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tail-08: 裏面

 記憶の確認を終えた。異常なし、頭は動いている。


 衝撃はまず背中側だった。筋肉が不随意に動いて、右足の置き場所がずれて、柱にぶつかった。


 思い当たるのはロゼが持つテーザー銃だ。敵なら非殺傷兵器を使う理由がない。しかし、なぜロゼが? 仮にも故郷だから思うところでもあるのか。見た顔の中に誰かが? そういえば出発前のリグへの耳打ちを聞いていない。こそこそ調査した結果に関わりあるか。


 最悪なら裏切りも考えられる。リグがどう関わるにしても苦しいが、世の中には万が一がある。


 二度目はない。


 他の可能性も考えておく。人間が持つ感覚器の六番目、姿勢覚を使う。重要すぎて知名度が低いが、記憶との深い繋がりがある。自転車に乗ったとき、あるいは水泳をするとき、久しぶりでもすぐに動き方を思い出せる。楽しい頃の姿勢になれば楽しい気分になり、憂鬱な日にありがちな姿勢をしたら憂鬱になる。


 考えを指に割り振る。左手に関わる要素を、右手に結果を。


 思考を断つように銃声がちらほらと届く。フルオート射撃の音だが周期がやや遅い。ちょうど東側諸国の銃のような。


 ならばここは敵のアジトか? 結社の自由がない地域だ。砂漠に隠れ家を作るのは何も珍しくない。そうでなくても親を見て育った子には習慣として染みつく。


 銃声は一方的に撃つばかりだが、止む気配がない。音による判断は難しいが不可能ではない。これまでにロゼやダスクが使っていた銃ではない。弾は同じでも周期が違う。


 レデイアは下手くそな子守唄を聴いていた。思考が途切れる音だ。周囲の情報を少しでも集めようとする。手足をベルトで戒めても床擦れを防げる程度には動ける。呼吸の数でおおよその時間を計る。


 子守唄は第二楽章でけたたましいラウドミュージックになり、静かな第三楽章に移る。ジョン・ケイジに似た曲調が四分三十三秒ほど続いたのち。


 扉が開いた。ロゼだった。


「おっと、お目覚めか。遅かったな」


 助けに来た様子でなく、この状況を見る前から知っていたような口ぶりだ。レデイアの脳細胞が適した理由を導き出す。ロゼは頬に手を伸ばすと、口枷の固定具を外した。これで喋れる。


「ロゼ、これを今すぐ外して」

「できない相談だ。簡単に外してやるなって言われてる」

「裏切り者、故郷が恋しくなった?」

「待てレデイア、お前は勘違いをしているぞ」


 いくらレデイアでも素手で革は千切れない。ベッドの接合部は軋むがネジもネジ穴も折れない。


「話を聞け。落ち着くまで待ってやる」


 力の単位ニュートンとは、1kgの物体を秒速1mで動かす力が1Nだ。人間の腕は4kgほどなので、全力パンチは30Nほどの力を持つ。そして金属は、手のひらサイズのカラビナでさえ2万Nに耐える。安全係数を加味したらもっと。


 大雑把に言い換えるなら、ベッドを構成するうち最も弱いネジでさえ、生身ではびくともしない。千倍の力が必要になる。


 革の引き裂き強度も素手ではとても能わない。生身では手袋すら千切れないのだから、より太く厚い医療用ベルトが傷つくはずもない。


 だが、部品が強くても組み立ては違う。雑な仕事なら折れずに外れる。車のタイヤがいい例だ。ねじは折れないが、脱輪事故はちらほら起こる。レデイアの狙いはこれだ。


 が、相手が雑でなければ通じない。ロゼがいるのに期待はできないし、仮に関わってないにしても音と感触でわかった。丁寧な仕事をしている。舌を噛み切るにも時間が足りない。素直に従うしかない。


