tail-07: 追跡
時間を少し戻して、リグが一人目のテティベアを見ている頃。
ロゼは倉庫の奥を陣取っていた。ダスクが合流して襲撃者を見守っている。
アルミ製の棚には竹の籠が並ぶ。中身はトイレットペーパーとか紙皿とか、替えが効く消耗品をまばらに並べている。昨日からは追加で、捨てる前の段ボール箱を追加した。多くは砂袋を重しにして視界を遮るだけの隠れ場所だが、ちらほらと便利な位置に銃弾も遮るパイプの束入りがある。都合のいいガラクタの出所は町の美化をお題目にした奉仕活動だ。重さに反して期待は軽い。用意したロゼがいちばんよく知っている。
視界だけが一方的に通る地点から動向を窺う。人工物が多い空間は直線と直角でできている。数少ない丸い物はよく目立つ。例えば頭とか。頭を隠すには頭の中、怪しげな球体で警戒を集めてはただの風船だと見せてやる。本当の隠れ場所は長方形の奥だ。視野は低い位置からのわずかで足りる、動くすべては敵だ。敵には足がある。足は頭を支えている。
人数はまず六人、奥に重なっている可能性もあるが最低限がわかれば撤退の判断もできる。まだしない。
相手もまだ来ない。徐々に人を送り込んで待機し、揃ったら一気に突撃する。社会人のホウレンソウを理解している賢い連中だ。飽和攻撃、連続攻撃、総攻撃。空からの目に気づいていればもっと賢かった。
「ダスク、こんな時にだが」
通信には載せないで呟いた。
「もし親玉がこの場まで来たときのために言っておくことがある」
「そんなに重要ですか」
「お前にとっては。個人的な話だ」
調査の結果は今日の朝に出ていたが、伝える時間が足りなかった。朝からの準備でダスクは五階についていたし、リグは義理堅いから勝手には伝えない。今この場は遅れすぎに見えてもその実は最初の機会だ。
「RORAの頭目、マムヌーン・アロール。こいつがダスクの血縁上の父親とわかった」
幼い日のダスクを売り、その金を元手にのし上がった経歴までリグがどこからか調べてきた。この情報はダスクが求めるまで伏せる。手放しに押し付けられる内容とはとても言えない。枕詞に血縁上のとつけるのも同じく、ダスクにとってどこまで価値があるかを知らないから。
「そうですか」
「いらなかったか。構わないが」
「決意を新たにしました」
人生の多くは生まれで決まる。その枠を抜ける手段は学びだ。他人の人生を知り、他人の考えを知り、他人の経験を知り、他人の習慣をを知り、抽象化して混ぜ合わせて換骨奪胎して、なりたい自分と往きたい人生を自分で決める。巨人の肩への乗り場は大学だけではない。漫画も、歌劇も、演劇も、背中も。学びの種はあちこちに転がっている。
たとえば? 人の意思による変化には必ず思いもよらない何かがある。自分ならこんな境遇を耐えられない。自分ならそんな名案を出せない。自分ならあんな結果には辿り着けない。なぜ? 登場人物は、あるいは隣にいる先輩は、自分ならできないことをやってのけた。どこかに違いがある。では、どこに? その違いを埋めたら自分にもできるかもしれない。物理学を知っていたら即席の武器を作れた。写真から見るべき要素を知っていたら住所まで特定できた。成功への道が見えていたら勇気を出せた。ならば、どうやって? 現在は過去の集合体だ。いつでも未来を食っては過去に変換して生きている。物理学を学んだ過去を、見えているのに知らない名前を調べた過去を、成功を経験した過去を、今からでも増やしていく。自分で決めて増やしていく。
「ロゼ、何を言われようと私はロゼのものです。これからもずっと」
いずれ背中を見せる側になる。ダスクは共に生きた一人を選んだ。一秒で決めたのではない。25年と一秒だ。ダスクを作るすべての過去を信じて、どの決断がどの結果になるかを信じて、ひとつを決めた。血縁上の父親なんかいらない。書類上で必要なときのファミリーネームを改める気もない。今更になって出所も知らない血族を辿る理由もない。
「ありがとな。来るぞ」
敵さんがさらに合流してさあ攻めてくると思ったところで、こそこそ話をして、二人が出て行った。戦力が減ったなどと喜ぶ場合ではない。
