守田裕 春③
騒動の結果、井出先輩は野球部に戻ってこなかった。井出先輩が受けた暴力を知った彼の両親が学校に行かせなかったのだ。家族共々遠くの町へ引っ越したと優子さんから聞いた。
野球部は半年間の活動禁止になった。リンチに参加した生徒は停学となった。そのためか分からないが、数名は高校へ進学せず働きはじめた。コンビニやガソリンスタンド、車の修理工場などで彼らは働いているらしい。
当時の三年生たちは一人の例外もなく少年院に収容された。そこを出てから彼らがどうしたのか守田は知らないし、特に興味はなかった。
守田裕が中谷勇次に惹かれた騒動について、学ぶべきこと考えるべきことは多々ある。それは、この先の人生でゆっくりと探っていくつもりだった。
問題は勇次を中心とした部活を作る時、どのような教訓をあの騒動から引っ張り出すべきか、だった。
なぜ井出先輩はリンチされるような状態に陥ってしまったのか。それは明確な力を持った顧問、監督が野球部にはいなかったことだと守田は今になって思う。
事実、事件後にはしっかりとした指導力を持った先生が野球部の顧問に抜擢され、その指導を元に練習が行われた。
野球部の顧問には野球経験者を。それは一つの配慮だ。つまり、勇次を中心とした部活には、勇次の世界を知っている人間が顧問になってくれた方が良い。そして、有難いことに適任者には心当たりがあった。
◯
勇次がすずらんの花を探すきっかけになった監督は守田の妹、澄乃と同じ年の少年だった。最初に勇次と知り合い、その縁で守田も彼と仲良くなった。
勇次と監督の出会いは四月のはじめ頃だった。
入学式に喧嘩騒動を起こした勇次は上級生の一人を病院通いにしてしまった。そこで姉の優子さんと共に勇次は病院まで行き、上級生に謝ることになった。
おそらく病院であれば勇次も喧嘩を吹っ掛けられても我慢するだろう、という涙ぐましい配慮があったのだと思う。
しかし、そんな配慮もむなしく勇次と上級生は胸倉を掴みあう喧嘩となった。当然、諌めたのは優子さんだった。優子さんは興奮状態の勇次の首根っこを掴んで病院の廊下を進んだ。
「まるで××みたい」
と言う声が聞こえた。反応したのは優子さんではなく勇次だった。「××っつーか、○×って感じだな」と笑った。聞き取りにくい専門用語に優子さんはついていけなかったが、会話は成立しているようだった。
声は更に続く。「○×は○○でしょ? それなら×××の方が良くない?」
「×××かぁ。俺、好きなんだよなぁ。×△な所が」
「僕も。×××の○○○なところも良いよね」
「分かる! 分かるぞ!」
それが監督、空野有と中谷勇次の出会いだった。
現場に居合わせた優子さんいわく、突然現れたパジャマ姿の少年と弟が聞き覚えのない単語のやり取りによって親しくなる姿は宇宙人同士の交流のようだったらしい。
守田としても是非、その場に居合わして戸惑う優子さんをこの目に焼き付けたかった。
あの優子さんが勇次を叱るでも諌めるでもなく躊躇して声をかけられない状態など、ドラえもんの顔が四角になるくらい有り得ないと思っていた。
◯
ゴールデンウィークが明けた初日、守田は学校が終わるとその足で有の入院している病院を訊ねた。病院の廊下を制服姿で歩いているとあからさまに視線を逸らす柄の悪そうなオッサン連中が目についた。頬にはガーゼが貼られていた。
「こんにちは」
「あれ、こんにちはです。守田くん」
有はベッドの上で文庫本を読んでいた。澄乃と同じか、もしかするともっと華奢な有はいつも柔らかな笑みを浮かべて丁寧な言葉を使う。勇次いわく、戸惑ったり慌てると時々関西弁が出るらしい。守田はまだ有の関西弁を聞いたことはない。
本題を切り出す前に病院の廊下で気になったことを口にした。
「あのさ。空野くん。もしかして病院で勇次が暴れたりした?」
「えっと、どうしてですか?」
「いや、廊下を歩いてた時にオッサン連中に見られてて視線が俺って言うより制服を見てた感じがしてさ」
「あー」と有は気まずそうに視線を彷徨わせた後に「勇次くん。病院内で、カツアゲって言うのかな? たかり? をしていたおじさんを片っ端から殴って廊下に正座させて、モップで顔を拭いていくって言う、本人いわく慈善活動? 清掃活動って言ってたかな? をしてて。多分、守田くんの制服が恐怖の象徴に見えたんじゃないかな」と言った。
アイツ何してんの? 喧嘩したら一ヶ月夕食抜きとか言われてたけど、現状で半年分くらい抜かれるんじゃないか?
