第二十八話 白の砦は崩れず、ただ揺らいだまま
影が静まり、空間が元に戻る。
エルドリックはその場に膝をつき、剣を地に突き立てたまま動かない。
生きている。ただ、戦意を、そして固定された意思を失っただけ。
ヤゴリ、ナコビ、メザカモは息を飲むようにその光景を見つめていた。
「終わったのか……?」
ナコビが呟くと、オべリスは振り向かずに言った。
「……彼は、ここに残るよ。」
「え?」
「自分がどう在るべきか、ようやく考え始めたようだからね。」
そのままオべリスは歩き出す。
空間が再び裂け、彼の身体を飲み込もうとする。
「君たちは、彼を殺すな。あとは……彼自身が答えを出す。」
その言葉と共に、黒き影が彼を包み込みオべリスの姿は消えた。
静寂。
残されたのは、エルドリックと、見守る魔族たち。
冷えた空気の中、どこか、ほんの僅かに風が暖かかった。
エルドリックは崩れず、ただ揺らいだまま。
——翌朝。
戦の傷跡を、風が静かになぞる。
瓦礫と血のにおいが残るハイランド城に、淡い光が差し込んでいた。
衛兵たちは一夜にして壊滅。
討伐部隊も、魔導兵も、再編すらままならぬほど打ち砕かれた。
しかし“白の砦と称されたエルドリック王だけは、死ななかった。
否、殺されなかった。
それは、圧倒的な勝者である魔王オべリスが下した、見逃しではない。
“選ばせる”という、より重い裁きだった。
「……本当に、いいのか?」
メザカモが、かつて敵と呼んだ男を見下ろす。
エルドリックは未だ膝をついたまま、剣を握り続けていた。
目を閉じ、口を閉ざし、ただ沈黙の中にいる。
ナコビが苦々しげに言う。
「放っときゃまた戦場に戻ってくるかもしれねぇ。次こそ殺しに来るさ。」
だがヤゴリは静かに首を横に振った。
「……違う。迷ってる奴の目をしてる。俺たちがどうこうする問題じゃない。」
「…………。」
“動かぬ砦”が、初めて動きを止めた夜。
魔王の一撃ではなく、言葉の問いによって。
地下の牢にて、ようやく解放された雪豹族たちが集まりはじめていた。
シヴァルは、幼い子を背負いながら外の空気を吸っていた。
あの凛とした瞳に、疲労と静かな怒りが滲んでいる。
「……助かったのは奇跡。けど、これで終わったと思うなよ。王国。」
誰に聞かせるでもない独り言だったが、その言葉に周囲の目が応えた。
解放された魔族たちは恩赦を望んではいない。
彼らの心にあるのは、誇りと、深く根付いた怒りだ。
けれど今は、それより先に、戻る場所を取り戻さねばならない。
「さぁ、帰ろう。まだ、終わっちゃいない。」
ヤゴリが最後に見たのは、未だ沈黙を守るエルドリック。
その姿は、かつてのように絶対ではなかった。
だが、不思議と哀れとも思わなかった。
「……また会おう、エルドリック王。」
エルドリックは、何も言わなかった。
けれど、その手から、少しだけ、剣の力が抜けていた。
魔王オべリスが姿を消してから、半日。
王国の“白き戦線”は大きく揺れ始めていた。
報告書には、「砦、撤退」「ハイランド城、陥落」
そして「魔王、現る」の文字。
この事件は、魔族への見方をも変えるかもしれない。
ただ一人で現れ、ただ一人で砦を屈服させ、誰も殺さずに去った魔王。
その行動は、畏怖ではなく、概念の更新だった。
魔王とは何か?
敵とは何か?
そして、正義とは誰のものなのか?
数日後。
砦は姿を消した。
王国軍に戻ることも、魔族に追われることもなかった。
ただ、風の噂の中にその名は残る。
白の砦は、まだどこかで立ち尽くしている、と。
壁ではなく、いつか誰かの剣になる日を待ちながら。
──オべリス。
この戦いは、序章にすぎない。
だが確かに、ここから風は変わった。
「……次は、言葉で決着をつけられる時代が来るといい。」
誰かが、そう呟いた。
それが、いつの日か“伝説”と呼ばれる始まりだった。
お読みいただきありがとうございます。
もっと読んで見たいと思っていただけましたら、広告の下にある【☆☆☆☆☆】評価ボタンでお気軽に応援していただければ幸いです。
また、ブックマーク登録や感想も日々のモチベーションアップになります。
よろしくお願いいたします☁