戦いは三部劇だ。地味な困らせ合戦が九割を占めて、終盤に一瞬だけの大勝負をはさみ、残りが後始末。映画なら九〇分に及ぶ痴話喧嘩と強情の果てに一〇分だけ暴れて二〇分かけて解決する。ともすれば最大の楽しみは食べ残しと空容器を投げつけて金返せと叫ぶ連帯感でさえある。
離れたうち一人は若手よりはもう少し熟れた雰囲気だった。この場の指導者より少しだけ下程度の。まだ大勝負が遠いうちに人が動くなら必ず嫌がらせだ。おそらく他への指示を担う。
「ロゼからレデイア、二人が離れた。行き先を追え。嫌な予感がする」
具体的には、巨大な屁が臭ったとか、実を踏んだとか。
他人の心配は後だ。目の前にいる武装集団が倉庫の棚の間を検めていく。若い声が次の列に飛び込んではクリアと伝える。奥から二人が銃を構えていつでも援護射撃ができる。敵が新兵を狙ったときでも、新兵が急に腹を下したときでも。
クリア。クリア。クリア。奥の援護射撃要員も徐々にだがにじり寄る。そろそろパイナップルの差し入れどきだ。
ロゼのスカートの下、両脚からひとつずつ。破片手榴弾を取って投げ込んだ。体は出さない。手も出さない。バンダナを投擲機にして、回転運動の途中で親指を離すと手榴弾が飛んでいく。ちょうど最後にクリアと聞こえたあたりから大慌ての声と、倒れるように伏せる音。起き上がる頃にもうひとつ。一発目の音から耳を守れなかった者が気づかずに餌食になる。
弾けた後には棚の最下段に合わせて手持ちの銃をフルオートで撃ち込む。この高さに射線を通さない置物は二箇所だけだ。最初に陣取った目の前と、半ばにもうひとつ。
ロゼとダスクの合わせて二人分、六〇発のドングリが倉庫を走り回った。ダスクは伏せ撃ちで寝坊者へ、ロゼは早起き者へ、それぞれ喝を入れていく。この射線には抜けがあり、空中にいれば当たらない。自力で理解した者は空を飛びたいと願い、教わって理解したものは空の上まで逃げ去った。あとはラッキーボーイが地べたで水やりをしている。そのうち芽が出るかもしれない。
騒音が静まる。マガジンを交換する。換気扇は硝煙を見てみぬふりをしているが、それを抜きにしても少しずつ広がっていく。これだけ大規模な連屁をこいたら居所は丸わかり、かくれんぼなら一等賞だ。すぐに次の行動を始める。
攻撃側は勝つか撤退、防御側は負けるか再戦、どう転ぶにしても主導権は攻撃側が持つ。必要なのは終わらせること。終わらせるためには勝つこと。勝つためには勝つこと。
ロゼは前に出た。下っ端は無視して奥へ。まともに銃を扱えそうな奴に会いに行く。
一歩目で挫かれた。相当な幸運と手練の持ち主とのドングリ合戦が始まった。初弾は咄嗟に膝の力を抜いて転ぶように避けたが、棚にぶつかってしょうもない列に入った。荷物の上に隙間がある。視界が通るから止まれば死ぬ。飛び出しても死ぬ。
隠れるには上へ。ロゼは棚を登った。棚は水平方向への視界を通すが、鉛直方向には通さない。斜めでもだ。
お互いにどの辺りにいるかがわかる。しかし、射線が通らない。薄いアルミの棚を貫通させるのは簡単だが、斜めに撃てば跳弾し、それを二つ三つと繰り返す。期待した場所には当たらない。
相手側も登れば位置関係が水平に戻る。その場合はダスクが下を走る。そのダスクは隙間から覗いている。
「ロゼ、二人います」
無線越しなので向こうには聞こえていない。無線機がさらに不都合な話を教える。
「レデイアから倉庫、車がひとつ向かってる。推定五人」
勝ち目がない。攻撃側から一転して防御側に戻った。すなわち、負けるか再戦かで再戦になるように動く。
スモークグレネードを投げた。換気が悪い倉庫は煙で充満する。足音の位置に撃つから、撃つ位置に撃つ。ロゼが先に撃って後からの連中を隠れさせた。これで一時的にでも逃げるならよし、逃げないなら破片手榴弾で出口を塞ぐ。投げて爆発を待つ間にも連絡を送る。
「ダスク、下がるぞ」
退却して仕切り直す。使える数には限りがあるが、攻め込む手順を最初からやり直しにさせる。ここまでの成果は敵勢力を半分以下まで削ったので満足とする。では、第二回戦だ。