「落ち着いたか」

「不本意ながら」


 ロゼは目が届く距離と位置取りをしている。レデイアはいつ舌を噛み切ってもおかしくない。飲み物は水を少量ずつ、溺れない程度にゆっくりと。


「まず誰も裏切ってない。次にその拘束はリグの判断だ。とあるワーカホリックのメイドを強引にでも休ませる方法、兼、休日のお楽しみらしいな」

「別に楽しんでない」


 どうだかな。レデイアは結局、自分について考えるのは苦手らしいから、いつもリグが手を焼いている。ロゼにはそう見える。


「じゃあなぜレデイアがこうなったかだ。あの後の話をしよう。まず私がテーザーガンで撃ったのは気づいてるな? 理由は単純だ。あのまま行けばお前は死んでた。狙撃野郎に撃たれてな」

「見てもいないのに?」

「聞いたんだよ。レデイアが日常会話をできるのは知ってる。だが暗喩を見落としたな」


 日本語でも、英語でも、もちろんトルクメン語でも。知らなければ通じない表現がある。言語よりさらに狭い文化圏も含めば、映画ファンだけでとか仲間内だけとかで通じる言い回しもある。暗号ではない。もっとカジュアルに思い浮かぶ範囲こそが厄介だ。「はよしねや」は〝die quickly〟ではなく〝do quickly〟だ。〝crystal〟は「水晶」ではなく「理解した」だ。


「彼らは『不利だ』と言った」

「だろうな。私には『誘き出せ』に聞こえた」


 ネイティブが言うなら信用するしかない。レデイアは判断を誤った。ロゼが尻拭いをした。ずっと昔に逆だった借りを返す形になった。


「でも狙撃って、主目標には?」

「距離がでないほうだ。おおかたPDWでも持っただけの奴がちょっと遠くからってとこだな」


 こちらにリグがいるのと同じく敵にも後衛がいる。救護や特殊工作の合間にいくらか自衛ができる程度の小型火器だ。中には満足いく精度を誇る銃もある。そうでなくても斜め後ろから一方的に撃っていればいつかは当たるし、注意が散れば正面から鉛玉が壁になって迫る。


「だがレデイアが倒れて柱にぶつかって、姿を見せなかったから鉛玉は飛んでこなかった。あの場はこれで終い、その後は三人でライブ終了まで通した。その夜に五階の奴らをフランス人の迎えに引き継いで、あと私らの仕事は帰るだけだ」

「時刻」

「今は翌日の朝九時で飛行機は直近が十六時、だが聞こえてる通り天気が悪い。晴れ時々チンピラ、傘が必要だ」


 今はダスクが軽機関銃で応戦している。ベルト給弾式なのでマガジン交換の隙がない。


 銃はただの発射台だが、発射台にも性能がある。慣性の法則、止まっている弾頭は止まり続けようとする。長い銃身は燃焼ガスが尻を押す時間になり、加速するほど威力と射程が増し、横道へ逸れる力が相対的に小さくなる。


「以上がここまでの情報だ。質問は?」

「私の拘束を解かない理由」

「お前を強引にでも休ませるためだ」

「それはさっき聞いた。逃げないから、ストレッチをさせて」

「リグからの伝言で『ストレッチさせてと言ったらそのままやれと返しといてください』だそうだ」

「上手くできない、手伝って」

「これも伝言で『手伝ってと言われたらほっぺをむにむにしてやれ』だそうだ。触るぞ」


 ロゼはほっぺをむにむにした。互いに真剣な面持ちで、整った顔立ちの一部を丸くへこませて上下に、左右に。


「楽しい?」

「福笑いみたいだな」

「鬼怒りの覚悟があるようね」


 さて、同時刻のダスクは階段を降りていた。扉を開けて目にしたのはロゼがレデイアに馬乗りになって顔を掴む様子だ。今にも接吻が始まりそうな距離で、ロゼが頬を触れている。


