相手はあの梶原富也なのだ。野球部員たちにイジメられていた井出彰を思い出す。容赦なく徹底したイジメ。
学校という枠組みのない現在、あそこまでの閉鎖的なやり口が通じるとは思えない。しかし、枠組みの緩い社会の中で梶原が何をするのか、予想できないことがすでに警戒の対象だ。
「オッケー、分かった。じゃあ、浩。作戦会議をしようぜ。今日これからウチの店来れるか?」
『え? うん、良いけど。何か思いついたの?』
「俺がターゲットなんだろ? なら、やりようは幾らでもあるって」
◯
次にチラシ関係で電話があったのは待ちに待った二十日。眠る少女のライブの当日だった。ライブのスタートは十九時で、守田はライブハウスがオープンする十八時までには何としても勇次を捕まえるつもりだった。しかし、二十日の十三時を過ぎても、勇次の手がかりは皆無と言って良かった。
「ねぇ、守田くん。勇次、本当にライブ来ないつもりかな?」
不機嫌をまるで隠す気のないあずきが守田を睨むようにして言った。
「俺に言われても困る。メールはちゃんと入れたし、了解の返信もあったから、来ると思うんだがなぁ」
正直、自信はなかった。「それで、ご注文は?」
「ランチセットで」
「はいよー」
厨房にいる父親に注文を告げて、お客が帰った後の食器を片づける。「ちなみに、あずきちゃん。何時頃にライブハウス行くの?」
「んー? 十七時くらいに、葵と千秋ちゃんと最後の打ち合わせをしよう、って話はしてるかな」
「なるほど」
守田は本日、混み合うランチタイムだけの手伝いだった。「十四時には上がるからさ。ちょっと勇次が籠ってる山付近にもう一回行ってみるわ」
二十日までの間、守田は有から聞いたツチノコのいると言われる山に足を何度も運んだ。しかし、一度も勇次を見つけることは叶わなかった。
どんだけ山奥に潜り込んでいるんだか。
あずきにランチメニューである野菜カレーを出してから、空いているテーブルを拭いていく。十三時を過ぎるとお客の数は減っていて、現在はあずきの他に常連のおじいちゃんが窓際のテーブル席に一人という状態だった。
お客の入ってくる音がして、顔を上げると懐かしい顔があった。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
営業トークの声で守田が言った。千原蓮華は「うん」と頷く。「では、カウンター席にお願いします」
あずきが蓮華の姿を認める。蓮華は決してあずきの方を見ようとせず、空いているテーブル席に座った。おい、カウンター席って言ったろと思ったが、これから混み合うことはないので良いにした。守田は蓮華の前にお冷を置いて「ご注文は?」と尋ねた。
「アイスコーヒーで」
「畏まりました」
厨房の父親に注文を告げてグラスに氷を入れてアイスコーヒーを注ぐ。蓮華のテーブルへ行く間に、あずきと目があったので肩をあげて、よく分からんというジェスチャーをした。「お待たせしました」と言って、コースターを蓮華の前に敷いてグラスを置いた。
蓮華は守田の方を一切見ず、小さく頷くだけだった。
何しに来たんだ?
そこで、ポケットに突っ込んでいた携帯が震えた。裏に戻って確認すると知らない番号からの電話だった。チラシ関係なら最後の希望だ。
父親に一言告げてから、二階に通じる階段の三段目くらいに腰掛けて電話に出る。『あの、チラシを見たんですけど』
ビンゴだった。
町の隅にある潰れたショッピングモールの付近で中谷勇次らしき人間を見た、とのことだった。話す感じから電話の向こうにいる人間は若い男だった。
二十代、下手すれば十代だ。信用に足るか思わず考えてしまう。少なくとも有から聞いた山と潰れたショッピングモールには距離があった。
「ちなみにですか、格好って分かります?」
『えっと、結構ラフな感じでティシャツにジーパンでした』
うーん。「あの、見つかった場合ちゃんとお礼をしたいので、お名前を窺っても良いですか?」
『お礼とかは求めていませんので』
と言うと、男はそこで電話を切ってしまった。イタズラ。あるいは、考えたくないが罠。
その場で守田はシップーに電話を入れた。事情を聞いたシップーは、あーと気まずそうに言った。『悪い。今、ちょっと町の外に居るんだよ。帰っている最中だから、行けるには行けるが時間が掛かるわ』
「そうですか。ちょっと怪しい感じなので、シップーさんに行ってもらいたかったんですけど。もう少しで家の手伝い上がれるんで俺、行ってみます」
『そうか? 一応、向かってるわ。勇次が居たら言いたいこともあるしな』
「分かりました」
通話を切り店に戻ると、あずきが野菜カレーを食べ終える頃合いだった。「食後のコーヒーをお出ししてもよろしいですか?」と尋ねた。
「守田くんの敬語って、ホントわざとらしいよね」
「商売人って言ってよ」
「単なるチャラ男でしょ」
「おーい。勇次がいないからって俺に八つ当たりしないでよ」
「むー」とあずきが不満げに守田を睨んだ後「ごめん。コーヒー頂戴、チャラ男商売人」と言った。
