第二十九話 再会と帰還の灯火(前編)
雪解けの始まりを告げる曇天の下、ヤゴリたちはハイランド城を後にし、かつての氷の森を目指していた。森に向かう道にはまだ雪が残り、靴の裏でざくざくと音を立てている。
後ろからついてくる一団は、皆疲労の色を隠せない。
とくに雪豹族の子どもたちは、まだ表情に怯えが残っていたが、それでもその瞳の奥には、確かに灯が宿っていた。生還という奇跡の灯が。
先頭を歩くナコビが、ちらりと振り返る。
シヴァルが背負う小さな子どもは、夢うつつにまどろんでいるようだった。
その寝顔を見つめながら、ナコビがぽつりとつぶやく。
「……あいつらにも、生きて帰るって約束したからな。」
ヤゴリが歩調を緩め、隣に並ぶ。
「そうだな。あの焚き火のそばで交わした言葉……忘れちゃいねえよ。」
道の傍らには、森の前触れのように霧が漂い始めていた。
近づくにつれ、懐かしい匂いが鼻をかすめる。
焦げた薪の香り、鉄のにおい、油にまみれた鍛冶場の残り香。
それらが過去の記憶と混じり合い、胸を締め付けた。
「……あいつら、生きてるかね。」
ナコビが不安げに口にすると、ヤゴリが鼻を利かせて言う。
「火薬と岩のにおいが残ってる。あの匂いは、ギムロックの炉のもんだ。……まだそこにいるさ。」
氷の森の入り口が見えた。
白い木々が立ち並ぶ中に、かつてともに戦った拠点の影がわずかに浮かび上がる。
誰もが息をのんだ。帰還の道は、再び仲間と出会う道でもあった。
氷の森の奥深く、霧に包まれた斜面の向こうに、かつての鍛冶小屋の煙がわずかに昇っていた。
煙は細く、灰色の空へと静かに溶け込んでいく。その煙を見て、ヤゴリの頬がふっと緩んだ。
「……あの鍛冶屋のやつ、まだ火を絶やしてねぇな。」
踏み固められた獣道を進みながら、小屋の囲いが見えてくる。
かつて仲間たちと焚き火を囲み、言葉少なに決意を交わしたあの場所だ。
「おい、誰か来るぞ!」
柵の奥から現れたのは、分厚い前掛けをつけた小柄な男、ドワーフのギムロックだった。
霜混じりの髭が揺れ、警戒する目が一瞬で見開かれる。
「……ヤゴリ、ナコビ、メザカモ!? てめぇら……!」
「まだ死んでねぇよ、ギムロック。」
ヤゴリのその一言に、ギムロックの顔がみるみるうちに崩れる。
口元が震えたかと思えば、拳で目元をごしごしと拭いながら振り返る。
「おい、ベルデン! ラステン! モグラル! 来てみろ!」
「まったく……あの三人、やっぱり生きてたか!」
朗らかな声とともに現れたのはベルデンだった。
少し痩せていたが、相変わらず快活な雰囲気はそのままだ。
その後ろから、巨体のラステンが静かに現れる。
無言で仲間たちを見つめ、重々しく一歩を踏み出した。
そして、その脇の地面が「モグッ」と盛り上がると、小さな丸い頭がぴょこんと顔を出す。
「モグ!」
ひょこりと顔を出した小柄な影、それは丸っこい体に短い手足、光る丸目をした小型のゴーレムのモグラルだった。モグラルは目をキラキラと光らせて跳ねるように皆に近づいてきた。
「ヴァレック!? それに……シヴァル、無事だったのか!」
ギムロックの目がヴァレックの羽に止まった瞬間、その鋭い目がかすかに潤んだ。
「怪我はしたが、命は拾った。……心配をかけたな。」
ヴァレックが低く言うと、ベルデンがゆっくり頭を下げる。
「……助けに行けなくて悪かった。けど、こうしてまた会えた。……それで、十分だ!」
再会の抱擁が交わされる。
大声も、冗談もなかった。
ただ、短くも力強い言葉と、温かなぬくもりがそこにあった。