倉庫の人員はもういないとバレている。倉庫を突破された。次は廊下を使う。明らかに弾が通らなそうな土嚢を載せた台車を右に左にと置き、直進には足元が引っかかるようパイロンを半端に置いている。歩幅の調整で勢いを削げば取り戻すまでの時間は前に合流できず、一瞬だが数的有利を得られる。一瞬あれば足りる。資材の浪費は控えめに、必要な分は大胆に。
退却の副産物として、いずれ合流するレデイアとの距離が近くなる。大きな音でも出してやれば状況が黙っていても伝わる。
そのレデイアはまだ観測手を担っている。リグがやってくれるまで援軍はない。
「目標は屋上からひとつ下に移動、正確な位置は見えない。伴い時間を更新して四分後に」
などと聞こえたから舌打ちが暴発した。四分以内に援軍が来るが、そのためには条件がつく。無線機の先であれこれと手を尽くしても決して足りない。向こうの二人だけではどう転んでもタイムオーバーになる。
「ロゼ、私が」
「一分以内に、銃はこっちを持て」
ダスクの銃にはグレネードランチャーがついている。この場に欲しい。弾はマガジンごと共有できるし取り回しの距離感も同程度、違いは重心とトリガープルくらいだ。
セフティをかけてロゼからダスクへ、ダスクは持っていた銃を置き、受け取るとすぐ逆方向へ走った。地上への階段のうち敵が向かわないほうだ。
離れる足音を近づく足音が上書きする。倉庫と廊下では隠れる場所の質が違う。少ないから視界に入れておける。止まらずにでも動ける。見えたら人差し指が反応する。
なので体は見せられない。破片手榴弾を投げた。壁に当てて蹴り返しにくいように。
爆発までの猶予に滑る音が聞こえた。使い物になる鉄板かなにかを盾にしたか。見た感じではヘルメットを着けていなかったが、元より石頭なら、鉄板を叩いた程度の勢いなら我慢できるらしい。
破片は各方向へ飛ぶ。蛍光灯の破片が撒菱となって床を埋める。持ち物チェックの時間だ。安全靴は? 無ければ破片が足を傷つける。もちろんロゼは履いている。明かりは? 無ければ何も見えない。もちろんロゼは持っている。サングラスは? 無ければ虹彩が開いた所への強い光で一時的な盲目になる。ロゼも持っていないが片目を閉じれば補える。古の海賊は眼帯でいつでも暗闇に飛び込める準備をしていた。今は短時間の状況だからただのウィンクで間に合わせる。
破片手榴弾は惜しまずに連投する。あわよくば立ち上がる瞬間に当たるかもしれないし、どこかに擦り傷を作れるかもしれない。伏せて身を守れるのは的の大きさを縮められるからだ。正面からの爆風は盾で受けられても、側面まで覆える大きさはない。倉庫にそんなものを置かなかったからよく知っている。
もう少し後ろから。グレネードランチャーならは素手よりも遠くへ飛ばせる。廊下は直線なので取り柄を活かせる。前と後ろから破片が襲う。一人でも倒れてくれればいい。ぎりぎりで伏せるときに蛍光灯の破片が刺さる程度でも動きは甘くなる。
破片はロゼの後ろも闇で包んだ。
懐中電灯の構えはアイスピックと同じ、スイッチは親指で押す。灯す場所は腕を伸ばした位置から。暗闇で光を見たら咄嗟に光へ向けて撃ってしまう。本当に狙うべき胴体はもっと左下にあるのに。ライフル弾は腕に当てただけでも失血死へ向かわせるが、そもそもが細い腕に当てるには運が必要になる。
命を賭けたダーツ勝負だ。当たれば死、外れれば特になし。ロゼが一方的に不利だから、同時進行で反撃する。すぐに消灯し、その一瞬で見えた位置へ撃つ。前から銃声が聞こえて、横切って、後ろでは着弾音が聞こえる。
三発、四発。声は一人分のみ、もう一人がまだ生きてる。他は見えなかったので有無も不明。
通信が状況を知らせた。
「ダスクからリグさん、部屋に障害物は無し、目視しました」
「了解、それがわかれば任せてください」
援軍が来る。十数秒後にダスクが、数分後にレデイアが。
そうと分かればペース配分もできる。セミオートの銃声でビートを刻む。二秒に一発のペースならマガジンひとつで一分を保たせられる。規則性を隠すついでに五秒で二発強のペースならさらに十秒。当てずっぽうでもいい。目的は頭を下げさせることだ。
匍匐で近寄るか? いつ寿命が尽きるかもわからない恐怖心を抑えて、どうにか壁を越えて、ようやく対等な喧嘩を始められる。
突進するか? 足音で居場所を教えてでも