「ごめんな、監督。あの野獣のせいで怖い思いしてるよな」
「いやいや全然っ! 怖いことは怖いですけど、今までにはないことなので新鮮です」
詳しくは聞いていないが、空野有はまともに学校に通ったことがない。人生の半分以上を病室のベッドの上で過ごしてきたらしい。そんな有にとって存在自体がアクシデントみたいな勇次は新鮮に見えるのだろう。
「いや、ホント。叱る時はちゃんと叱ってやってくれよ。じゃないとアイツ分かんねぇから」
「えっと」
有に勇次を叱れと言うのも難しいか。
「分かった。勇次のことで困ったことがあったら言ってくれ。代わりに叱るから」
「いえ、ホント。僕は勇次くんに感謝してるんです。だから、叱るとかそんなことないです。毎日、楽しいです」
嬉しそうに笑った有を前に守田は乾いた笑いをこぼす。
「まぁ本当、勇次と空野くんしか楽しめない会話をしてるもんな」
一度、彼らが喋っている会話を横で聞いたが、殆どの単語を拾うことが出来なかった。よく知らない地名と生物の名前たちの連なり、その噂と学者の名前から西暦までを縦横無尽に語り倒すために、途中から守田は頷くことしかできなくなった。
ただ、彼らが根本的に語っていることが何かは分かった。未確認生物。日本ではUMAと呼ばれる存在についてだった。ただし、彼らは確認されている生物についても平等に語るので区分けができない守田からすると話題の把握もままならなかった。
「未確認生物について、あんなに話ができる人がいるとは思わなかったので、ちょっと浮かれちゃいました。でも、守田くんには退屈でしたよね」
有は本当に申し訳ない顔をしていた。「そんなことねぇよ」と言ったら、本当にそうだった。「なんかの学者の話なんだがな。まったく専門外の論文を大量に読むことになったんだと。当然理解できない。それでも、ちゃんと学者は最初から最後まで読むんだそうだ」
「理解できないのに?」
「学者は論文を書くことの苦労ってのを知っているから、最初から最後までちゃんと読む。幾つも読んでいくと理解はできないけど良いものと悪いものってのが分かってくる。そんな話だったと思う」
「本当ですか?」
「良いものと悪いものが分かるっつーのは嘘っぽいよな。理解できてないんだし。ただまぁ、勇次と空野くんの会話が興味深いことは分かったから、俺は別に退屈じゃなかったって話」
「興味深い、ですか」
「うん。面白いと思ったんだよな。未確認生物。まだ発見されていない生物。未知。良い響きだよな」と頷いてから話題を変える。「最近、勇次を巻き込んで一つ部活を作ろうって思ってるんだ」
「部活、ですか」
「そう。せっかくだから、セイブツ部にしようと思うんだよね」
有が首をかしげる。
「珍しい動物を探し捕獲あるいは観察しそれを今後の人生に役立てる部活。それがセイブツ部」
勇次と空野有のための部活。そういう名目があれば勇次は断れない。そして、同時に理解者がいる以上、無茶をして一人で突っ走ることもない。ゼロとはいかなくとも、三割減れば万々歳だ。
「勇次がすでに呼んでるけどさ、空野くん。セイブツ部の監督になってくれない?」
◯
勇次が有を「監督」と呼び始めたのは比較的早い段階のようだった。少なくとも守田が病室に遊びに行った時には既に勇次は有を監督と呼んでいた。
病院からの帰り道、守田は勇次に「なぜに空野くんは監督なんだ?」と尋ねた。
「あー」と勇次はしばらく視線を彷徨わせた後に観念したように口を開いた。「未確認生物関係の話をすると、決まって自分の手で見つけたい捕まえたいっつー話になるんだよな。知ってるか? スカイフィッシュっつーUMAを捕まえるための網が販売されてんだぜ? スカイフィッシュが存在しているかどうかもまだ分からねぇのに、だ」
「へぇ」
「そんな訳で俺も有とUMAを捕まえたいよなって話をしたんだよ。例えばスカイフィッシュの手触りとか、どんな感じかとかってな」
「なるほど」
「でも有は、体が弱いから一緒には行けないねとか言う訳だよ」
うん、言いそうだ。
「一緒に行けねぇなら俺が捕まえて、一番に見せびらかしに行くぜって言ったんだよ。有なら生のUMAを見て新しい発見をしてくれそーだしな」
まぁ俺に見せびらかしに来られても困るな。
「そーしたら、有のヤツが泣いちゃって」
「は? なに、お前。八歳の少年を泣かしたの?」
勇次が少し青い顔で頷く。「姉貴のお気に入りのマグカップを割った時くらい慌てた。俺は全知能を使って有を褒め称えた。手もみして上司のご機嫌を窺う平社員の気持ちで、よぉ大将って」
「いや、それは違くねぇか?」
「違った。大将ってなんだよ? 寿司屋かってなった。でそん時に、監督って言ったらシックリきたんだよなぁ。監督、俺マジ、良いプレイしますからっ! って」
「訳わかんなぇぞ」
「そん時の俺だって訳分かってなかったっつーの。でも、そーしたら有が少し笑ってくれたから、そっから監督って呼んでんだよ」
勇次の話はそれで終わりだった。変な経緯だが、有が泣きだした時に慌てた勇次は是非とも見たかった。今度、有に頼んでみるか、などと考えつつ守田は口を開く。
「まぁ監督っつーのは、その場を取り仕切る存在で言わば監視することが仕事だから。間違ってねぇんじゃね? 勇次はUMAを捕まえたら一番に空野くんに見せびらかしに行くって言った訳だし」
「だよなー。とりあえず、そんな訳で監督って呼んでんだよ」
「なるほど、了解」