「謝りながら貶すとは器用な……」
ホットコーヒーを淹れてカップをあずきの前に出した。「さっきチラシ関係で電話があってさ。潰れたショッピングモール付近で勇次を見たって。後で俺、行って確認してくるよ。二十日、空けとけって言ってるんだから、帰って……」
守田の言葉は最後まで続かなかった。あずきが立ち上がったからだ。「そこって、北部のかなえ通りのサブマリンってモールだよね?」
「えっと、うん。そこだけど」
「勇次、そこに居るんだね?」
「いや、そーいう電話があったってだけで」
マズイ。うかつなことを言ってしまった。「イタズラかも知れないし」
「私、確認してくる!」
言うと思った! やめてくれ! 「あずきちゃん、いや、あずき様っ! あと三十分で俺も上がりだから。一緒に行こう! な?」
「三十分じゃあ勇次。どっか行っちゃうよ。大丈夫、ちょっと確認して居なかったらすぐ引き返すから」
嘘つけ。けど、あずきは財布から千円札を出すと「じゃあ」と言って、店を出て行ってしまった。伝説の釣りは取っておけ、を目の前でやられるとは……。
いや、そーじゃなくて。考えろ。
確かに本当に勇次が潰れたショッピングモールにいるのだとしたら、あずきが今走ってくれたのは有難い。守田もシップーが到着する頃には勇次が移動して発見できず、という結果の可能性は下がる。
チャンスは今しかないとも言える。
しかし、これが梶原富也の、もしくは他の誰かの罠であった場合はあずきを危険地帯へ送ってしまったことになる。悩んだのは数秒だった。今日は親父に言って上がりにしてもおう。
家族には迷惑をかけたくなかったが、友達の危機には仕方がない。エプロンを脱いで厨房の親父に事情を説明した。親父は「分かった」の一言だけだった。良い親父だ。
携帯を取り出してシップーに電話を入れようと思ったが、そうはできなかった。目の前に蓮華が立っていたのだ。そして、店内の窓からは如何にもな不良たちがニヤニヤとこちらを見て笑っているのに気が付いた。
「裕くん」
付き合っていた時と変わらない響きだった。「ねぇ、大事な話があるの。付き合ってくれるよね?」
「外に居る奴ら友達? そいつ等を店内に入れないって言うなら何処にでも付き合うよ」
「そう。良かった」
蓮華が守田に背を向けた。唯一、お客として隅に座っていたおじいちゃんが守田たちに注目していた。窓の外の連中には気づいていないようだ。守田はニヤっと笑って「俺、モテるでしょ?」と言った。
おじいちゃんは状況を飲み込めていない表情で、しっかりと親指を立ててくれた。
男になってくるよ、おじいちゃん!
◯
外に出てまず確認したのは、あずきの姿だった。見える範囲であずきの姿はない。ただ守田が予想していたよりも不良の数は多かった。目に見えるだけで、十。
年齢は同じくらいか、少し上のようにも見える。暇人の多い町だ。
さて一応、確認を取っておくか。
「蓮華ちゃん。まさかとは思うけど俺以外にちょっかい出したりしねぇよな? 例えば、あずきちゃんとか? 俺、そーいう浮気って許せない性質なんだよね」
「大丈夫。まさか一緒に居るとは思わなかったから、そっちは系列が違うの」
系列? と疑問に思うが、蓮華が真っ直ぐ守田を見据えてくるので深く考えられない。「だから、私は裕くんだけだよ。嬉しいでしょ?」
嬉しくねぇよ。クソが。
ぞろぞろと不良連中に囲まれる形で連れて行かれたのは古いマンションの一室。303号室だった。場所は千秋先輩が見ていた山の近くだった。
あぁ今日、本当に千秋先輩のドラム聞けんのかなぁ。ライブが終わったらちゃんと挨拶しに行って握手する。そんで新しいまめがありますね、とからかってだな。タイミングを計って今度こそ千秋先輩のアドレスを聞いて……。
部屋の奥には三人掛けのソファーがあって、そこに座っている人間に見覚えがあった。不利になるのは分かっていたが、軽口を叩かずにはいられなかった。
「あれぇ、久しぶりじゃないっすかー。梶原富也先輩?」
梶原は守田を見ると、詰まらなさそうな表情で煙草を咥えて火を点けた。「馴れ馴れしく声かけてくんじゃねぇよ。守田裕」
「呼びつけたのは、そっちじゃないっすか? ゴキブリみたいにコソコソと俺らの周辺を行ったり来たり。目障りなんですよね」
部屋には梶原の他に蓮華、それにぞろぞろついて来た不良が五名程。その誰もが金属バットやメリケンサックなどで武装していた。本当に分かりやすい連中だ。部屋の間取りは2LDkのようで確認はできないものの隣の部屋に人がたむろしている気配が感じられた。
「俺もさぁ」と梶原が口を開いた。「中谷と守田。二人とも目障りだったんだよね」
言った瞬間、守田の頭に衝撃があった。体中の力が抜け床に倒れた。ぼやけた視界の隅で確認すると、後ろにバットを持った金髪がニヤニヤ笑っていた。
そこでようやく守田はバットで殴られたのだと分かった。
ちくしょうがぁ。相変わらず野球の「や」の字も知らねぇ連中かよ……。クソっ……。
俺の方がこれじゃあ系列違いはどーなんだよ?
大丈夫かな、あずきちゃん。