隠れて音を数えるか? マガジン交換の瞬間に突進する。援軍がいつ来るかを知らない。
戦場に思考はない。戦場とは発表会だ。お遊戯室でゲーム盤を前にうんうん唸った末に編み出した最強の戦略を見せ合い、結果次第で今日の寝床ランクが上下する。暖かい布団か、見知らぬベッドか、冷たい地面か。
ロゼは障壁から銃だけを出して撃つ。いつ時間切れになるとも知れない中、手のひらサイズの的を狙う。それで当ててもロゼは銃をひとつ失うだけだ。命どころか指一本の怪我さえない。
ましてや今は暗闇、お互い盲撃ちだ。
「レデイアからロゼ、敵増援らしき車を確認。推定二分」
これはいい情報だ。そんなのが計画にあるならやけっぱちでの相打ち狙いをしない。障害物をお互い使える今、この場を前線として維持する間に他のルートを攻めに来る。堅実な動きをするなら、堅実に上回れる。
RORAはさほど大きな組織ではなく、消滅を偲ばれる組織でもない。増援はそれなりの練度があるだろうが、あまり数を回すと今度は本陣の守りが薄くなる。異邦人へ刃を向けたいのと同じく、同じくRORAへ刃を向けたい連中もいる。人々はどちらへの協力もしない。自分の身を自分で守るしかない。
ロゼは同じように撃ち、こっそりと下がった。階段から見える位置へ引き込む。
階段を降りるとき、一般には足が最初で頭が最後になる。下で待つ側が気づいて狙って撃って、その頃にもまだ顔は見えない。下での待ち伏せは有利だが、覆す手段があり、ダスクは必ずそう動く。
一般的でない降り方をしたらいい。頭が最初で足が最後にする。ステップより長い板なら坂と同じように滑り降りる。人の体もステップより長いから頭から滑り降りられる。滑り台と変わらない。頭が引っ掛れば頸が折れるので気をつけて、角度が悪いと装備や乳首が千切れるのでうまく避けて。
ロゼは懐中電灯を天井に向ける。白は光を反射する。普段の蛍光灯より少し暗い程度の明かりが戻った。ロゼの手元でいつでも暗闇に戻せるが。
降りてきたダスクが撃つ。攻め込まれた分を相殺した。前線の押し上げどきだ。合流して再び倉庫へ向かう。銃を元の持ち主に返して、弾倉を新たにして。
「こちらロゼ、倉庫へ行く」
「リグ了解、先にルルさんが着きます。敵さんはその後」
倉庫は若干の傾斜があるので、血溜まりは入り口側へ伸びる。出来事の概要を向こうは入る前から見える。
「レデイアか。早かったな」
「状況は」
「動くものはこれから来る分だけ、見たらすぐ帰るだそろうがな」
「追い払うだけでいいの?」
「それ以上ができるのか? たしかレデイアは」
クリーンな仕事しかしていない。小型拳銃をマスターキーとしてのみ使う。この場でレデイアだけはお育ちがよく、返り血を知らずに生きてきた。そういう仕事ばかりが届いていたから。
「必要なら」
「なら必要じゃない。私に総取りさせろ」
「癪ね」
「どうとでも言え」
無線機からの知らせに合わせて四人が来た。血溜まりを見て怯んだ様子も見えた。ロゼが左翼となり前に出た。入り口を包囲する陣形で統率の取れた構えを見せる。
外見が与える心理は存外大きい。外見以外が同じでも、どうにかこうにかの結果より、軽々と得た結果のほうが優れている。規則的な動きの結果で上回ると見た相手には勝ち目を感じられない。規則的に自分たちも負ける。
怖気付いた様子で「左へ!」と言って下がった。レデイアはそう聞いたから追う。最右翼にいたのでロゼの姿を見ず、当然に同じ陣形で追うつもりだ。下がる相手を追うのは基本だから。
レデイアができるのは日常会話だけで暗喩や古典をはじめとする洒落た言い回しを知らない。言葉で騙せるような状況ではないが、勝手に騙される奴がいる。同じ言葉でもロゼやダスクなら「誘き出せ!」と聞く。のこのこついてきた間抜けを伏兵が撃つつもりだ。
ロゼが「待て!」と叫ぶも、片付く時間は過ぎていた。まともな方法で足を止めても間に合わない。
仕方なしだ。テーザー銃でレデイアを撃った。転ばせてればかろうじて射線に身を投げ出すのだけは防げる。受け身は自分で取れ。
ロゼの期待に反し、枠と床、二度の激突音の後に、動かないレデイアだけが残った。脳震盪だろうが、意識を失った身はとにかく邪魔なので片付けた。