そして、焚き火が再び灯される。沈黙の中に、再会の温度が静かに沁みてゆく。
焚き火の赤が、木々の間でちらちらと揺れていた。
その炎のまわりに、旧き仲間たちは静かに輪をなして座っていた。
シヴァルがそっと子どもの毛布を巻き直し、ヴァレックは傷ついた羽を包帯で覆ったまま、じっと焚き火を見つめている。
「……また、こうして火を囲む日が来るとはな。」
ギムロックが口を開いた。
その手には古びた鉄片が握られており、長年使い込んだ鍛冶槌で指先を無意識に叩いている。
「この手で、もう一度武具を鍛える時が来た。そう思えるだけで……生きていた甲斐があるってもんだ。」
「俺も同感だ。動き出さねえとな。あの日の誓い、まだ終わっちゃいねぇ。」
ベルデンがそう言うと、ラステンが無言で焚き火の向こうから頷いた。
彼の体内のコアが、ごぅ……という微かな光を発していた。
「モグ!」
突然、モグラルが地面を蹴って飛び跳ねると、ぴょんとラステンの肩によじ登り、背中で足をバタつかせながら回転する。
次の瞬間、土に潜ってすいすいと円を描きながら戻ってきた。
「……何かあったのかい?」
ナコビが眉をひそめると、モグラルは地面をトントンと前足で叩いた。
すると、地面からぽっかりと小さな穴が開き、その中から土でできた地図のようなものが浮かび上がる。
「……これは?」
「地中ルートさ。」
ギムロックがにやりと笑う。
「こいつが作った抜け道。人間どもの追手にも見つかりゃしねぇ。
魔王城までの、最短にして最も安全な道だ。」
ヤゴリとナコビ、そしてメザカモは顔を見合わせる。
「……帰れるんだな。あの城へ。」
「家族が……全員で、帰れる。」
シヴァルが子どもを見下ろし、そっとほほ笑んだ。
焚き火の火花が、ゆっくりと空へ舞い上がる。
その空を、ヴァレックとラステンが見上げていた。
過去の記憶が、今もその空に浮かんでいるかのように。
「……ルーデン。」
ヴァレックが名を呟くと、ラステンも低く唸るように続けた。
「……そして、オべリス様。」
彼らの目に、再び戦士の光が宿る。
そして霧の向こうに、遠くかすかに、魔王城の影が浮かび始めていた。
地中ルートの入り口を前に、隊列がゆっくりと整っていく。
鍛冶小屋の焚き火は消され、煙すらもう立ち上らない。
子どもは、シヴァルの隣に寄り添いながらも、先ほどまでの怯えた様子とは違い、小さな声で笑い合っていた。
彼らの肩をそっと抱くように、ベルデンが毛皮のマントを掛けてやる。
「おい、寒くねえか。……震えてもいいけど、進むのはやめんなよ?」
その軽口に、子どもがくすっと笑った。
シヴァルは胸に眠る幼子の体温を感じながら、ふとその頬に触れる。
そして、遠く霞んだ空に目をやり、静かに語りかけた。
「あの方がいたから、私たちはもう一度帰れるのよ。」
子どもが、ちらとシヴァルを見上げて言った。
「……まおうって、こわくないの?」
問いかけに、シヴァルは目を細め、微笑んで応える。
「……こわいけど、やさしいのよ。……不思議な魔王様。」
その言葉に、ヤゴリたちも微かに頷く。
その場に流れる空気はあたたかかった。
氷の森に、再び“戦友”たちが集った瞬間だった。
旧き仲間たちは、再び肩を並べる。
雪を踏みしめる足音が、ひとつ、またひとつと重なりながら、凍てついた森の奥へと響いていく。
焚き火は今、静かに燃え続けている。
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