「ロゼ、浮気ですか。よりにもよってレデイアさんと」

「待てダスク、お前も勘違いしているぞ」

「どう見てもレデイアさんでしょうその肢体は」


 裏話になるがリグからの伝言には「ロゼを引き剥がして」と言ったらほっぺをむにむにしてやれ、というのもあった。


「ダスク、助けて。ロゼを引き剥がして」

「そういうことならお任せください。リグさんの伝言通りに」

「あいつ本当に、こいつに対しては千里眼みたいだな」


 二人でレデイアのほっぺをむにむにした。


「不愉快」

「リグに言え。で、そのリグは?」

「そう、それが大事なんですよ」


 レデイアの抗議を無視して話を聞かせた。リグは車を出した。行き先は本拠地、レデイアをこんな目に遭わせた奴に落とし前をつけにいくと言い残して、防衛戦をダスクに任せて。


「めちゃくちゃしやがる。警戒ためにダスクが離れられないからって」

「ねえロゼ、私がこうなった理由を敵のせいにしたでしょ?」

「なぜ分かる」

「リグがカチコミに行ったから」


 ロゼもダスクも知らない。誰かがレデイアに唾をかけたらカチコミに行く。言うほどでもないから言わなかったがリグはそういう女だ。その過程で足を折って入院したこともある。普段は常識人に見えてもこうなると歯止めが効かない。


 これにはロゼもダスクも閉口した。譲れない願いはお互い様だが、無意識に前提としていたものが崩れ去った。気性の落差が激しすぎる。こんな時に新たな一面を見る機会が来ようとは。


 もちろんリグ抜きの三人でも動ける。メイドは獣の集まりだ。いかようにでも姿を変えられる。後衛の専門家が抜けたらレデイアとダスクが中衛になる。


 心配なのは敵さんだ。レデイアの話を信じる限り、リグが怒って手元に火器があって、しかもこの地にはあわよくばがある。命の保証がない。


「じゃあ助けに行きましょうか。ほらロゼ、私の拘束を外して」

「どうするダスク、こいつまで野に放ったらいよいよ侵略的外来種にならないか」

「懸念はもちろん、ですがリグさんを放置するよりは安全かもしれませんね」


 二人は頷き、レデイアのベルトを外した。足首、手首、腰、最後に首。


 体を起こしたとき、最初にロゼが叫んだ。


「おわーーっ!?」

「なに?」

「レデイア、おまえ、頭、その頭は、なんでハゲて!?」


 髪だけを枕に残して、頭皮の色を丸出しにしている。レデイアの髪はすべてカツラだった。近くでよく見ると短い毛が生え始めているので抗癌剤の副作用でもなさそうだ。


「掴まれたり巻き込まれたら困るでしょう。それともうひとつ。ハゲじゃない。スキンヘーッド!」


 かっこいいポーズとかっこいい決め台詞で、自信ありげな表情で言った。少なくともレデイアはそのつもりらしい。ロゼは力なく、あ、ああ、と母音だけの音を漏らすにとどめた。


 近接格闘において髪は掴みどころになる。頭は重く、その割に首の筋肉は強くない。頭頂部の髪を掴めばテコの原理であっさり動く。動けば重心が崩れる。重心が崩れれば姿勢が、姿勢が崩れれば計画まで崩れる。頭を丸めれば弱点がひとつなくなる。


 なのでレデイアは大仕事の前に頭を丸めている。自分の毛のカツラを被っている。誰も気づかなかったがずっと前からだ。


「待てレデイア、来る前にリグに頼んでた『いつものやつ』ってのは」

「聞こえてたの」

「本当に今までも全部か?」

「ロゼと会ったときは、去年のホテル以外の全部」


 有用性はロゼも理解しているし、戦場の理屈ではロゼも同じにするべきだが、世の中にはプライベートの理屈もある。身体的特徴は暗黙のメッセージを発し続ける。ロゼの選択に誰も文句をつけようがない。頭でっかちの評論家以外は。


「筋金入りの仕事人間め」

「こっちもひとつ。リグとの悪巧みは何?」


 レデイアやダスクに聞こえない所での耳打ちの内容は。ロゼは表情で真面目な話と知らせた。


「ダスクの親を探そうと思ってな。本人にはもう伝えた」

「見つけたのね」

「幸か不幸か、RORAの頭目だ。ダスクに対する考えはまだ知らない」


 これから行く先のお楽しみだ。

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